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6.悪意と絶望

 

「……知らないのならなおのこと、早いうちに知っておいた方が良いのではありませんか?」


 フロルは静かに諭すように続けた。レオンは眉を(ひそ)め、メイネは上目遣いにレオンを見る。そして、ぱっと目を輝かせて、自分の耳元の髪をかきあげた。


「そうだ! レオン様、先日いただいたピアスを付けてきたんです。ほら、レオン様の瞳と同じ色!」


 メイネの耳に輝く青の宝石を見て、フロルの顔色が変わった。レオンも目を見張る。


「メ、メイネ、それは、この場に付けてきていいものではない」

「どうして? 折角くださったのに! レオン様に付けているところを見てほしかったのに」


 流石にレオンはメイネが自分の瞳と同じ色を身に付けて、貴族たちの場に出ることを良しとはしなかった。しかし、フロルは喉がからからに乾いていくのを感じた。


(……レオンは、彼に自分の瞳の色と同じ宝石を贈ったのだ。そして、メイネは僕と同じように、それを身に付けている)


 今にも吐きそうな気持ちだった。どうしてそんなに無神経なことができるのかがわからない。それとも、彼らは運命の相手だから他の者の気持ちなど、どうでもいいというのだろうか。

 フロルは必死に踏みとどまって、きっぱりと二人に告げた。


「気分が悪いので、私はここで失礼します」

「フロル!」


 もうこれ以上、この二人がいる場所への同席など無理だと思えた。急いで歩き出すと、レオンが追いかけてくる。腕を取られ振り向くと、真剣な瞳と目が合った。


「大丈夫か? ひどい顔色だ。少し別の部屋で休んだ方がいい。それに、メイネのあのピアスだが」


 言い訳する気かと思ったが、レオンの瞳は確かに自分を案じているように見える。ぐらりとフロルの心が揺れた時、レオンが肩に付けていた飾りが目に入った。

 獅子を象った意匠の瞳の色に息が止まりそうになる。使われていたのは濃い緑石だ。それはメイネの瞳と同じ色だった。

 フロルは、思い切りレオンの腕を振り払った。


「触るなッ!」

「フロル?」

「自分だって、メイネと同じことをしているじゃないか!」

「メイネと同じ?」

「その肩の飾りは、メイネの瞳と同じ緑だ。……僕を馬鹿にするのもいい加減にしてくれ!」

「……フロル!」


 フロルはもう、後ろも振り返らずに走った。何も考えず、何も見たくなかった。闇雲に走っていくと、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。主を心配しながら待っていた侍従の姿が目に入った。


「……カイ」

「フロル様!」


 フロルの瞳からは涙が溢れて、言葉が出なかった。驚いた侍従は、すぐに主を連れて屋敷に戻った。


 フロルが泣きながら少しずつ語った出来事を、カイは公爵家の家令に伝えた。ほどなくして王宮からレオンの使者がやってきたが、家令は丁重に使者を追い返した。帰宅した公爵たちにも事の次第が伝えられ、公爵とリュークは怒りに震えた。


 心に大きな衝撃を受けたせいだろうか。フロルは眠れなくなり、食べられなくなった。部屋から一歩も出ようとしない。屋敷の中には重苦しい空気が立ち込めた。


 フロルが病だと王宮に伝えられると、毎日のように王宮から使者が来た。一切フロルには取り次がないようにと、下々の者にまで公爵からの厳命が伝えられた。寝台に横たわったまま、フロルはぽつぽつと呟いた。


「カイ……。僕は一体何をしてるんだろう。レオンとメイネを見て動揺するばかりで、結局何もできない」

「フロル様、もうご自分のことだけお考えください。まずはお体を労わらなければ」


 目を瞑ってまどろめば、フロルはいつも同じ夢を見た。レオンとメイネが見つめあい、微笑んでいる。二人は互いの瞳の色の宝石を身に付けて指をしっかりと絡め合っていた。


(ああ、二人が共にいることが幸せなら、僕は彼らが無事に結ばれる方法を考えるべきなんだ……それなのに)


 二人のことを考えると、まるで袋小路に入ってしまったようだ。名案は浮かばず、涙まで出てくる。レオンを王位に就けたいと思う自分が正しいのかどうか、もうわからなくなりそうだった。

 レオンたちの姿がゆらりと消えたかと思うと、今度はユリオン王子が笑顔でフロルに向かって手を差し出した。夢だとわかっていても、フロルは強く首を横に振った。

 レオンがメイネとの結婚を選べば、代わりにユリオンが王位に就くのだろう。


(でも、そうしたら、僕は? 今度はユリオンと結婚するよう言われるのか)


 ドクンと胸が高鳴り、首の後ろがかっと熱くなる。


(──違う。彼じゃ、ない)


