ラテラル
2024/2/29
病室の天井が夕焼けの空色を真似し始めたころ、今日も君は林檎を持って病室にやって来た。僕が入院してしばらくの見舞いは決まって休日だったが、今日は木曜日。お見舞いの頻度も多くなっている。たくさん会えるのは僕にとっても嬉しいんだけど…
「高校はどうしたの?」
僕は君に尋ねてみた。
「ん、もう四時だろ? 高校なんて終わってるよ。」
「バド部だったろ? 僕が知ってるバド部はこんな時間には終わらないし、休みは週一のブラックだったけど。」
「別に部活なんて休んでもよくない?」
「…そーなの? 部の友達とか…大会とかあるでしょ?」
「君がいない大会にはいかないよ。」
「なら君は一生幽霊部員だね」
「あんたもね」
「……僕は、いややっぱこの話は楽しくないな。」
しばらく沈黙が続いた。その間、君は僕が寝ているベッドの隣にある棚に持ってきていた林檎を置いた。そうしてすぐ僕の右の手を握りながら僕に尋ねた。いつもの質問だ。
「調子はどう?」
そして僕はいつもの答えを持ってくる。
「変わらずだよ。」
この質問とその返答は僕が入院し始めたときから一言一句ずっと変わっていない。しかし、最近この応答が嘘になりつつある。僕の容体は変わっている。いつも君が握ってくれてる僕のその手にはもう感覚が残っていない。君が僕に触れてくれても、僕の手は君に気付けない。そのくせ、僕の体は感じるはずのない痛みを突然持ってくる。さらに酷いことにそれには鎮痛剤が効かないんだよね。本当にこんな手ないほうがいい。けどまぁ、この痛みに関しては切り落としても残るらしいから捨てることもできない。
「今日はどうしたの?」
「君に会いに来た。」
その即答にドキッとしてしまった僕はちょっと悔しい。
「ふふふ、嬉しいけど別に毎日来なくたっていいよ。部活しようよ。」
「ハイハイ」
「そういえば、もう君は先輩になっちゃうんだっけ?」
「……うん。」
「学校はどう? 授業むずい?」
「寝てるから分かんないわ。」
「フハハ、馬鹿め」
「君がいないと退屈だよ。」
「…僕がいても君は授業中寝るよ。」
「それは絶対にない。」
「どうして?」
「私は授業じゃなく君に集中するからね。」
「なるほど、でもやっぱり馬鹿であることに変わりはないな…」
「じゃあ林檎食べる?」
「ははは、そうだね」
2024/4/14
初めは躓いただけだった。でもそこからできないことが増えていった。部活では前のように高く飛ぶことが出来なくなった。走れなくなった。ペットボトルのキャップを開けられなくなった。箸を上手く扱えなくなった。
僕は近い将来、呼吸もできなくなるらしい。
「そんなことを伝えたかったの?」
僕は真剣に僕のその近い将来について君に話した。当然、君は怒った。
「うん、僕の呂律が回らなくなる前にね。君に隠すって選択肢もあったけど、多分僕が話せなくなったとき、死ぬほど後悔すると思ったから…先に話しておきたかったし、謝れなくなる前にたくさん謝っておきたかったから。迷惑ばっかでごめん。」
「…別に迷惑なんか思ったことないし、これから思う予定もないから。そんなことより君が消えることの方が私にとっては大迷惑だよ。」
その言葉はちょっとズルかった、消える以外の選択肢が残されていない僕にとって。
「……人工呼吸器で稼げる時間は長くても数年らしい。見つけられるか分からない、見つかったとして元通りになるか分からない治療法を君の貴重な時間を奪ってまで待つつもりはないよ。」
「ははは、面白いね誰がそんな面白いこと考えたの?」
「そりゃ僕だよ。」
「嘘つき。死にたい人間なんてこの世にいないよ。」
君は怒鳴った。いつも涼しい顔をして僕をからかってた人だから、こんなに感情的な君は初めて見た。
「…それは、けっこう間違ってるよ。死にたい人間はこの世に何人もいるよ。それに別に僕は死にたくて死ぬわけじゃない。僕だってまだ生きたいよ。だってまだ僕は十代だ。お酒の味ももちろん知らないし、僕の恋人がどんな人だったかもわからなかった。知りたかったことを知れないまま、知りたくないことを知らされたんだよ? そんなやつが死を受け入れられるはずないだろ。君には見せてやらなかったけど、僕だっていっぱい泣いたよ。在りもしない神聖なやつに必死に許しを求めて、夢ならさっさと起きろってなんども頬をつねった。痛くなかったのは僕の手の力が弱くなってるからだ。僕の手はもう何も感じないからだ。これは現実だ、僕は間もなく死ぬ。そうやって何度も分からされたけど受け入れられる訳ないよ。僕がつらいのは当たり前だよ。だから君の負担は少しでも減らしたいんだ。」
