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陸議戦記・序曲

作者: 劉平

夷陵の戦いについて、描写は淡白ですが小説を書いてみました。

尚、史書必ずしも同じでない点も、所々見られるかと思いますが、

どうか寛容な目でお読み頂けるよう、お願い致します。

嘗ての英雄は、狂気と憤怒を露にしていた。

−劉備。その男は、夷陵にて敵に猛撃を加えていた。

それに対するは、呉の司令官陸議(後の陸遜)である。

陸議は、今は亡き呉の名将、呂蒙に才を見込まれた男だ。

陸議は若い方でもないが、世に知れ渡っているというわけでも無かった。

今回大抜擢されたが、彼がその才を揮うことになったのは何も今回が初めてということではない。

過去、彼は山越討伐に専心していた。山越とは、呉国領内にいる異民族のことで、呉の名将の殆どは山越討伐を経験している。

無名であったのは、表舞台に出てこなかったからであろう。しかし、呂蒙の眼は間違ってはいなかった。

彼は用兵においても経験豊富であったが、権謀術数にも巧みであった。

呂蒙が関羽から荊州の地を奪えたのも、彼の計略に拠るところが少なくない。

−とはいえ、呉国内でも未だその名は広まってはいない。

であるから、今回の戦役に従軍した古参の徐盛・潘璋・朱然などは少なからず不満を持っていた。

しかし、陸議は未だ嘆息の言を吐かない。それに、初めて大軍を率いたという割には指揮に大きな支障もない。

尤も、あくまで「初めて大軍を率いた陸議にしては」という程度であって、歴戦の英雄の前には苦戦を強いられていた。

王族の孫桓が包囲されていると聞くや、諸将は「速やかに援軍を送るべし。」と進言したが、彼は取り上げなかった。

これには孫桓も疑念を抱くが、司令官の命令に叛くわけにもいかず、孤軍奮闘していた。

諸将は司令官の手腕に疑問を抱き、独断で敵を牽制したが、その度に敵の猛撃にあい後退するハメになった。

一般的に劉備は「戦下手」などと言われるが、その用兵は、歴戦の末に明らかに磨きがかかっていた。

特に建安24年(219年)、劉備が漢中を奪うや、曹操ですら手がつけられない状況となったことは、呉国にも動揺を与えた。

関羽の敗死は同年の出来事であるが、「これ以上手がつけられなくなっては困る」という焦りにも似た感情が孫権を動かしたのであろう。

−今回、彼を信任した呉王孫権は、劉備や曹操よりも一世代若かったが、彼ら以上に老練でもあった。

一見矛盾しているようだが、それが彼の英雄たる所以である。

また、臣下を信任し、彼らの忠誠を尽くさせるという点でも、彼は劉備らより勝っていた。

曹操の場合、彼の英雄的才覚と、才ある者を抜擢するという、 自信と謙虚さを交えた性格が、彼を覇者にのしあげた。

劉備の場合、彼の人間的魅力と、とっさの判断・処世という、「曹操には無い点」が、彼を皇帝にのし上げた。

いずれも人を見る眼に優れていたが、この点においても孫権はやはり彼らに勝るであろう。

−と、ベタ褒めしたはいいが、正史「三国志」の著者である陳寿は

「身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり 人に勝れしものなり」と評しながらも

「疑い深く、殺戮を好んだ、彼が亡国の遠因でないとはいえない」と酷評している。

事実、今回彼が信任した司令官陸議も、後に孫権の「猜疑心」の犠牲者となった。


−話を戻そう。

この戦を仕掛けたのは劉備であったが、勝算は皆無であった。

群臣が親征を諌めたのは、呉との外交関係を気にした、というよりも寧ろ、この勝算の無さが問題であった。

だと言うのに、劉備は七百里にも渡る長蛇の陣(軍の密度が薄い、長い陣である)を敷いたのだ。

これには洛陽で高みの見物をしていた魏帝曹丕も「劉備は戦を知らぬ」と哂ったという。


「陸都督!一体いつになったら敵を破るのだ!」

いつまでも戦線が膠着している戦況を見るに見かねた宿将、徐盛は怒りを撒き散らす。

「徐将軍、そうお怒りになるな、やがて敵は自壊する。」

陸議はあくまで戦局を冷静に見ていた。

局地戦では苦戦を強いられてこそいるが、長い目でみれば敵の戦線は広がる一方で、こちらが兵を束ねれば撃破出来そうな薄さである。

とはいえ、陸議ですらこの長期戦は予想外であった。

−劉備は本当に狂ったのか、それともこれこそが英雄の底力なのか。

そういう惑いが脳内を掠めたが、それ以上詮索するのはやめた。

(私は仮にも呉王より絶対の信頼を得ている、無駄な詮索はやめよう・・・・・・。劉備とはいえ、時勢には逆らえまい。)

