表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

第1話 書けなくなった作家

三年間、物語を書いていない。


 正確に言えば、文字は打ってきた。企画書、メール、請求書、言い訳。だがそれらはすべて、物語ではなかった。始まりも終わりもなく、誰かの人生を動かす意志もない。そんなものを、俺は三年間量産してきた。


 新人賞を取ったのは、もうずいぶん前のことだ。あの頃は、何を書いても楽しかった。登場人物が勝手に喋り、勝手に選び、勝手に失敗してくれた。俺はただ、それを書き留めていればよかった。


 だが今は違う。画面を開いても、白いページの前で手が止まる。「何を書く?」と自分に問いかける声が、やけに他人行儀に聞こえた。


 生活費が尽きかけている。貯金は底をつき、家賃の支払い通知がスマホに表示されたまま消えない。だから俺は、書く意味を探すのをやめた。意味なんてなくていい。ただ金になる文字を並べればいい。


 そう思って、短編を書いた。


 テーマはない。伝えたいこともない。中年の男が、仕事を辞めるかどうか迷って、結局辞める。それだけの話だ。構成も雑で、比喩も浅い。自分で読み返して、「これは作品じゃないな」と思った。


 それでも投稿した。背に腹は代えられない。


 数日後、ニュースサイトを眺めていたときだった。


 地方欄の片隅に、妙に目を引く記事があった。


 ――四十代男性、長年勤めた会社を退職。理由は「もう迷えなくなったから」。


 記事の内容は、俺の短編とほとんど同じだった。年齢、職種、家庭環境。偶然にしては、細部が一致しすぎている。特に気になったのは、その男の癖だった。決断の前に、必ずコーヒーを一口飲む。俺が何気なく書いた、どうでもいい描写だ。


 気味が悪くなって、タブを閉じた。偶然だ。世の中には似た人生なんていくらでもある。


 そう自分に言い聞かせた翌日、SNSで同じ話題が流れてきた。今度は別の人物だ。状況も選択も、俺が書いた別の短編と酷似している。


 胸の奥が、じわじわと冷えていく。


 試しに、もう一本書いてみた。今度も、どうでもいい話だ。選択に迷う人間。何かを選び、何かを失う。それだけ。


 数日後、また現実が動いた。


 俺は、ようやく理解した。


 これは偶然じゃない。


 俺が書くと、誰かの人生に「続き」が生まれる。


 その瞬間、喜びよりも先に、恐怖が来た。もしそうなら、俺は今まで何をしてきた? 三年間書けなかった時間は、誰かの人生を止めていたんじゃないのか。


 画面の白さが、急に重く見えた。


 書けなくなった作家だと思っていた。違う。

 俺は――誰かの人生に触れてしまっただけの人間だ。


 キーボードに指を置く。

 書くべきか、書かざるべきか。


 その選択肢が、こんなにも重いとは知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