妹がくるの
講義室の中は静まり返っており、椅子に座った生徒達は、誰一人声を発さない。ただひたすらに鉛筆を動かす音だけが小さく響いている。現在、前期終了テストに向けた、模擬テストを行っている最中だった。少しずつ生徒達も前期の総決算に入ってきている。皆、答案用紙に向き合った表情は真剣そのもので、彼らの気合がよく感じられた。
そんな中、ただ一人手に持った鉛筆を動かすどころか、ひたすら頭を抱えてうずくまっている生徒がいた。もちろんオレである。
いや、別に決して問題がまるでわからず、頭を抱えているわけではない。近頃はリーさんの影響もあって、以前よりずっと真面目に講義に出てるし、ノートもとっている。ノートに関しては火焔兎事件で全て燃えてしまっていたが、リーさんや、セレンの協力のおかげで、十分取り戻せた。むしろ書き写しをしているうちにそれがいい復習になったくらいだ。
「はい、そこまで。後ろから集めて」
アレックス・コーエン先生が、テスト終了を告げる。皆が一息つきながら、テストを回していく。オレは、名前すら書いていない。正真正銘の白紙の答案を提出することになった。当然コーエン先生もそれを受け取る。眉をひそめて、深い深いしわをつくる。
「ふむ。これは私の講義への異議申し立てかね? それとも宣戦布告か? なあ、そこの常時失神顔生徒!!」
しかもオレだとバレている。いくら、オレがあまりやる気のない生徒だと言えども、完全白紙の答案を提出したのは初めてだ。おそらく受け取ったコーエン先生もそうだろう。
「ち、違う!」
「ほう、ではどんな意味があるというのかね? 言ってみたまえ!」
「ぐぅ! そ、それは」
言いたくない。てか言ってもわかってもらえない。
『妹がくるの』
「は?」
オレが逡巡している間に、居眠りから覚めたシンシアが答えてしまう。
『サクラの妹。それが今日の午後、この街にやってくるの』
「いや、何ですか、妹がくるからって。意味がわかりませんよ」
講義が終わった夕方、オレはリーさんと共に駅までの道を歩いていた。最近はだいぶ陽も長くなってきた。
「リーさんもコーエン先生と同じこと言うんだな。何? 口裏合わせてんの?」
「合わせる必要がどこにありますか。常識ですよ、常識」
「むう」
どうもオレが持つ妹への愛情というのは、一般社会のそれと異なるものらしい。
「だって心配だろう!? サイウェストとレーゼツァイセンが一体どれくらい離れてると思ってるんだ! 何かあったらどうする!」
「駅にして八駅。時間にしてだいたい半日です。乗り換えなどもありませんし、座っていたら勝手に到着しますよ」
リーさんの反応は冷たい。いや、やはり一人っ子とはこんなものだろう。
「いいかいリーさん。モミジはめちゃくちゃ可愛いんだ。黒髪黒目ってだけでも珍しいのに、それでいて色が白くて、瞳はパッチリしていて鼻も高い。モミジ見たさに古くっせぇ靴屋に客がわざわざ足を運ぶほどなんだ!」
「シンシアさん、本当なんですか?」
『まあ本当ね。兄はこんなだけど、モミジは確かに綺麗な娘よ』
兄はこんなとは何だ、こんなとは。
「それなのに一人で、半日も街の外に出るなんて、悪い奴らに目をつけられたらどうする!」
二日前に、モミジが一人でオレの様子を見にくるという旨の手紙が届いた。それ以来オレは心配で心配で、何も手につかない常態だった。それに列車だって完璧じゃない。何らかの事故にあう可能性だってある。
「はぁ。妹さんに関しては、いつもこんな感じなんですか」
『そうよ。過保護というか、気持ち悪いというか』
おい待て。その二つは全く違うものだぞ。同列にするな。
「確かに。それで、時間は大丈夫なんですか」
「ああ、ばっちりだ」
モミジの乗った列車がこの街に到着するまであと三十分ある。ここからなら、ゆっくり歩いても十五分前には駅について、モミジがやってくるのを待てる。オレ達はモミジの出迎えに向かっているのだ。
「あ、先輩。前々から思ってたんですけど、その時計、十分くらい遅れてますよ」
「え、まじ?」
そうなのか。気づかなかった。それならモミジの出迎えに間に合わないかもしれない。
「リーさん、走るよ!」
「え、え?」
突如駆け出したオレに、リーさんが面食らう。
「せ、先輩が自分から走るなんて……!」
いや、オレだって走る時は走るから。オレのことを何だと思ってるんだ。ちなみに、駅に到着そうそう、オレが吐いたのは言うまでもない。




