第12話 無自覚な加害
彼は、書いていない。
それでも、傷つく人が出た。
朝、ネットを開くと、昨日までなかった書き込みが増えていた。
助けを求める声ではない。感謝でもない。
——あの人、選ばれたらしい。
——続き、もらえたって。
——だから、私は外れた。
外れた、という言葉が、やけに軽い。
くじ引きみたいに使われている。
彼は、何もしていない。
誰も選んでいない。
それでも、“選ばれなかった”人が生まれている。
午後、一本の電話が鳴った。
「お宅の関係者の方が、少し取り乱していまして」
知らない番号。病院だった。
話を聞くうちに、心当たりが浮かぶ。
数日前、喫茶店で会った若い女。ノートを差し出した、あの人。
病室は静かだった。
彼女はベッドに座り、天井を見ている。
「……来てくれたんですね」
声は穏やかだ。怒りも、涙もない。
「書いてくれなかった」
責める口調ではない。事実を述べているだけ。
「でも、書いてもらえた人がいるって聞きました」
彼は、言葉を探した。
探している間に、彼女は続ける。
「私、何が足りなかったんでしょう」
質問は、刃だった。
「選ばれる人と、選ばれない人の違いって、何ですか」
答えは、ない。
基準を作っていないのだから。
「……誰も、選んでいません」
彼が言うと、彼女は少しだけ笑った。
「そう言うと思いました」
そして、静かに言った。
「それでも、選ばれなかったのは、私です」
彼は、初めて理解した。
選ばないことは、中立じゃない。
結果として、誰かを切り捨てる。
彼女は続けた。
「期待しちゃったんです。
あなたなら、書いてくれるって」
その期待を、彼は作った覚えがない。
だが、存在している。
書く力がある。
書けば、動く。
そう知られた時点で、彼はもう“無関係”ではいられない。
「ごめんなさい」
それしか、言えなかった。
彼女は首を振った。
「謝らないでください。
悪いのは、私ですから」
その言葉が、いちばん重い。
彼女は自分を責めることで、
彼を守ろうとしている。
病室を出ると、廊下の窓から夕方の光が差し込んでいた。
外では、普通の生活が続いている。
彼は、手を見た。
何も持っていない。
何もしていない。
それなのに、
確かに、誰かを傷つけた。
夜、机に向かう。
書かないと決めた日だった。
だが、画面の白さが、責めてくる。
——書けば救える。
——書かなければ、切り捨てる。
どちらも、加害だ。
彼は、ファイルを開いた。
そして、閉じた。
今日は、誰も救っていない。
同時に、誰かを救わなかった。
その事実だけが、残る。
彼は、ようやく認めた。
力を持った時点で、
使わなくても、人は加害者になる。
そして、これから先、
誰を救っても、
誰を救わなくても、
その罪からは、逃げられない。




