第15話 書かれない恐怖
最初は、冗談だった。
「最近、書いてもらえてる?」
そんな言葉が、雑談の中で交わされるようになった。
意味を理解している者だけが、笑う。
理解していない者は、置いていかれる。
だが、冗談はすぐに冗談でなくなった。
人生が滑らかに進む人と、
急に立ち止まる人が、
はっきり分かれ始めたからだ。
書かれている人は、迷わない。
決断が早い。
失敗しても、深く落ち込まない。
書かれていない人は、違う。
迷う。
決められない。
何を選んでも、不安が残る。
それは本来、当たり前のことだった。
だが今は、その「当たり前」が、恐怖に変わっている。
——もしかして、私は書かれていない?
その疑念が、夜になると膨らむ。
会社で、同僚の成功を聞く。
家庭で、誰かの人生が順調だと知る。
SNSで、迷いのない言葉を見る。
そのたびに、胸がざわつく。
——あの人は、書かれている。
——私は、違う。
誰もはっきりとは言わない。
だが、空気がそう告げている。
「書かれない人生」は、
遅れた人生。
見捨てられた人生。
価値の低い人生。
そんな言葉が、裏で囁かれ始める。
夜、匿名掲示板には、こんな書き込みが並ぶ。
> 書かれてないと、選べない
>
> 書かれてる人と話すと、劣等感がやばい
>
> 続きが来ないの、怖すぎる
恐怖は、連鎖する。
誰もが、確認したくなる。
——自分は、書かれているか?
だが、その答えを確かめる方法はない。
選択肢が浮かぶかどうか。
人生が進んでいるかどうか。
それは主観でしかない。
だからこそ、疑いが止まらない。
書かれていないかもしれない。
もう、見捨てられているかもしれない。
ある夜、彼は街を歩いていた。
駅前で、若い男が声を荒げている。
「俺は書かれてない!」
「だから、全部うまくいかないんだ!」
周囲の視線が集まる。
同情も、蔑みも、混ざっている。
彼は、助けを求めているのではない。
証明を求めている。
——自分は、無価値ではないと。
書かれることは、希望になった。
同時に、
書かれないことは、烙印になった。
その夜、彼は机に向かった。
書く力を持つ人間は、もう一人じゃない。
だが、書かれることを求める人間は、増え続けている。
彼は、理解していた。
恐怖は、書き手が作ったのではない。
物語が、読まれ、信じられた結果だ。
それでも、責任は消えない。
書かれない恐怖が広がる限り、
誰かは、書くことを期待される。
画面は白い。
書かれていない空白。
その空白を前に、
人々は、初めて本気で怯えていた。