敵を必要以上に恐れたり、軽んじたりするのは司令官としては不適格である。だから陸議は常に冷静であろうとした。

「貴方は味方の死までも冷静に見ている!そのような薄情な精神で、どうして敵を破れようか!」

−一瞬、心中を見透かされたようで驚いた。陸議は「この男も時勢に・・・」と思ったがすぐに否定した。

徐盛は自尊心こそ強いが、頼れる勇将である。

「良いか、徐将軍、任侠の道を否定するつもりはないが、その類の発言は慎みたまえ。

 感情に任せて戦を行なえばどうなるかは、君も目の当たりにするであろう。

 韓非子も言っていたではないか、『時勢の流れに沿った政を行なうべきだ。』と。劉備はそれに反している、

 言うなれば彼は負けるべくして負けることになる。天の理をよくよく肝に銘じたまえ。」

 少々含蓄のある言い方をしたつもりだが、それが気にいらなかったのか、徐盛は帷幕から出て行ってしまった。


−「人心の掌握と、法の行使は斉しく行なわれなければならない。」

陸議は、今は亡き恩人呂蒙の言葉を思い出して、初めて、独り溜息をついた。

わかってはいるが、容易に出来ることではない。

今回の戦役でそれを痛いほど思い知った。

今のところ致命的な敗北がないからまだいいが、もし独断に走って負ける者が出てしまえばどうか。

私が責任を押し付けられ、失脚する、というのならまだ可愛い方であろう。

私が居なくなった後、誰が指揮を執るか。そこまで考えてしまうと、恐怖に駆られてしまう。

であるから陸議は司令官として然るべき手法を、今まで無難にこなして来たのである。

−しかし、このままではあまりの激務にいつ倒れるかわからない。

「敵軍が極度に疲弊している」と聞いたのは、そんな危機感に見舞われているときだった。


−「良いか、君は権謀術数に関しては、寧ろ俺などよりも優れている。『阿蒙』だった俺は、その名残が今でも残っている。

  だが君は幼少から学問に励んでいたと聞く。俺などは、長生きしても呉王のお顔に泥を塗ることになるだろうが、

  思うに、君は社稷の臣だ、必ず大成するぞ。」

呂将軍は、こう仰った。果たして非才の私が何故そこまで買いかぶられたかはわからない。

−だが、そう仰った意味がようやく分かった。勝算を知った。勝機を掴んだ。

今や敵は勢いも磨り減り、長期戦の末、戦線や兵站においても弊害が生じているであろう。

だが、あまりにも手堅く、現実的な作戦も、英雄に対しては挑戦でしか無いのだろうか。

否、そうではあるまい。

寧ろ私が救国の英雄にならなければ、この(くに)は、劉備に呑み込まれる。

呑み込まれたが最後、英雄は英傑となる。助長される前に、防ぎとめねばなるまい・・・・。

攻勢に転じる為、私が剣を取った。司令官としては些か野蛮に見えなくも無い。だが、今、私は司令官として劉備と相対するわけではない。

「今より攻勢に転じる!各軍、敵の城を攻撃しろ!」

私は大声を挙げた。

「今更何を仰るか!」

と喚く者もいた。緒戦で敵の鋭気を挫いておけば良かった。−などと言う者もいた。

現に敵は私の攻撃を一度は防いだ。だが、一度だけ、一度だけだったのだ。

私が火攻めを命じるや、兵は意気盛んに攻め立て、敵の屯営を落とした。

崩れた敵軍は一目散に撤退していく。追わねば、また力を蓄える。それがあの英雄、劉備の恐るべき底力だ。

私は諸軍に火攻めと追撃の用意をさせることにした。


−英雄を破るは、英雄。英雄を凌ぐは、英雄。

呂将軍の仰ったことに対する、謙遜の感情も今は消えた。

今なら、奴に、劉備に、英雄として、相対することが出来る。それが呉の兵であり、それが呉の将であり、それを束ねるのが私である!


