「私」
また悪い夢を見て、涼は目を覚ました。
どこかよくわからない所で、自分が何かの拷問でも受けているかのようで、だんだん息が詰まって行き、緩慢に殺されてゆく夢だ。
似たような夢は、今まで何度も見ているのだが、ここのところ、頻度が高まっている。
涼は軽く頭を振って、まだ頭の中にある悪夢の残骸を振り払うと、シャワーを浴びて、化粧を始めた。
涼は、表向きには自分は女であるという事で通しており、アルバイトではあるが、女として仕事もしている。
涼の肉体は、投薬や、様々な外科的な処置によって、元々あった姿からは大きく変化しており、もし誰かが涼の裸の姿を見たら、「男であるという、一番分かりやすく決定的な証拠がないのだから、女だろう」と思うに違いない。
涼の背丈は、女にしてはやや高いのだが、やはり外科的な処置によって変化させた顔つきと、訓練によって何とか出している声からも、恐らくは見破られる事はないだろう。
世間には、単純に女装を趣味としている者も多いし、涼と同じ願望を持っているようでも、素材が絶望的だったり、努力をしているように見えない者も、非常に多いものだ。
しかし涼は、それらについては何とも思っていない。
前者については、自分には関係ない。個人の自由だから。しかし、後者については、何とも思っていないというより、それを認識してはいけない、何かの感想を抱いてはいけない、そんな風に思っているし、何らかの接触を持つつもりもない。
変化の過程にあっては、そういった手合いとも少々の繋がりを持っていたし、何かしら有効な情報が得られないかと考えてもいたのだが、結局、手間や時間と、得られたものを天秤にかけた結果を考えてみると、何の役にも立たなかったどころか、害悪でしかなかった。
理由について考えを巡らせると、幾つも出てくる。
まず、自分の変化の過程を知っている人間など、いなければいないほど良かったという事に、その時は気付いていなかった。
そして当時の涼は、それほど見た目に自信があるわけではなかったが、それでもなお、明らかに醜悪に感じる化け物が多数いたし、そして、そういう者に限って、声ばかり大きいし、パワーゲームや政治活動が好きなもので、そういったものに何度も巻き込まれて、辟易してしまった。
そして何より、自分でもずいぶん性格が悪いものだと思ってしまうのだが、そんな醜悪な連中が存在する事そのものが、不快だった。
この変化を開始する事が許される年齢には上限があり、それはさほど高くはないと、涼は思っている。そして何よりも、それなりの素材がなければ、変化を願ったとしても、所詮かなうはずはないと認識している。
しかしそこでは、明らかにそれらの境界線を超えている人間が、遅れを取り戻すかのように、大声を張り上げながら、醜く踊り狂っている。そんな物を見せつけられるのは、たまらなく不快だった。
ある意味では同族嫌悪なのだろうか、と涼は思った。自分も、他人から見れば、こんなものなのかもしれないと。そういう反面教師的な意味では、ああいった連中との関わりは全く無益だったとは言い切れないわけだが、やはり総合して考えてみると、貴重な時間を大損したように思っている。
時間は貴重だ。高校を出てすぐに始めた自分ですら、遅くはないにせよ、早いとは到底思えない。高校にも行かずに始めていれば、学校による拘束時間や、成長期との兼ね合いもあり、単純に三年分よりも、さらに進歩をしていただろう事は間違いない、そう考えているが、高校へ通った事については、後悔はしていない。
思い込みでしかないかもしれないのだが、中卒では進路は非常に限られたものになるし、涼の望むところではない、「偽女である事を売りにする仕事」を、定職として選ばねばならない危険性も高まるだろう、そう思ったからだ。
大学にも入りはしたのだが、一年もせずに退学した。少なく見積もって後四年も、男として生きていくのは嫌だったし、大学に行くならば、生活面でも金銭面でも親の影響を受け続けなければならないし、そして出る時には、親はお堅い就職というものを求めてくるだろうから。
考え事をしている間に、化粧は済んでいた。上の空でもそれなりに化粧ができるようになっている自分に少し満足して、涼は仕事に出かけた。




