第13話 書かれる人生を望む者
彼は、自分から名乗った。
「僕は、書かれたい側です」
場所は、公民館の小さな会議室だった。
噂を聞きつけた人たちが、自然発生的に集まるようになった場所。
助けを求める者。
怒りをぶつける者。
そして――彼のような人間。
年齢は三十代後半。
整った服装。落ち着いた声。
どこにでもいそうで、だからこそ目立つ。
「自由が怖いんです」
彼は、ためらいなく言った。
「選べって言われても、選び方が分からない。
失敗して、後悔して、全部自分の責任になるのが……耐えられない」
周囲がざわつく。
だが、彼は続けた。
「誰かが書いてくれるなら、
その通りに生きたい。
成功でも失敗でも、
“自分のせいじゃない”って思えるから」
その理屈は、歪んでいない。
むしろ、正直だった。
彼は、続ける。
「書かれていた時期がありました。
人生が、驚くほど楽でした。
迷わない。悩まない。
正解が、ちゃんと来る」
彼は、少し笑った。
「生きてる感じがしなかった、って人もいますよね。
でも僕は……
楽だった」
その言葉に、彼は何も返せなかった。
楽であること。
それは、悪なのか。
別の人が口を開く。
「私も、書かれたいです」
「私も」
「選ばせないでほしい」
声が、重なっていく。
彼は、その光景を見ながら思った。
これは、依存ではない。
逃避でもない。
選択だ。
自分の人生を、
誰かに委ねるという選択。
だが、その選択は、
誰かに責任を背負わせる。
「わかってます」
最初に話した男が言う。
「あなたが苦しんでいることも。
誰かが壊れることも。
それでも、お願いしたい」
彼は、頭を下げた。
「書いてください。
僕の人生を」
沈黙が落ちる。
彼は、初めてはっきりと理解した。
書かれる人生は、
奪われたものじゃない。
差し出されたものだ。
自由を、手放したい人間がいる。
選ばない権利を、欲しがる人間がいる。
夜、帰宅してからも、その言葉が頭から離れなかった。
——書かれたい。
それは、助けを求める声とは違う。
裁量を、責任を、未来を、
丸ごと渡す宣言だ。
机に向かい、画面を開く。
もし、書いたら。
彼の人生は、滑らかに進むだろう。
もし、書かなければ。
彼は、自分で選ばなければならない。
どちらが、正しい?
答えは、ない。
ただ一つ、確かなことがある。
誰かが書かれることを望む限り、
書く力は、消えない。
それは、呪いではなく、
需要だからだ。
彼は、画面を閉じた。
今日は、書かない。
だが、この問いは、
もう引き返せないところまで来ていた。
——自由とは、選ぶことか。
——それとも、委ねることか。
どちらを選んでも、
誰かの人生が、形を変える。