僕はそう言いながら俯いて涙をこぼした。これほどたくさんの言葉を並べたのに、どれも本心かと訊かれると自信はない。これらは本心でもあり、嘘でもあった。僕は死にたくなさ過ぎて、死にたくなるほど病んでしまったんだ。
「でも私は君を諦められないよ。」
君は僕の手を握っていた。下を向いていたせいで気付くのが遅れてしまった。
「…うん、ありがとう。僕の隣に君が居てくれて嬉しいよ。」
僕はそういって君の赤くなった目を見た。泣かせちゃったな…
「はぁ…」
「何気に君のため息は初めて聞くかもしれない。全然、似合ってないけどいい冥途の土産だ。」
「うるさいな」
「どういたしまして。」
「…私も初めて君の泣き顔が見れたよ。いい…ね。」
「……そんなにブスだった?」
「ははは、うん。」
「チクショー。次、君の前で泣いても泣き顔は隠してやる。」
「私の胸貸そうか。」
「その場合、僕が君の胸を借りパクしてしまうので返ってこないけどいい?」
「気長に待ってるよ…」
2024/12/3
この頃、呂律が回りにくくなってきた。君と会話できる言葉の数が目に見えて減ってきている。あと何日、君と会話ができるだろう。あと何日、君は僕の冗談で笑ってくれるだろう。
そもそも、君は話せない僕なんかのために病室へ来てくれるだろうか。
しかし、僕はこの長い闘病生活で既に理解していた。焦りと不安が僕の時間の多くを奪っていくことを。僕は君につい数か月前まで部活に行けと言っていた人間だ。かまわれなくなったなら、君は僕のことを諦めてくれたってことになって、僕の葬式で流す涙も減るかも……
それは本当に喜ばしいことのはずだ。だって大切な人の悲しみを減らせるのであれば、僕はなんでもするつもりだった。君の笑顔のためなら、こんな味のしない小さな命など投げ出せるし、最早そうするより他の選択肢は外道だと思っていた。
けど同時に、僕にとって君は僕が死んだとき、一番悲しんでほしい人なんだ。
日が暮れるのが早くなってきた。まだ五時なのに、外は夜。そんな夜道を一人歩いてやってくる君の姿が遠目から確認できた。少し胸が痛い。
「調子はどう?」
「かわぁらづら…変わらずだよ」
今まで一度も変わらなかった返答が、僕の呂律の悪化によって少し変わってしまった。まったく…ラ行言いにくいわ。
「……あぁそう。今日は何を持ってきたでしょうかー!」
「…ぃんご?」
「ふふふ、林檎じゃないよ。ヨーグルト、言える?」
「ヨーグルト。余裕ら…だよ」
「さすが、完璧だね。ちょっと待ってね今開けるから。」
君はヨーグルトの蓋を開けて、スプーンでそれを掬ったあと食べた。しばらくその味を吟味した後、スプーンでヨーグルトをかき混ぜて再び掬って今度は僕の方へ持ってきた。僕がそれを食べたとき、君は味の感想を求めた。
「酸っぱくない?」
「らいじょうぶ、うまいよ。」
まったく…なんでラ行を意識したら言えないくせにダ行はラ行に変換されるんだよ。静岡弁みたいになってるよ。なら逆の意識で発音してみよ。多分いけるら。
「らりるれろ、ぁだじずでど。いやムズ。」
「なにしてるの?」
「…ラ行と…んダ行に豹変してた。いや、豹変はしてない。挑戦した。」
「なるほど。…不思議だね、発音できなくなるのって。感覚無くなるだけなら…なんか肉体の記憶とかで言えそうだけどね。」
「らけ…感覚だけじゃなくて、単純にきんろく…きんにょく…筋肉も衰えてるからね。」
「なるほど、だから呼吸もできなくなるんだね。」
「感覚なしでこひゅう…呼吸したら肺破裂しそう。」
「ははは、それも怖いね。」
なんだか、語彙が変わるな。筋力って言いたくても言えないから筋肉になったり、そもそも口数が減っちゃったり。通常より会話が疲れるからかな。視線で会話するやつも最近練習してるけど、あれめっちゃ目疲れるんだよな。大変だ。
君は帰り際に僕に言った。
「明日は何持ってこようかな。」
「別に何も要らないよ。君が来てくれうだけで十分。もってくるなら、ガムかお餅。」
「ははは、死ぬ気?」
「うん。」
「なら残念だね、まだ死なせないよ。」
「もう余命宣告された日より一週間も長く生きてる…んら。医者には元気すぎて怖いって言われてるよ。」
「それに関してはマジでめっちゃ助かってる、ありがとう。生きててくれて、私と話してくれて。」
