「壊せない足枷」
自分が緩慢に殺されていく。またこの夢だ。
縛り付けられ、鋭利な刃物で肉を切られ、削り落とされ、その場所に、何か別の物が埋まっていく。まるで現実のような、息苦しい感触と激しい痛み。
だが違う。現実の痛みは知っている。自分の腕に刃物が突き刺さり、切り開かれる感触は知っている。それと比べれば取るに足りない、ただの幻覚。
悪夢なのかもしれない。しかし、悪夢ではないかもしれない。夢の中の自分が完全に殺されたとき、新しい自分が生まれているのかもしれないから。
実際に、切り落として新しいものと置き換えた部分もあるな。そう考えたら、急におかしくなって、涼は笑ってしまった。
ちょっとした暗示なのだろうか。下半身だけに限らず、体を加工しているわけだから。自分と、涼太という少年を繋ぐ線は、どんどん薄れてゆき、そして切れるだろう。
思えば、ずいぶん変わってしまったものだ。
自分の体のあちこちに触れながら、涼は思った。そして、どこまで変われば、昔の自分を完全に殺してしまう事ができるだろうか、そうも思った。
過去の自分を否定し、消し去ろうとする事に、何の負い目も感じてはいない。それどころか、それは必ず成し遂げねばならぬ事だと、強迫観念じみた決心まで固めている。
過去を受容し、認めるという選択肢は、ない。選ぶことに何の意味もない。意味があるとすれば、「可哀想な自分」を競い合い、傷を舐め合う仲間ができる事くらいだろうが、そんなのは願い下げだ。
少なくとも、同じ目標を持っている人間相手でも、昔話をするつもりはないどころか、関わるつもりもない。むしろ、そういう人間にすら気取られないようになりたい。
だから、変わり続けないといけない。幸いにして、三十路にもなって始めた連中と比べれば、自分に残された時間、許された時間は差し迫っていないだろうと思っているから、変わっている事が気付かれないように、慎重に、慎重に。
鏡を見る習慣がないらしい者が、自分の足元までも見ないで全力疾走している様は、はたから見ていかに滑稽な事か。そして、小さな石につまづいただけで致命的なダメージを負っている姿は、いかに無様なものか。
そういう手合いを目にする事もあり、涼は知っている。そして、そうなりたくはない。
……まあ、もし走ろうとしても走れないだろう。何かに足を引っ張られ続けているからだ。
私の足を引っ張っている物は何だろうと考えるたびに、すぐに同じ答えが出てくる。それは、涼太という少年だ。厳密には、涼太という少年の記憶だ。
それはいくら殺そうとしても死なずに、涼の足枷であり続けている。涼太を極限まで追い詰める事はできるのだが、しかしとどめを刺す事ができない。
自分を殺すのは怖いからできない、というわけではない。相手がしぶとく、とどめを刺せないだけだ。そして、とどめを刺せない理由について考えると、ひとつの結論にたどり着く。
涼太には、自分にはない「拠り所」がある。だから強いのだろう、と。
たまに夢を見る。夢を見ていたころの夢を見る。
ほんの数年、いや、数年もの間、自分は幸せなのかもしれないと思っていた。そして、もっと幸せになれるのかもしれないと思っていた。その頃の夢を見る。
その幸せは、想像しうる最悪の結果を迎えた。もしも本当に死別ならば、どれだけ美しい思い出にできただろうか。と思った直後、涼は首を振った。美しいと、まずい。
これ以前に、涼太の拠り所になっている男を探し出し、殺そうかと思った事はある。自分は精神科に通院していて、かなり強い薬を出されているのだが、それに加えて、日常生活を送るために嫌でも培ってきている演技力をもってさらに重症と診断されてから決行すれば、どうだろうか。
無罪や執行猶予は到底期待していないのだが、少しは刑期が短くなるだろうか。あるいは強制入院で済むだろうか。そんな事も考えた。
やる気になれば、できる。風の噂で、大体の居所は掴めているからだ。しかしさすがに実行はしていない。やはり刑務所行きにはなりたくないし、それを実行してしまうと、もしかすると涼太は、今度は永遠に朽ちない拠り所を持ってしまう恐れもある。
ただでさえ勝てるか分かった物でない涼太に、これ以上強くなられては目もあてられない。だから、あの思い出はあまり美しくあってほしくはない。
せっかくの休みの半分を、思索に費やしてしまった。腹も減っているから何か買いに出よう。
こんな時には、少しだけ思う。ちょっとしたコンビニへの買い出しでも、ある程度服装を整え、化粧もしないといけないというのは、面倒なものだと。
サングラスでもかければ目元は手を抜けるし、マスクをすれば口元も手を抜けるのだが、両方というわけにもいかない。それでは不審人物だ。
考えている間に化粧は終わっていた。涼は少し満足気に笑うと、買い出しに出かける事にした。




