何に使うのよ
「おいおい、若い者がこれしきの事でへばってどうするんだね!」
「そうだよ。言い出したのはリーなんだから、ちゃんとやり通しな」
「人ごとだと思って……!」
バケツの水を頭にかけられて起こされる、というのはなかなか爽快感がある。
「シンシア、やったぞ。オレ、おじさんから一本取ったんだぜ」
『良いように記憶を改ざんしない』
目を覚ますと、リーさんは困ったような顔をしながら、リュウの教えを聞いていた。
「リーちゃん、反応は良いんだから、もっとシュバっと動かないと。攻めも同じ。ビシビシってスピーディに行って欲しいな。そしてここぞって所でガツンとやるんだよ!」
「もう、何をおっしゃっているのかわかりません」
どんなに強かろうが、感覚で動いている人間なんてそんなものだ。教えるのと実際にやるのとでは、また勝手が違う。
「おじさんから見てどう? リーさんの動きは」
隣で木刀の手入れをしていたおじさんに聞いてみる。すると、木刀を持ったまま軽く唸って、頭の中を整理しているようだ。
「うーん、悪くはないんだけどね。正直すぎると言うか、裏がないと言うか、次の動きが読みやすいんだ。性格が出ちゃってるね」
『じゃあ、サクラは?』
「もっと基礎体力をつけて」
論外、と言う事である。
「ただ、裏をかくのは上手いし、結構姑息な手を使えるから、実戦ではもっと良い動きが出来るかもね」
「褒めてるのかな、それは」
「さて、サクラ君も目を覚ましたようだし、そろそろ再開しようか」
「えー」
寝たふりしてりゃ良かった。
「ほら、行きますよ、先輩! 次こそ一本取って見せます!」
「オーガストちゃん、二人が一本取れるかどうか、賭けようよ」
「じゃあ、私取れない方で」
あ、ズルイ! と叫ぶリュウの声を聞きながら、なんとも言えない気持ちになる。
「み、見返してやりましょう!」
結局、その日のうちに、オレとリーさんが一本取ることはなかった。
「おや、ミナセ君」
「会計」
おじさんとの稽古のあと、クタクタになった状態で寮に帰り、少し早めの夕食をとっていた所、会計とばったり会った。同じ寮に住んでいるので、珍しいことではないのだが、普段、会計はかなり忙しいようで、いつもバタバタしていて、なかなかゆっくり食事をしていることがない。
「前、いいかな」
「どうぞどうぞ」
ただ、今日は珍しく時間があるらしい。ゆっくりとオレの前の席に座った。オレの考えていることがわかったのか、会計は苦笑いで教えてくれる。
「火焔兎事件の後始末がやっとひと段落ついてね。ようやくおちつけたんだ」
なるほど、生徒会ともなると、戦ってハイ終わり、と言うわけにはいかないのだろう。
「前から思ってたんですけど、生徒会三人って少なすぎませんかね」
三人、と言うのは、おそらく生徒会構成の最低人数だ。そりゃ、一人一人の負担も増える。
「いや、これでも積極的に勧誘してるんだけどね。どうも生徒会は今の三人でこそ、みたいな風潮が広がっててね。結局君のチームのリーさんも入ってくれなかったし」
「まあ、確かにそうですね」
あとは、現生徒会メンバーが優秀すぎて、ハードルが高いのだ。誰だって周りから比べられたくはない。
「一つ、質問いいすか」
「ん、何だい」
「今、特務隊の人が来てるんですけど、それって関係あります? 火焔兎事件と」
「へぇ」
会計は感心したように呟く。
「どうしてそう思うのかな」
いくつか理由はあった。
「まあ、特務隊、しかも第二隊の隊長クラスが二人も出て来てるとなると、やっぱり何らかの事件との関連性を感じずにはいられません。例の事件とは、結構間が空いちゃってますけど、それこそ何かわかったから、特務隊を呼んだ。もしくは派遣されたってことなのかな、と」
それと、一番の理由は、
「あと、タニア・クライン。明らかに様子がおかしかった。犯行は本人の意思だったんでしょうけど、あの変貌ぶりは違和感を感じます」
「ふむ。意外、というか、やっぱりというか。君はなかなか目ざとい所がある。どうかな、生徒会に入ってみないかい?」
「遠慮します」
何が悲しくて自分から厄介ごとに首を突っ込まなきゃならんのだ。