「ふふふ、君以外話し相手いないからね。僕の方こそ、ありがとう。あと…言えるうちに言っとく…」
「ん?」
「だ…いすけぇ!」
「…ははは、何それ。」
「ごめん噛んだ。」
嘘だ。シンプルにちょっと恥ずかしくて、発言をキャンセルしてしまった。
「色々、ありがとう。」
「うん、じゃあまた明日。お餅買ってくるね。」
「なんれやねん。」
「ばいばい、わたしも大好きだよ。」
君はそう言って病室の扉を閉ざした。
やっぱそういうとこあるよな。なんか悔しいぜ。
2025/1/2
「調子はどう?」
「Yes」
「そう、ならよかった。今日は何を持ってきたでしょーか!」
「Yes」
「ふふ、お餅でしたー。前に持ってくるなら持ってこいって言ってたでしょ?もう正月だからね持ってきてあげたよ。匂いはどう?」
「Yes」
「私このコーヒー味のお餅好きよ。初めはコーヒーとお餅の合体って意味わからんかったけど、めっちゃ美味しい。食べる?」
「Yes」
「……あげないよ。」
「No」
「…年末のテレビみた?」
「No」
「ははは、めちゃめちゃ勿体ないね。お笑い番組は史上最も面白かったし、歌番組もなーんか面白かった。」
「Yes」
「本当は内容なんも覚えてないけど。」
「No」
「本当は私年末のテレビ見てない。」
「No」
「……ごめんね、面白い話できなくて。年末はずっと泣いてた。君がずっと心配だった。つい先週までいつも通り変わらないよって言ってくれたのに、完全に話せなくなっちゃったし。別に責めるつもりはないけど、悲しくて。なんか何見ても全然内容入ってこなくてさ。大好きなお笑い番組を見ても、いつも見てる人の配信を追っても笑うどころか涙が出てくるんだ。だってそれがどんなに大好きでも君には勝てないから。」
「No」
「Yes 深く目を閉じる No」
「…それはなに? どういう意味?」
「深く目を閉じる 深く目を閉じる 深く目を閉じる」
「三回瞬き 深く目を閉じる」
「Yes」
「深く目を閉じる Yes 深く目を閉じる 深く目を閉じる」
「No 深く目を閉じる」
「……そんなこと伝えるためにそれ勉強したの?」
「Yes」
「ははは、私も馬鹿だけど君もめっちゃ馬鹿だねー」
「Yes」
「……ありがとね、私も大好きだよ。今後何があってもずっとね。」
「Yes」
2025/2/1
本当は理由が欲しかっただけなんだ。で、たまたま君がぐったりしてたから、付き添ってあげた。実際、君とは仲が良かった。いや、仲がいいなんてものじゃない。とはいえ、これが恋愛感情なのかも分からない。君への「好き」は特別だった。
「私もだよ。私も恋愛したことない。それどころか実は友達もいないんだ。こんなに元他人に愛情を注いだのも注がれたのも初めてだよ。」
君がバドミントン部だって知って、同じ部活を選んだ。でもそれは失敗だったな。部活はもっとちゃんと選ぶべきだった。ブラックだったっていうのもあるけどさ。
「私本当は部活行きたくなかった。だから君を理由にしてしばらく休んでたの。本当に顧問も先輩らも性格終わっててさ…やっぱ君がいないとキツいよ。やっていけない。だから実はちょっと前に辞めたんだよ。」
高校生活はつまらなかったな…だってほとんど君と高校行けなかったから。本当に残念だ。何より病気のせいで留年しちゃったからね。
「私、高校留年したの。君が退院したら同じ学年でいられるから。授業なんか真面目に聞いてないし、なんなら登校すらしてない時期もあった。」
入院生活は…ちょっと辛すぎだよ。だって見てられないもんな、ポテチの蓋開けれなくて開けてとか、ペットボトル開けてとか、口の筋肉弱まったから柔らかいものしか食べれなかったり、挙句には話せなくなって。なんかもう悲しくて悲しくて。ずっと死にたかった。
「君が呼吸器付けないって言ったとき、私本当に死んでやろうかって思った。今でも許せないよ。まぁ、どちらにせよ不治の病気になった時点で許すつもりないけどね。」
死にたかったけど、死ななかったのは君がいてくれたからだよ。
バイタル停止の音がずっと私の耳を通り抜けていく。君が動かなくなってしばらく経ったから、まだ実感が湧かないんだ。というか、実感などしたくないんだ。
また私を笑顔にしてくれ、また私の手を握ってくれ、大好きだって言ってくれ。
『だ…いすけぇ!』
「ふふっ」
不意に、聞こえてくるはずのない声が聞こえてきた。君は、どんなときも私を笑顔にしてくれたし、伝え方は下手くそだったけど大好きだとも言ってくれた。君の手を私が感じないのは君が私の手を握ってくれていないからではない。