「『戦場で蛇がくねくねと身を曲げ進んでいたかと思えば、いきなり龍があらわれ、それを呑み込んだ。』か・・・・。」

私は劉備の用兵と、自身の反撃を、稚拙ながら喩えた。


−陸議は朱然に五千の兵を率いさせ、潘璋には敵の司令官馮習を攻撃させることにした。

陸議自身は胡王沙摩柯を蹴散らした。彼自身蛮族を討伐するのには慣れていたし、その点では呉でも一流の戦術家だった。

劉備は馬鞍山まで逃げ込んでいく、撤退は彼の十八番というのもなかなか皮肉な話だが、今回は笑うに笑えない。


だが、蛇が自分より体の大きいものを呑み込むとことがあるいうことを、陸議は知らなかった。


−私は劉備の人気に驚愕した。敵は私が反撃に転ずる以前よりも意気を高くし、気概を持って、我らに抵抗してきた。

敵将杜路・劉寧らは投降したが、他は徹底抗戦の構えを崩さない。劉備は兵法に通じていない、など良くいうがあれは嘘だ。

曹操が兵法に通じすぎていたのである。きっとそうだ・・・・・・。あまりの恐怖に身を揺るがしかけた。

冷静さを保つことなど、英雄と相対することしか考えていなかった為に忘れていた。不覚だ


「−で。」

それとは別の場で、敵を追撃していた朱然(字は義封)が口を開いた。

「その寡兵でありながら降伏はしない、と−。」

−私は敵将程畿に訊いた。

「無論だ!呉の犬如きに降れるか!」

「・・・・聞き捨てならんな・・・・。犬とは・・・・。」

そうは言うが、私は未だ冷静に訊く。

「犬畜生と較べられるのは不愉快だが、その理由くらいはお訊ねしよう・・・・。」

「まず、我が陛下は志が明らかで、しかもそれを曲げたことが無い。まさしく仁者である!」

「ところが貴様らの主孫権はといえば、曹操に頭を下げたかと思えば、我らに泣きつき、かと思えば傲然にふるまい、

 遂には荊州を奪い取った!」

「封土を奪いし逆臣よ!あえて喩えよというならば、人に喩えるは能わず!寧ろ犬と言うのだ!」

「貴様も最後まで抗うか、その志の赴くままに。」

私は、それでも、それでも、平静を装った。

「無論だ!将の心とは、国に忠実でありながら、己を裏切らぬ心にある!」

「覚悟っ!」

何故わざわざ単騎でつっこんでくるか、死地に身を寄せるか、その心は未だ解せ無い。

それは忠義ではないのではないか?忠義とは、もっと身近にあるものであろう。

哀れみの念こそ抱くが、怒りもまたおさまらない。

「射殺せ・・・・・。」

兵に弓矢を放たせた。その数、幾十幾百になろうか。奴は最後まで怒声を挙げ、血に塗れて逝った。

『龍は手に玉を持つ』私は玉に値する劉備の首を狙ったが、不覚にも私は敵の逆鱗に触れたしまったようだ。

私は龍の手ではないのか・・・・。奴は、劉備は、未だに龍なのか・・・・・。


「おい!義封!」

向こうから聞くも不快な大声を挙げる男が、一軍を率いてきた。

「なんだ?文珪!」

−大声を挙げた潘璋、字は文珪という男は、呉の将である。

彼の部将馬忠は、関羽を捕縛した男である。また潘璋自身も「率いる兵は数千だが、一万に匹敵する。」とも言われた名将である。

