第2話 選択肢が増えた日
最近、人生がやけに親切だ。
朝、目が覚めると「今日はこうしたらどうだ」と、頭の中にいくつも道が浮かぶ。転職、告白、引っ越し。どれも現実的で、どれも今の自分にちょうどいい。
以前の俺は、選べなかった。選択肢がないわけじゃない。ただ、どれも間違っている気がして、結局何も選ばずに時間だけが過ぎていった。
それが、変わった。
最初は些細なことだった。コンビニで、いつもと違うコーヒーを手に取った。それだけで、なぜか一日がうまく回った。上司に言えなかった一言が、自然に口から出た。帰り道、久しぶりに空を見上げた。
不思議と、迷わない。
選ぶ前から、「これは正しい」とわかる。理由はない。感覚だ。でも、その感覚は裏切らなかった。
数日後、人生が動き出した。異動の話が来て、条件は悪くない。長年続いていた関係も、自然な形で終わった。悲しいはずなのに、後悔はなかった。まるで、先に結末を知っていたみたいに。
夜、日記を書くのが習慣になった。
――選択肢が増えた。
――どれを選んでも、間違いじゃない気がする。
自分でも、少し怖かった。人生がこんなにスムーズに進むなんて、今までなかったからだ。でも同時に、安心していた。ようやく「普通」になれた気がした。
そんなある日、ネットで短編小説を読んだ。
何気なく開いただけだ。タイトルも覚えていない。だが、読み進めるうちに、背中が冷えた。
主人公の年齢。職業。迷い方。選び方。
――それは、俺だった。
細部まで一致している。決断の前にコーヒーを飲む癖。夜にだけ考えが冴えること。誰にも言っていない感情まで、書かれていた。
偶然だ。そう思おうとした。でも、ページを閉じた瞬間、頭の中に浮かんだ選択肢が、ひとつ減っていることに気づいた。
翌日、減った。
また翌日、さらに減った。
焦り始めた。選択肢が少ない人生を、俺は知っている。あれには、戻りたくない。
慌てて、あの作家の作品を探した。新作はなかった。更新も止まっている。胸がざわついた。
その日、俺は何も決められなかった。服も、昼飯も、帰り道も。頭の中が空白になる感覚に、手が震えた。
夜、日記にこう書いた。
――選択肢が、なくなっていく。
――誰か、続きを。
翌朝、ひとつだけ選択肢が戻っていた。
「この人生は、自分のものか?」
それを選んだ瞬間、胸が締めつけられた。
答えは出ない。でも、はっきりしたことがある。
この人生は、誰かに書かれていた。
そして今、その人は――書くのをやめかけている。




