さて、講義をはじめようか
また始まった、という顔の生徒らと、真剣に講師の話を聞こうとする生徒らと、反応が分かれる。前者は二年か三年生で、後者は新入生だ。早く講義を進めて欲しい生徒もいるだろうが、それは無理な話だ。この講師の自己紹介は講義前のテンプレート。既に定着した内容を全て話し終えるまで講義が始まることはない。
「趣味は戦術シュミレーションと、生徒いびり、図書士階級は『結の第二章』だ」
結の第二章とは、上から数えて三番目、大陸に二十人といない実力者の証だ。コーエン先生の凄さは大陸中に轟いているが、改めて本人から言われると、余計素晴らしいものに聞こえる。新入生たちの尊崇の眼差しが強くなる。超高名な図書士に指導してもらえるのだ。嬉しくないはずがない。しかし、この反応はコーエン先生の求めるものではない。彼の自己紹介の真骨頂は、次の内容だ。
「そして、既婚者で娘が二人、まごが四人の七十四歳だ」
一瞬、講義室がシンと、凍りついた。上級生たちは心得ているので、誰も言葉を発しない。新入生たちは、みな戸惑いの表情を浮かべている。これは笑うところなのだろうか、どう見てもコーエン先生は二十代前半の青年だ。辺りをキョロキョロ見回したり、隣の者とヒソヒソ話を始める生徒もいる。新入生たちに生まれた疑念と困惑が講義室をみたす。
コーエン先生はニヤニヤと満足げに生徒達を眺めている。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
凛とした少女の声が空間を弾くように発せられた。その声の主は、珍しく制服をきちんと着た新入生で、背筋を伸ばした美しい姿勢で起立している。亜麻色の髪の毛を後頭部やや高めのところでまとめており、白いうなじが艶やかだ。毅然としたその態度は、名門貴族の出身を感じさせる。
「かまわんよ。 なんだね?」
「はい。 早く講義を進めて下さい。ただてさえも、意識の低い上級生のせいで遅れています。正確には二十分の遅れです」
「ふむ、なるほど道理だな。さて、意識の低い上級生二名、どう思うかね?」
「 僕も彼女の意見に賛成でーす」
「おれもっす」
ついでに、新入生たちに助け船を出してやる。
「あと、あんたの見た目が若々しいのは、魔書契約の影響だ。寒いジョークでもボケ宣言でもねぇ」
オレの言葉に、新入生たちが得心する。かなり、有名な話なのだが、今回は知らない生徒が多かったみたいだ。
「なんだ、サラッとばらしやがってつまらん。まあ、そう言うわけだ。付け加えておくが、儂が契約で差し出したのは肉体の時間経過だ。別に不老不死でもなんでもない。体力や、運動能力、治癒力などは年相応だ。見た目はこうだが、身体はかなりガタがきておる」
コーエン先生はまっすぐにオレを指差す。
「あそこにおる意識の低い失神顔も契約者だ。そこの水精霊に肉体の黒と体力を奪われておる」
何人かの視線がオレに向けられる。糸が絡みつかれたような気持ちになって、手でほどきたくなる。ただ、前を向け、お顎で支持するだけにとどめる。
かつては黒髪黒目で、少々目立つ風貌だったオレだが、今では白髪白眼のかなり悪目立ちする容姿にかわっていた。
「君らも今後、魔書と契約する者が出てくるだろう。その時にはよく考えることだ。契約で得る力と失うモノ、きちんと天秤にかけてな。こういう、儂らのような世間から浮いた存在になることの覚悟を、今のうちからしておけ。さて、講義を始めようか」
オレ自身、この話を聞くのは三度目だ。その度に自分の覚悟の甘さを突きつけられてきた。今回もそうだ。
毎度おなじみの自己紹介と忠告がおわり、いよいよ講義が始まる。講義室の室温が少しだけ上がったように感じられた。