「三国志演義」では夷陵の戦いの際、関興に討捕られることになっているが、これは全くの虚構である。

「さっさと敵を追って、劉備の首をとらんか!それとも、手柄は俺にくれるのか?」

「ほざくな!俺はお前と違って、兵卒を急き立てる真似はしない!緩急の具合を心得ている!」

「ふん!まあいいわ!俺は馮習を斬ったから、あとは気にせず劉備の首を取れる!」

「ほう、あ奴は気に喰わんが、中々の将なのは否めんな・・・・。」

朱然は、彼の忠勇を恃みにしたものである。


−臥龍か・・・・。

陸議は、思い出したように脳中を探った。

嘗て呂将軍は仰った。

「『荊州に臥龍あり』と聞いたことがあったが、俺は未だそいつの名を知らん。

もし殿の下にいれぱ、その名が知れ渡らぬなんてことはないと思うし、能力主義者の曹操の下であれば

かなりの栄達を極めていると思うが・・・・・。」

−臥龍とは諸葛亮のことである。劉備配下の為政者である。

陸議はその名を知っていたし、今回の戦役には従軍していなかったとも聞いた。

−介するに及ばず。

劉備を破らねばなるまい。それに、臥龍もいつまでも地に臥せるというならば恐れるに足るまい・・・・。



−劉備は今回の敗戦を後悔したが、不幸中の幸いというべきこともあった。

「おお!向寵かッ!」

劉備は思わず狂喜する。

「陛下ぁ!」

向寵も主君との再会に喜ぶ。

「軍はどうであった?」

「無傷で御座います!」

「なんと!?」

「火攻めと聞くや、すぐさま陣払いをしました故!」

「素晴らしい!だが、そうすると朕は随分面目ないことになるな・・・・・。」

途端に落胆する。

「何を仰りますか!陛下の叱咤激励こそ我が軍が勝機を得られるというものです!」

「それもそうか・・・・・。」


更に白帝城に進むこと数十里

「陛下!」

「お!今度は誰か!?」

「孤篤で御座います!」

後の馬忠(呉の馬忠とは別人)である。

「頼もしい限りだ!」

「ご期待通り、敵を防いでご覧にいれましょう!」

「うむ!朕は黄権を失ったが、かわりに孤篤を得たか!」

劉備の喜びは益々増した。


−だが、どうだろう。朕はといえば、敵を配下の者に託すことしか出来ず

己も命辛々逃げ惑うばかり。

−趙雲は何処か!と叫びたいくらいだが、奴はここにはいない。

朕の東征を必死に諌めて来た為、朕も朕で疎んじてしまい、従軍させることが出来なかった。

趙雲がいればこんな醜態を晒す必要は無かった。法正がいれば、此度の東征をせずしてすんだ・・・・・。

三国の一方を占めた覇者も、荒んだ心と、廃れた躰を引き摺るので精一杯・・・・・。情けなくも散々の態・・・か・・・。

この三国鼎立の時代を創り、築いたのは朕であろう。

だが、この時代は、更に深化していく。それは、誰が為すべきものか・・・・・。

禅か?いや、あいつは穏和だが若干頼りない。孔明か?いや、あいつは輔弼者としては有能だが、実戦経験が足りない。

魏延に至っては傲慢で、名士の連中とうまくいかなさそうだ・・・・・。

ああ、誰に遺志を託すべきか?この国は、人が少ないッ!