「まあ、すぐに全生徒に伝えることになるし、いいか、教えても」
「はぁ」
それでも、会計は声のトーンを一つ落として言う。
「あの事件、ヨロハ教国が関わってるんじゃないかって僕たちは見てるんだ」
「っ!! マジすか!」
ちょっとした世話話のつもりが、思わぬ大事になった。国際問題かよ。
「彼らの狙いとかはわからない。そもそも、あの国に狙いがあることの方が珍しいしね」
ヨロハ教国は、狂信的宗教ヨロハ教を国教とする宗教国家だ。教義の中にはかなり苛烈な内容も多い。
「詳しいことは調査中だけどね。君たちの話していたタニア・クラインの豹変ぶりも、そこに繋がってくると思ってる」
「じゃあ、タニア・クラインもヨロハ教徒ですか」
「いや、それはない。どうやら利用されていただけみたいだ」
マジか。心に一物抱えていたとは言え、名門図書士官学校生であるタニア・クラインを操っていたとは、全く、どういうことだよ。
「ただ、ヨロハ教国が愉快犯的に今回の事件を起こしたとは考えられない。何か深い意味があるかもしれない。それでも」
会計の目つきが鋭くなる。
「皇立図書士官学校は言わば、皇国図書士の元締めだ。そこを、ここまで簡単に侵されたとあってはたまらない。ふざけたことをした奴らには、相応の報いを受けてもらうしかないね」
当然と言えば当然である。
「だから、その第一歩として、協会の方々に奴らの捜査を手伝ってもらっていたわけさ。副隊長さん、君のおじさんなんだって?」
「ええまあ」
「まあ、そう言うわけだから、今後皇立図書士官学校も、対ヨロハ教国用の訓練とか研究とか進めて行くつもりだよ。もし興味があったら参加してみてよ」
そう言って、会計は空になった食器を片付けに行った。日々の忙しさが、彼に食事を早く済ませる体質に変えてしまったのだろう。悲しいことだ。
「ちょっと、土産が多すぎないか?」
「いやー、ここってお土産の種類は少ないけど、そのぶんどれもこれも美味しいんだよねぇ!」
「だからってそんなに買わなくても……。あと、お土産は食べ物ばかりじゃありませんよ。世界樹千分の一モデルとか」
「あんなもん、何に使うのよ」
リーさんのおすすめに、オーガスト先輩が苦笑いで首をかしげる。今日は、特務隊の二人が協会本部へ帰る日だった。レーゼツァイセンの東側にある書道機関車の駅で、オレたちは最後のお別れの挨拶をしている所だった。
「もう少しここにいて欲しいですね。まだヒュースレイさんから一本取れてないのに……」
リーさんは残念そうだ。リーさんは。
「いや、僕も是非そうしたい所だけどね。仕事が終われば、また次の仕事が始まる。協会図書士の宿命さ」
「こらこら。若者たちに悪い印章を持たせるんじゃないよ。まあ、私としても特務隊入隊はおすすめしないけどね。ニャハハ」
両手を菓子系のお土産で一杯にしたリュウが笑う。決して笑い話ではないと思うのだが、まあ、本人たちがいいのならそれでいい。あと、オレは絶対協会図書士にはならないと心で固く誓う。
ピィーと甲高い警笛の音がして、列車もそろそろ出発の時間だ。
「それじゃあね! サクラ・ミナセ、ちゃあんと訓練しておくんだよ? 毎回おまけのおまけで審査通してあげてるんだからさ」
マジか。全然知らなかった。でも、訓練はしない。
「まあ、考えとくよ」
手を振りながら答える。緑色の列車は、少しずつ動き出していた。
「そうだ! ミナセ君!」
「はい?」
「君の今の状況は、簡単にゲンさんの所に手紙で報告しておいたからね!」
「え?」
「近々モミジちゃんがこっちに来るらしいから! それじゃあ!」
「え、え? ちょっと待っ!」
いきなりのことに戸惑う。だが、オレ一人のために列車は止まったりしない。少しずつ加速していき、どんどんオレとおじさんとの距離は広がっていく。そして、みるみるうちに、列車は見えなくなって行った。
「マジかよ……」
『良かったじゃない。モミジに会えるわよ?』
呆然と立ち尽くしてしまったオレの耳には、シンシアの言葉など届いていなかった。
「はい! 次の列車が来るから、下がって下がって!」
駅員さんに下がらされるまで、オレはその場から動くことが出来なかった。




