表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

第7話 止まったままの人

 彼は、何もしていなかった。


 正確に言えば、何も選べずにいた。


 朝、目は覚める。カーテンの隙間から光が入る。時計を見る。起きる時間だと、頭ではわかっている。だが、体が動かない。


 布団の中で、天井を見つめたまま、時間だけが過ぎていく。


 会社には、もう行っていない。行かないと決めたわけでも、辞めたわけでもない。ただ、行くという選択肢が、どこにも見当たらなくなった。


 以前は違った。


 あの頃は、頭の中に道があった。

 右に行けば、こうなる。

 左に行けば、別の未来がある。


 どれも怖かったが、少なくとも「選べた」。


 今は、道そのものがない。


 昼になっても、腹が減らない。スマホを手に取っても、何を見るか決められない。通知は溜まっているが、開く理由が見つからない。


 世界が止まっているのではない。

 止まっているのは、自分だ。


 数日前まで、彼は不思議な感覚の中にいた。

 選択肢が増えていた。

 何を選んでも、大きく間違えない気がした。


 だが、ある日を境に、それが消えた。


 理由はわからない。ただ、急に「続き」が来なくなった。

 まるで、物語の途中でページが白紙になったみたいに。


 夜、久しぶりに日記を開いた。


 ――今日は、何もなかった。


 そう書こうとして、手が止まる。

 「何もなかった」と書くには、何かを選ばなければならない。

 だが、その選択肢が、ない。


 ペンを置いた。


 彼は、ようやく気づいた。


 自分は、誰かに「書かれていた」のだと。


 だから、続きが来なくなった。

 だから、止まった。


 恐怖が、遅れてやってきた。


 もし、このまま誰にも書かれなければ?

 もし、ずっと続きを与えられなければ?


 彼は、この部屋から一歩も出られないまま、生き続けるのか。


 夜明け前、彼は衝動的に外に出た。

 行き先は決めていない。ただ、動かなければ消えてしまいそうだった。


 交差点に立つ。信号が変わる。人が渡る。

 彼だけが、立ち尽くしている。


 「渡らないんですか?」


 通りすがりの声に、はっとした。

 だが、返事ができない。


 渡る理由も、渡らない理由も、ない。


 そのとき、不意に思った。


 ――書かれなくても、選べる人はいる。


 でも、自分は違う。


 自分は、書かれてきた。

 だから、自分で選ぶやり方を知らない。


 彼は、震える声で、誰にも聞こえないように呟いた。


 「……続きを」


 返事は、ない。


 信号はまた変わり、人の流れが途切れる。

 彼は、交差点の真ん中に、取り残されたままだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