 はっとして目を開ければ、全身に汗をかいていた。フロルは胸を抑えて大きく息を吐いた。


 ドクドクドク、と心臓が早鐘のように鳴っている。(うなじ)に手を当てれば、そこは確かに熱を持っている。脳裏に切れ切れになった記憶が浮かぶ。


『……ル、フロル。……いに、なって』

『ここを……めば、いいんだって』


 幼い子どもの声が聞こえる。誰かが後ろから手を伸ばして、自分の体を抱きしめる。その腕の中はとても温かかった。自分に抱きつく柔らかな腕が誰のものだったか、いくら考えても思い出すことができない。


 (……とても、大事なことのような気がするのに)


 寝台の上で一人きり、フロルはわけもわからず涙をこぼした。



 数日後、一通の手紙がフロルの部屋に届いた。フロルへの宛名はあっても、差出人の名はない。本来なら、そんな手紙はフロルの元に渡るものではなかった。たまたま、屋敷に雇われたばかりの使用人が執事から家令に届けるよう言われたものを勘違いしたのだ。


 運の悪いことに、侍従のカイはフロルが眠っている間にと、厨房に軽食を取りに行っていた。使用人は初めて訪れた部屋の勝手がわからず、小卓の上に手紙を置いて、慌てて部屋を出た。


 浅い眠りから目覚めたフロルは、小卓にあった手紙に触れた。僅かな魔力を感じ、怪訝に思いながらも封を開く。手紙の中からは、きらりと光るものがこぼれ落ちた。


(これは……?)


 拾い上げて見れば、一組の青いピアスだった。先日、王宮で見た光景がはっと甦り、フロルは震える指で手紙を開いた。



 親愛なるフロル・クラウスヴェイク様


 この度は私の立場をわきまえぬ振舞いにお怒りの事と存じます。シセラを離れて長く経ちました為に、宮廷内の定めが身に付いておりません。御不快なお気持ちにさせましたことをお許しください。

 敬愛する殿下から頂戴した品ではございますが、私が身に付けるべき品ではないとのこと、本来お持ちになるべき方にとお送り致しました。



(なんだ、これは……)


 フロルの手元にあるのは、間違いなくメイネがあの日、身に付けていたピアスだった。僅かに感じる魔力も彼のものだ。


 フロルには、すぐにわかった。これは、悪意だ。非礼を詫びながら、送り主のメイネには謝る気持ちなどない。一度使用した品を他人に与えることができるのは、どの国でも上位から下位の者にだけだ。慣習を知らなかったと謝る体を装って、レオンに贈られたピアスを婚約者に送りつける。フロルの心を深く抉りつける行為に、体温が一気に下がるような気がした。


(……僕は相当メイネに嫌われているらしい)


 当てつけのように送られた一組のピアスを、フロルはじっと見つめた。


(どんな気持ちで、レオンはこれをメイネに贈ったのだろう)


 メイネに向けられるような笑顔を、自分はもう長く見ていない。そう思った瞬間、フロルの胸はまるで引きちぎられるように痛んだ。レオンの幸せを祈りたいのに、悔しさや悲しみばかりが心に満ちていく。気がつけば、やるせなさに飲み込まれそうになる。


 部屋に戻って来たカイは、すぐに様子のおかしいフロルに気がついた。何事かと問いかけても返事はなく、床にはらりと手紙が落ちる。拾い上げた手紙を渡そうとしても、フロルの表情は虚ろなままだ。そっと手紙に目を走らせたカイは、思わず息を呑んだ。衝撃に震えながら小卓を見れば、青いピアスがきらめいている。カイはピアスを睨みつけ、地の底を這うような声で言った。


「……これ、どっちも燃やしていいですか? フロル様」


 力なく頷いたフロルの目の前で、カイは卓上の魔石に手をかざした。青白い焔が生まれ、手紙と青のピアスが瞬く間に飲み込まれる。静かに燃え上がる焔は、カイの怒りを表すかのようだった。フロルは、体が泥のように重くなるのを感じた。 


 その晩、全く突然にフロルに発情期がやってきた。フロルの発情期は初回から驚くほど安定していて、今まで一度も周期が狂ったことがない。次の発情期までには、まだまだ時間があるはずだった。医師が呼ばれ、丁寧な診断の後に痛ましげに言う。


「よほど御心に衝撃があったのでしょう。発情期の乱れは精神的なものと思われます」


 シセラでは、婚約者のいるオメガは大抵早くに結婚し、伴侶と共に発情期を過ごす。しかし、王族たちは成人である十八の誕生日までは、婚約者と触れ合うことが認められていなかった。密かに隠れて番う者はいたが、真面目なレオンはフロルに触れようとしなかった。今日までフロルはレオンと一緒に発情期を過ごしたことがない。


 十四の時に初めて迎えた発情期はとても苦しいものだった。レオンの顔ばかりが浮かび、名前を呼びながら泣き叫んだ。しかし、今のフロルにはそんな気力も体力もなかった。弱った体に薬を飲まされ、魔術をかけられて眠る。疲弊しきったフロルにカイが囁く。


「ねえ、フロル様。もういいではありませんか。フロル様は十分頑張ってこられました。これ以上、あんな男に尽くされる必要はありませんよ」


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