哲学にしないで
『ふう。少しずつ暑くなってきてるわね』
部屋から出て街を歩く。世界樹の枝からこぼれてくる日差しは、だいぶ夏を感じさせる鋭さになってきている。いつもの白いワンピース姿のシンシアは、その頭に青いリボンをあしらった、特注の麦わら帽子をかぶっていた。肌の弱い彼女は、これからの季節は注意が必要である。
「まあ、夏もすぐそこだからな……」
ただ、オレの頬が火照るのは、それだけが理由ではない。リーさんがオレとオーガスト先輩の逃亡防止のため、手を握ったままなのだ。彼女の白く冷たい、それでいて柔らかな手のひらは、オレの鼓動を少し早める。
対してリーさんは、フィールドワークに夢中になり過ぎていて、そのことに気付いていない。しかし、黙って従うオーガスト先輩はいったい何を考えているのだろうか。
仕方ない。
「ちょっとリーさん、手。このままだといい歳したオレ達が、みんなで仲良く散歩してるみたいな絵になってるから」
既にそこそこの注目を集めている。
「あ、え? す、すみません、つい!」
オレの言葉でやっとそのことに気付いたリーさんが、パッと手を離す。彼女は頬の熱を冷ますように、パタパタと手で自身を扇いだ。
「で、どうすんの? 手分けすんの?」
手に持っていたジュースの缶を投げ捨てながら、オーガスト先輩が尋ねる。
「いえ、チームとしての活動だと認識して欲しいので……ってちょっ! ……いえ、なんでもないです」
ゴミをポイ捨てしたオーガスト先輩を咎めようとしたリーさんだが、そのジュースの缶が綺麗な放物線を描いてゴミ箱に入っていくのを見ると、悔しそうに歯噛みする。そんな彼女をニヤニヤと眺めながら、どうだとばかりにオーガスト先輩は胸を張る。子供か。
「三人で固まって行動しましょう。なにか困ってそうな人を見かけたら声をかけて下さいね」
「ここに、後輩の暴走に困ってる人間がいるんだが……」
「頑張っていきましょう」
無視された。と言うより、気付いてすらもらえてない。自覚がないって怖いね。
「しかし、困ってそうな人ねぇ。んなアバウトな。そもそも自身の現状に困ってない人間なんているのか?」
『哲学にしないで』
下らない言葉遊びだ。要するにオレは集中していないと言うことである。オーガスト先輩も同様で、何やら木漏れ日に手をかざしながら、空を見上げている。見た目が美しいだけに、まるで一枚の絵画のようだ。
オレ達二人の態度を見ると、なんともリーさんの行動は空回りだ。いや、それを申し訳ないとは思っている。けれど改める気はない。やはり世の中はままならないな。
レーゼツァイセンは世界樹を中心に東西南北、放射線状に四つの大きな通りがのびる。そしてその間を蜘蛛の巣のように細かい道が作られている。その道の中でも、比較的大きな道を歩く。ところどころにポツポツと様々な出店が出ており、その中の一つから、甘い豆菓子をシンシアに買ってやる。まだまだ寮生活で不便を強いているのだ。少しくらい甘やかしてあげないとな。
ふと前方を見ると、小さな定食屋の前に人だかりが出来ていた。オレは入ったことのない店だが、名前だけは知っている。出される料理が特盛で有名な店だ。
「どうしたんでしょうか。まさか食い逃げですかね」
「それであの人だかりはおかしいでしょ」
リーさん達も気が付いたようで、首を傾げている。
「少し覗いてみましょうか。ちょっと、すみません。何かあったんですか?」
リーさんが手前にいた男に声をかけた。




