プロローグ 騒がしき日常
空に白線が描かれる。
快晴の青い空を背景に一直線で伸びたそれは、ひどく目立っていた。
線は雲だった。
しかし、雲は自然にできたものではない。
人口的に作られた、すぐに消えてしまうような雲だ。
その先端。雲の発生源というべき場所に影があった。
航空艦だ。
両端に翼をもっているため、艦というより鳥と言うほうが似つかわしい。
その艦尾にある加速用の出力口。そこから出る熱を持った空気が、空の大気に冷やされ雲を生んでいたのだ。
艦は雲生み、風を起こしながら、空を行く。
すると、声が響いた。
船の上部、ガラス張りになっている場所だ。遠くから見れば直角三角形の形をしているが、実際には斜辺の部分が外部のフレームの添って軽く外にカーブを描いてる。
そこには一組の男女がいた。
どちらも制服を着こみ、胸には青く小さなバッチをつけている。
「七華ちゃん。シラサゴまであとどんくらい?」
声の主は男だ。伸ばされた白い髪を首筋で一纏めにした初老の男。
彼は、真ん中に用意された椅子に座っている。
そして、その問いに答えたのは、彼の後ろにいる少女だ。
「およそ一時間だそうです。五十分後には、浄化圏内に入るでしょうね」
薄青い色のショートヘアでメガネをかけ、七華と呼ばれた少女は、無愛想に言葉を投げる。
「おじさんとしては、もうちょっと愛想良くした方がいいと思うよ?女の子なんだしさぁ……」
ガシガシと頭を掻き、笑う男に七華は半目で、
「余計なお世話です。それに、仕事ほっちらかしてこんなところに来ているダメ男に向ける愛想はありません」
「厳しいなぁ……そんなに仕事しないのが悪いかねぇ……」
彼はガラス越しの空を見上げ、一息つく。
「もっとさ、余裕をもっていようよ。仕事とか生き方とか切羽詰ってたらなぁんも楽しくないよ?」
呆れたような口調の男に、しかし七華は、
「それを理由に仕事をさぼらないでください。ツケが全部こっちに回ってくるんです」
それに、と、言葉を付け加え、続ける。
「そんなのんきな事、言ってられる場合ですか?」
七華は男を睨みつけるような目で見る。
「まあたしかに、その通りではあるよねぇ……」
後ろを見ていない男はその視線に気づかず、しかし、雰囲気で感じとったのか真剣な面持ちで、喉を震わせる。
「下にある大地は瘴気に汚染され、同じく瘴気に汚染された化け物達がうようよいる。唯一、人が住めるのは空に浮かぶ都市群だけ……」
一息。
「だけど、都市の数も規模も有限。限られた資源と場所を、奪い、守るのにみんな必死だしねぇ――ほんと大変な世の中だよ」
しみじみと言う男の言葉に、そうですね、と七華がうなずく。
「生きるために皆必死です。だから生きるためにあなたも必死で働いてください」
「そうきたか……」
男は苦笑を浮かべ、まいったと言わんばかりに両の手を上げる。
「はいはい、誠心誠意、一生懸命お仕事させていただきますよ」
そして彼が椅子を立と腰を浮かした時、背後にある扉が開いた。
「なんだ、二人ともここにいたのかい」
入ってきたのは、赤い髪を腰あたりまでのばした制服の女。
彼女は二人にそう声をかけると、右腕を振る動作で空中画面を呼びだし、通信回線を開く。
「おい黒、七華とグランのおっさん発見したから、すぐにそっちに連れて行くさね」
『うん分かった。あ、そうだ、ねえさ―――」
明らかに続きを喋ろうとしたのを無視して、彼女は画面の上部を軽くなぞるような動作をもって空中画面を閉じる。
しかし、それに誰も何も突っ込まないし、注意もしない。彼らにとってこれは日常の一部だからだ。
「紅姉さん……すいません。お手数掛けしました。私がこの人を連れていく役目だったのに……」
申し訳なさそうに頭を下げる七華に、紅と呼ばれた女はいやいやと手を横に振り、優しい口調で
「元々、そのおっさんが仕事さぼったのが悪いんだ。気にすることないさ」
グランの、結局俺が悪者かぁ、というつぶやきをスルーし、七華が微笑で返すと同時。軽快な通信音が鳴り、七華の目の前に空中画面が呼び出される。
画面に映ったのは黒髪の少年。名前は黒だ。
『あ、よかったぁ、繋がった……七華、ちょっと画面かりるね?』
七華はどうぞ、と返事をする。
安堵した画面越しの彼は、枠ごとくるりと反転し、紅のほうを向く。
『―――姉さん酷いじゃないか!いきなり切るなんてッ!」
「ああ、ごめんごめん。、嫌な予感がしたから、つい……」
『ついじゃないよ、まったく……って、それどころじゃなかった』
彼は、思い出したかのように顔を焦りに染める。
『今そっちに鷹人が突っ走っていったんだ!―――アイナ抱えて』
その言葉が終わるか否かのタイミングで、入口の奥から地響きに似た音と、かわいらしい悲鳴が聞こえてきた。
「あぁ、嫌な予感があたっちまったよ……」
紅は額に手をあて軽く上を仰ぐと、扉から数m後ろに下がる。
「いやあ、相変わらず元気だね、鷹人は」
「元気すぎるのも問題な気がしますけど」
