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「思い出」

 特に普段と何も変わりはない。いつも通りにコンビニへ行き、いつものコーヒーと弁当、チョコレートと雑誌を買い、部屋へ戻るだけだ。


 人とあまり話していない。今日は休みとはいえ、他人とした会話は、「お弁当温めますか」「いいです」程度のものだった。仕事の日であっても、バイト仲間と仕事上の会話か、ちょっとした雑談だ。そのちょっとした雑談に話を合わせるために、この雑誌を読んでいるし、あまり面白いと思わないテレビを見ているのも、そのためだ。


 どうも行動力や勢いをなくしたかな、と思いながら、何年か前の事を思い出した。

 寒い日だった。涼太が、大学をやめる事と、究極の手段を講じに行く事を親に話しに行った日。

 母親は泣き、父親は涼太を殴った。涼太は表情を変えないまま、テーブルの上のガスコンロの火を消し、熱せられていたすき焼き鍋の中身を父親に向けてぶちまけ、その鉄の鍋で父親を殴った。何度も、何度も。すがりついて止めようとする母親も殴った。

 父親はうめき声を上げているだけで動けないが、まだしつこくすがりついてくる母親を涼太は蹴り倒し、一方的に宣告した。

 お前達二人には、子供なんかいなかった、と。


 反省も後悔も、微塵もしていない。ただ、熱せられた鍋を握ったときの火傷跡が、今になっても残っている事だけが気になっている。

 父親が身障者になったらしい事も、気にしていない。

 確かにあの男は、私を出来損ないと呼んだんだ。その出来損ないの親として、妥当な姿になったのにすぎない。あれから親とは会ってもいないし、葬式に行くつもりすらもない。


 なぜかおかしくなって、涼は笑った。

 いや、笑われているのかもしれない。そんな行動をしたような奴が、女の子だって? そんな風に、自分に自分が笑われているようだ。


 涼は、ふと気付いた。

 そうだ、自分に足りないのは、思い出だ。美しいか汚いかは置いて、その思い出の数において、涼太に圧倒的に負けているから、私は勝てないんだ。


 ならば思い出を作ればいいのか? どうやって?

 適当に恋人でも作って、せっかく作ったのにクモの巣が張っていそうな、この偽物の処女でも差し出すか? またノートの書き直しが必要だ。この歳まで処女ってわけにもいかない。

 だんだん良くない方向に流れてきている。普段ならこういう時は薬を飲んで寝てしまうのだが、今日はそうしなかった。うまくすれば、何か有効な案が浮かぶかもしれないから。


 会いたい。

 ふと、そう思った。涼太を、ひいては自分を縛り付けて離さないあの男と、決着をつけるべきなのではないかと。

 さすがにもう殺そうとは思っていないが、まあ何発かひっぱたいてやっても罰は当たらないとは思う。とにかく、一度会って話くらいはしてみるのもいいかもしれない。


 だが、会って何を話そうか、何を話せばいいのだろうか。

 「なぜだったのか」を聞こうとは思わない。分かっているからだ。自分でも、あの頃の自分は最悪だったと思うし、逃げたくなったのも分からないでもない。いや、はっきり分かる。

 恨み節なら幾らでも聞かせられると思うし、責任を取れと泣きつく事もできるだろう。だがそれはどちらも、涼太がしたい事だ。

 今の自分がしたい事、話したい事は、何だろう。


 涼はしばらくそうやって悩んでいたが、結局は、何かが変わるかもしれないから会おうとしてみよう、と結論を出した。

 一応、ジュンと共通の知人はいる。日頃から思っている、自分の過去を知っている人間はそばにいてほしくないという考えによって疎遠にしていたので、今になって相手をしてくれるかはどうか分からないが、元々向こうと付き合いは長い相手のようだし、ジュンが今どうしているか知っているかもしれない。

 まずはそっちを当たってみようか……と考えているうち、ふと時計を見たら、半日どころかほとんど一日を考え事で過ごしてしまった事に気付き、溜め息をつくと、涼は寝ることにした。


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