君が私に触れてくれても、私の手は君に気付けないからだ。
それでも私は今、君の愛に触れてその愛に温められて……
今日も二人、病室で笑っている。
後書き•「ラテラル」の補足と考察
ご清覧ありがとうございます。げっちゅ~!です。
今回の作品の軸はALS(筋萎縮性側索硬化症)という実在する病気で、タイトルの「ラテラル」はその英語名(アミロトロフィック•ラテラル•クレローシス)からとっています。もちろん、タイトルに含まれる意味に関しては他にもいくつかありますが、ここではALSに関してのみ紹介します。この病気は作中でも不治の病でしたが、今でも完全な治療法は見つからないそうです。
ALSはある一部分、例えば右の手や左の足などの左右どちらかの四肢の筋力が衰え、感覚も次第になくなっていきます。作中で主人公が最初に異変に気付いたのは足でした。なので、主人公は早い段階で歩けなくなっています。それに合わせて、この物語は病室を出ません。たった一つの小さな部屋で、たった二人の物語。この作品の世界の規模はかなり狭いです。書き切りやすい反面、話を広げにくいという弱点もありましたね……
それとALSでは体の感覚がなくなりますが、触られるとその熱が若干伝わるそうです。(足痺れたとき手で触ると温かく感じるよね。多分それと同じだよ。)物語終盤で「私」に視点がスイッチしましたが、「僕」が死んでしまったので、「僕」に触れられることがなくなりました。そうして「私」と「僕」の境遇が重なります。そこで「私」は過去の「僕」の不細工な愛に温められたという表現をしていました。
もう君に触れることも触れられることもなくなってしまったけど、それでも君の影に触れたとき、感じるのは現実的で幻想的な温かさだ。
……という意味だと私は思います。
考察と関係あるか分かりませんが、私のお気に入りシーンは4話の「調子はどう?」に「Yes」と返答するシーンです。事情が分からない人から見るとただふざけて英語を使ったギャグシーンか……となりますがそれ以降も「Yes」と「No」だけで会話が進んでおり、応答者の正体や誰視点なのかという点も分からないため、今度は不気味なホラーシーンと感じるようになります。しかし、4話から見た人は多分いない(よね…?)と思うので、2回目以降の応答でギャグシーンではなく主人公が言葉を失ったシリアスシーンなのか……となるわけです。一応演出のため、4話はセリフのみで、誰視点なのかをぼかしましたが、それが5話冒頭に綺麗に繋がったな…(狙ってないけど決まったら、なんか嬉しいよね)これは後で説明します。
今回の作品のテーマは抽象化。主人公の病気の進行が進み、出来ることが限られていくなか、思いの伝え方は抽象化されていきました。ちなみに、主人公が瞬きでコミュニケーションをとっているシーンが4話にありましたが、「Yes」が瞬き一回で「•」、「No」が瞬き二回で「・・」と分かれば、モールス信号であることが分かります。まぁ、読者には伝わらないことを承知で書いたのでここで伝えますが、「••/•-••/---/•••- /•/・・-」で「I LOVE U」となります。主人公がそれを独学で学んだというのも面白いんですが、何よりそれが「私」に伝わったというところが面白いですよね。……「私」も「僕」とコミュニケーションをとるために勉強したんでしょうか。もしくは、何か別の方法で感じ取ったのか、ただの独りよがりだったのか……
他にも抽象化という点では、この作品の「僕」と「私」はどちらも性別不詳でした。「彼」とか「彼女」などの性別が断定出来る描写を使用してないということです。
あと5話冒頭の「私」のセリフでは一人称は当然「私」ですが、「私」のセリフ以外では一人称が含まれていません。さらには「僕」も「私」も二人称は「君」なのでどちらでも当てはまるんですよね。しかも4話では誰視点なのかをぼかしてあったので、3話に続いて「僕」視点として読んだ人もいれば、多分死んだやろと思って「私」に切り替わったと読んだ人もいると思います。まぁ、私はそれについての正解を知らないので皆さんに教えることはできませんが。
二人が語った「愛」とは、友情か恋愛か、もしくはそれ以外の感情か。最後は「僕」の回想に「私」が応えたのか、全て「私」の回想だったのか。
皆さんはどのような絵を想像しましたか?
お疲れ様です。




