行きますよ!
腰から下げた連絡用図書が明滅しているのを、彼女は今気がついた。しかし彼女はつい先ほどまで仕事に従事していたので、そのことを責めるのはいささか酷だと言える。
「んー、はいはい。誰からかな?」
連絡用図書は、あらかじめ図書に記されてある文字を選択することで、リンクしてある遠方の図書にメッセージを送れる優れ物だ。いわば、手紙の即時伝達のようなものである。また、これの評価すべき点は、図書同士の直接的リンクによって伝達されるので、盗聴や盗読の恐れがなく、通信妨害も受け付けない。電話というものがあってなお、連絡用図書が好まれる理由である。
開いた白紙のページに、ぼんやりと文字が浮かび上がってくる。
「なになに、ふむ。あぁ、もうそんな時期かぁ」
図書に書かれた内容を読んで、彼女は一人納得する。そして、素早く返事を打ち込むと、再び連絡用図書を腰に下げた。
「まて!」
彼女の背後からくぐもった声が聞こえる。
「何処へ行くつもりだ。とどめは刺さないのか」
それは、星四魔獣、一角巨人だった。鉄のような皮膚を持つ身の丈六メートルはある巨人は、その片膝を地面につき、なんとか倒れ臥すのをこらえている。
「うん。今回は警告。ただし、次人間に悪さしたらわかんないよ?」
女性はカラカラと快活に笑って答える。その右手には、彼女の身体程もある巨大なハンマーが握られていた。
「わかった。心する」
一角巨人は悔しげに呟いた。かの魔獣の一番の特徴である頭部の太い角は、不自然な形で根元から叩き折られている。
「いいねいいね。賢い子はおねーさん大好きだよ」
一角巨人の神妙な態度に満足げに頷くと、彼女は歩きだす。
『なんだ、また仕事か』
すると、突然ハンマーから声がした。
「うん、まあ半分は休暇みたいなものだけどね。さてさて、あの屁理屈坊やは、少しは成長したのかね」
巨木が鬱蒼と生い茂る深い森の中、木々の枝に遮られて陽光の届かない暗い道を、少し嬉しそうに彼女は歩いていった。
「依頼がこない!」
突然叫び出したリーさんに、チラと視線を向ける。今日も彼女は白い制服をピシリと着用している。美しい亜麻色の髪をポニーテールにしている彼女は、あいも変わらず美人だ。ただ残念なことに、その表情にはいつものような余裕がない。
「いや、別にいつものことじゃん」
オーガスト先輩に頼まれていたジュースの缶を彼女に手渡しながら、席に着く。
「ん」
オーガスト先輩は、本を読みながら器用に片手でプルタブを開け、缶にその整った唇をつける。ゴクゴクと喉を鳴らす音が聞こえてきて、オレまで喉が渇いてくる。
「あ、先輩おつりを」
「いいよ、あげる」
まじか。購入したジュースよりもおつりの方が額が多いのだが。これだからオーガスト先輩のパシリはやめられねぇぜ。いや、断るのが怖いとかではなく。
麗らかな午後だった。天気は良く晴れ、少しずつ夏を感じる気温になってきた。世界樹の薄桃色の花弁も、すっかり散り終わって、その枝には新緑の色が見え始めている。雲ひとつない青空に、鮮やかな緑がよく映える。
今日もいつものように午後から個室に集まったチーム299の面々だが、特に仕事の依頼があるわけでもないので、午後の陽気の中、それぞれが好き放題振舞っている。別段、みんなで仲良くおしゃべりをしていたわけではない。例によってオレがオーガスト先輩にパシらされて、帰ってきた部屋は静かなものだった。その静寂を、リーさんの叫びが貫いたのだ。
「何を余裕ぶっているんですか! もっと危機感というものを持って下さい!」
バン、と机を叩くリーさんの手の調子に合わせて、オーガスト先輩がスッと缶ジュースを持ち上げる。息ぴったりだなぁ。昔はめちゃくちゃ仲悪かったのに。時の流れとは偉大なものだ。
火焔兎討伐作戦から二週間。オレ達は一度も依頼を受けていなかった。よほど人気のないチームでも十日に一度は依頼をこなす。ここまで仕事をしないチームは他にないと言っていい。
「だからって焦ってもしょうがないでしょ。果報は寝て待て。のんびり行くのが大事」
とは言え、オーガスト先輩は取り合わない。ここまでいつもの流れである。だが、
「いい加減待ちくたびれました! もうそろそろ行動に移すべきです!」
今日のリーさんは一味ちがった。何が違うのかと言うと、つまりはいつもよりめんどくさいのである。
「外に出ましょう。こんなところにいつまでも座っていても始まりません!」
「えー」
一応形だけ抵抗する。それが徒労に終わることは、これまでの経験からよく理解しているのだが。
「外ってなに? どうすんの?」
「フィールドワークです。外に出て、依頼になりそうなものを探して、無償でお手伝いして名前を売るんです。フィオ・オーガストは、サクラ・ミナセは、こんなにもちゃんとした人間になったんですと、アピールするんです!」
「いやでも、それ実態が伴ってな……」
「それはそれです。お二人はうわべで構いません。まずは少しずつイメージを変えていきましょう!」
目に爛々と光りを灯しながら話すリーさんには、もうなにを言っても仕方がない。
「はあ、わかったよ」
「しょうがないね」
オレとオーガスト先輩が重い腰を上げた。正直午後からの講義もある。それほど長い間のこととは思えない。ちょっとした散歩だと思えばいいのだ。
「よし、ではお二人には午後の講義はお休みしてもらいます」
「え」
「え」
「なんですかその顔は。お二人がこのチームの現状をどう認識していらっしゃるのかわかりませんが、本当に不味いのです。手遅れになる前に手を打たないと!」
どうやら、リーさんは本気のようだった。両手にぐっと力を入れて、一人メラメラと燃える彼女を遠目に見つめる。あのリーさんがオレ達に自主休講を促す時が来ようとは。世の中わからないものだ。
「ほら! 行きますよ!」
嫌な予感を感じて立ち止まるオレとオーガスト先輩の手を取って、リーさんはグイグイ進んでいくのだった。