−人を惹き付けるも、永く留まらせることは出来なかった。流浪の身の為、致し方なかった。

途方も無い後悔と猛省をしたが、彼はこの敗戦の翌年に死去する。享年63。

後、孔明が記した出師の表では、「今蜀は疲弊し、嘆息痛恨すべき事態である。」と書かれるが

この憂国の事態は、間違いなく劉備の大敗が関与しているだろう。

寧ろ劉備が没してから僅か五年で、大国魏に向けて軍を動かした孔明の政治手腕は立派というべきである。


−また話が逸れてしまった。

劉備は大敗を喫し、陸議は見事凱旋を果たした。

劉備が白帝城を逃げ込んだと聞いたら、とある兵法を思い出して追撃を取りやめた。

それは賢明な判断であった、この後、魏が呉に侵略してくることになるだから。

城を良く守った孫桓は次のように言った。

「あのときは、救援を送っていただけなかったので心底お怨みしました。

 ところが戦が終わったあとになって、ようやく貴方の考えが理解出来るようになりました。」

陸議は、満面の笑みを見せた。

都建業にいた孫権もこれを労った。

「君は何故、諸将の命令違反を報告してこなかったのだ?」

孫権の友人でもある朱然が、先の己の愚行を恥じて主君に報告していた。

「私は身に余る君恩を受け、重大な任務を託されました。あの方々は王の腹心であり、股肱の臣であり、

また功臣です。これより後も国家の為に重大な仕事をしてもらわねばなりません。

私は愚か者ですが、藺相如・寇恂の故事にならい、国事を優先させたので御座います。」

陸議は今回の功績で、輔国将軍の称号を与えられ、荊州の牧に任じられ、江陵侯に封ぜられた。


さて、後の悲劇「二宮事件」など、誰が予想出来たであろうか。

当の本人達は無論、龍もはたまた天さえも、予測することは出来なかった。哀しいかな。


ただ一人、この戦役で己天命を予測出来た者がいた。劉備である。

悩み、疲れ、苦しみ・・・・・。幾多の修羅場を切り抜けてきた英雄も、精魂尽き果てていた。

そんな中、ようやく己の天命を知った劉備。天命を知ったのは流石というべきだが、

やつれた英雄がそれを悟ったところで、虚しさしか浮かび上がらない・・・・・。

悲壮であった。永世の友関羽の死の為に、全軍を賭したのも立派であった。

だが、それも敗れれば、「愚人」として後世の謗りと罵りを受ける。乱世の如何ともし難い厳しさである。

「誰に託す・・・・か・・・・。」

嘗ての問いを思い出してみたが、馬鹿馬鹿しい問いである。


本当は別に馬鹿馬鹿しくはないのだが、自分の責任を誰かに押し付けてしまうようで、

彼はこの台詞を発する度に自己嫌悪に陥っている。

今更、真人間に戻ったところで、どうということでもないのだが・・・・・。

もう眠ることになるというのに、目覚めてしまっても意味はない。

日が明ける前に、瞼を閉じよう・・・・・・。ただ、天命の赴くままに、この乱世は動いて行くのであろう・・・・・。

誰が、とか、どうやって、とかではない。兎も角、朕の天命は、ここで終わったのだ。朕は、関羽や曹操のもとへ逝くのだ・・・・・。

諸君、次に会うときもまた乱世だろう。次に会うときは、皇帝になんてならんぞ。なんせ既に天にいるのだ。

曹操、やはり俺は英雄なんかじゃないって、アンタにゃ負けてばっかりだったよ。



−天命を悟れた彼は、それでも賢明な最期を迎えられた。

陸議に至っては、救国の英雄になったまではいいが、亡国の忠臣となった。

尤も、天命などを考えず、国の為に尽くした男。それはそれで立派なのかもしれない。


−「まもなく魏が攻め込んでくるかと存じます。」

「社稷の臣」陸議は陸遜とその名を変え、ただ国を救う為に、その身命を賭すのである。

お読み頂き有難う御座います。

もしよろしければ、是非感想を賜りたく存じます。

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