三者三様の反応を見せた彼ら。
すると、勢いよく扉が開け放たれた。
「よう、皆!」
威勢のいい声で入って来た彼―――鷹人は、皆と同じ制服を着ているが、胸のバッチは赤だ。この赤色バッチは艦長の証である。
栗色の髪と鋭い目が特徴的な彼は、小脇にぐったりとした桃色髪の幼い女の子を抱えていた。
「……鷹人先輩。とりあえず説明していただけますか?なぜアイナを抱えているのか。なぜ走ってきたのか。なぜこちらに来たのか」
「おいおい、そんなに質問ぜめしないでくれよ。俺の脳がキャパオーバーするぜ?」
自慢気に言う鷹人。
「そんな胸を張って言うことではないですからね、それ」
七華は呆れ、助けを求めるかのように紅へと視線を向ける。
しかたないさね、と言いたげな表情で吐息をつき、
「とりあえず、アイナを降ろしてやんな」
紅は、彼の脇に抱えられている少女へ顎をしゃくる
「おお、そうだったそうだった……」
鷹人がアイナを降ろそうと腕のホールドを緩めた瞬間、しかし、少女はバッと顔を上げ彼の腕から逃れると、地面を勢いよく蹴り、飛び上がる。そのまま空中で三回転を決めてから着地。
すぐさまに鷹人のほうへと振り返る。ここまでワンセットだ。
そして、大きく踏み込みを入れ加速をつけると、
「なにしてくれとんねん―――ッ!!」
とび蹴りを放った。ゴフッ、というくぐもった声がガラス張りの部屋に響く。
蹴られた鷹人は、数mほど地面をバウンドしながら転がり、ガラスの壁に激しい音を立てて激突した。
しかし、ガラスは割れない。
「ふぅ……スッキリした」
アイナは清々しい笑顔でかいてもいない汗をぬぐう。
「八十点ってとこかね」
「なら、私からは九十点を」
紅と七華が冷静にとび蹴りの点数をつける。それを聞いてアイナはガッツポーズをつくった。
「いってぇ……、おいアイナ、いきなり何すんだよ!」
部屋の端、腰をさすりながら立ち上がり講義の声を述べる鷹人に、アイナは右人差し指を立て、
「なにするやあらへんがな!こっちが言いたいわ、つか言ったわ!―――いきなり人の事を抱えて走り出しよってからに、死ぬか思うたわ!」
「だって、そのほうが早いだろ!?」
「別にそこまで急ぐ必要はあらへん!おかげで、うちが黄泉の国へ急ぐところやったわ!」
「おお、うまいこと言ったな!」
「やろ?―――ってそうじゃなくて!」
二人のコントのようなやり取りに、苦笑や、軽い笑い声が漏れる。
これも彼ら、フェンリル傭兵団の日常だ。
しばらくして、やり取りが一通り終わり空気に間ができたタイミングで、しばらく放置状態だったグランが口を開く。
「でさ……、なんで皆して、俺を探してたわけさ?そんぐらい大事な用があったんじゃないの?」
そうそうと、紅が鷹人を見る。
「アタシらは、そこのバカに言われて探してただけさね。なんでも全員に伝えることがあるんだと」
「通信じゃなくて、わざわざ口頭で?」
「そうです。だから私が、貴方の仕事部屋に呼びにいったらいなかったので探しにきたんです」
余計な手間をかけさせないでください。という七華の言葉に、グランは謝りを返すと、鷹人に目を向ける。
「んで、艦長。全員に伝えることって?」
鷹人はアイナとのジャレあいをやめ、軽い口調で
「ああ、なんかこの艦の管理OS日柳から俺宛てで連絡あってさ、なんでも左翼の出力口が故障でもうすぐぶっ飛びそうなんだってよ。俺にはよくわかんねえけど、結構ヤバ目なんだろ?伝えたほうがいいかと思ってさ!」
「それを早く言えよッ!!」
この艦日柳は、艦尾の出力口で加速し、両翼の出力口でバランスをとっている。
そのうちの一つがぶっ飛んだとなれば艦はバランスを崩してしまう。
だから、その場合は人間が舵をとり、各部の出力を調整しなければならないだ。
轟という、腹の底に響く音が聞こえてきた。
左翼からは、黒い煙があがり、部屋一面に警告の文字が記された空中画面が現れた。
「みんな、急ぐよ!!」
皆があわてて操縦室に向かう。
鷹人は七華に襟首をつかまれたまま引きずられ、遅れてここにやってきた黒が状況を理解できずおろおろするのを紅が一喝し、ついて来させる。
アイナは、「これはヤバいで―――ッ!」などといいながら、走っていく。
これも日常の風景だ。
「やれやれ、騒がしいねぇまったく……」
グラン嫌そうな口調ではあるが、しかし顔がすこしニヤけている。
「……さて、俺も行きますか」
席を立ち、ゆっくりと歩きながら彼も出入口へと向かう。
「おっさん、早くこいよ!」
鷹人が出入口から顔をのぞかせたので、グランは、わかってるわかってる、と返事を返す。
すると彼は、ニッと無邪気な笑みを浮かべた。同時に七華によって首を直接つかまれ、グランの視界から消える。
「ほんと、騒がしい―――」
彼は歩む速度を変えず、悠然と行く。
未だ地響きのような音と警報音が鳴り響くが焦る様子はない。
これが、彼らの日常。
危険の中でも笑顔が生まれる日常だ―――