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4.昼食会の混乱


 翌日、フロルは王宮に向かった。王太子が住む東の宮殿に向かう足取りは決して軽いものではなかった。


 フロルが案内されたのは、王族が親しい相手と食事をとるための部屋だ。陽射しが十分に入る暖かな部屋には、真っ白な布が敷かれたテーブルがあり、レオンとフロルの為に椅子が用意されている。


「フロル様。どうぞこちらでお待ちください。すぐにお茶をお持ち致します」

「ありがとう。大丈夫だよ、待つのには慣れているから」


 思わずこぼれた本音に、フロルの口から小さなため息が出た。何人も部屋に控える給仕たちは、そっと目を伏せた。彼らは誰に対しても優しく応対する公爵令息に敬意を抱いている。王太子が婚約者に示す態度に皆、心を痛めていた。


 側に控えた給仕が、フロルの為に心を込めてお茶を淹れる。本来なら食事前には必要ないものだが、フロルを気遣って淹れてくれるのだ。定められた時間に宮中を訪れてもレオンが現れない日々は、今日で三週間目に入る。


 二回目の欠席までは、レオンの侍従が理由を言ってきたのを黙って聞いた。しかし、三回目に現れなかった時には、フロルは勝手にレオンの行きそうな場所を探し回った。そして、奥庭の四阿(あずまや)でレオンと金髪のオメガが二人きりで昼食をとっているのを見た。籠に詰めた昼食を、オメガは楽しそうにレオンの口に運ぶ。レオンは満足げにそれを食べさせてもらっていた。


 フロルは、自分は何を見ているのだろうと思った。時間になっても現れない婚約者を探し回った末に見つけたものは、彼が想い人と仲睦まじく過ごす姿だ。お前たちは何をしているのかと、声高に責め立てる気にもなれなかった。そんなのは、気力のある者のすることだ。衝撃が大きすぎて呆然としたまま、すぐに屋敷に帰り、夕食もとらずに眠った。


 その後も、レオンは昼食会を欠席し続けた。その度に侍従が一々欠席の理由を並べ立てたが、フロルは取ってつけたような話を、自分の心一つに飲み込んだ。


(息が詰まるような相手と一緒にいるより、愛する者と共に過ごす方が楽しいに決まっている。レオンは自分の立場を自覚すべきだけど、初めての恋なんだ。……夢中になるのも無理はない)


 フロルは、昼食日には王宮に約束の時間前に行き、きっかり二時間後に屋敷に戻った。それは以前、レオンと二人で食事をとっていた時間だ。そんな日々を続けたのは、レオンとの不仲が父や兄に知られては困ると思ったからだ。そして、心の底にはまだ希望を持っていた。


(もしかしたら、何度か彼と過ごしたら……。気持ちを切り替えて戻ってきてくれるかもしれない)


 フロルはお茶を飲み終え、レオンが来ないことにため息をついた。そして、前に二人を見かけた奥庭の四阿に向かった。本当はそこに行きたくはない。奥庭は王族の許可がなければ立ち入れず、幼い頃からフロルたちが隠れ家のように過ごした場所だった。まるで大事な思い出を土足で踏みつぶされたような気持ちがする。


(……いけない。自分の事ばかり、考えている場合じゃなかった)


 奥庭の門を開けて四阿に向かうと、楽しそうな笑い声が聞こえる。前に見た時と同じように、二人はパンや果物を詰めた籠を持ちこんで食事をしていた。逃げ帰りたい気持ちを堪えて、一歩一歩前に進む。人の気配に気づいたのか、レオンがフロルの方を向いた。青い瞳が大きく見開かれ、小さくフロル、と呟くのが聞こえた。レオンの隣にいたオメガもこちらを見て驚いた顔をしている。


 フロルは何とか声を振り絞った。


「……レオン。きょ、今日は、一緒に食事をする日だったんだ」

「あ、ああ。……そうだったな」


 レオンは、さっと目を逸らした。逸らした先には四阿の小卓があり、様々な食べ物が置かれている。目にしたフロルの胸はずきずきと痛んだ。


「僕とは一緒に過ごしたくないのかもしれないけど……。これ以上昼食を共にしないなら、父や兄が黙ってはいない。婚約者同士の不仲を、はっきりと皆が知ることになるから。それがまずいことは、君にもよくわかっているはずだ」


(一生懸命言葉を選んだつもりだけど、伝わっただろうか?)


 その時、隣にいたオメガが口を開いた。


「レオン様は自由にお食事をされることもできないんですか? いくら王太子殿下だからってお可哀想です」


 シセラの王宮には厳然とした身分の差が存在する。特に身分が下位の者が上位の者に挨拶もなしに口を開くことなど許されない。礼を失した振舞いや口にした言葉に思わず手が震えたが、フロルは冷静になろうと努めた。


「僕たち二人が揃って食事をすることに意味があるんだ。王家と公爵家の間での約束事だし、昼食以外は自由にできるから」

「ふーん……。あ! そうだ。それならお二人とご一緒に、僕も食事をしたらどうでしょう? それならレオン様も堅苦しい思いをなさらないし、楽しく召し上がれるでしょう?」


(……彼は、一体何を言ってるんだろう? それに、堅苦しいだって?)


 金髪のオメガは名案だというように、満面の笑みを浮かべている。王太子と婚約者の為の昼食会に、招待もされていない者が参加できるわけがなかった。


「……俺とフロルの昼食会に、他の者が加わるのは許されないだろう」


 感情の籠もらない声でレオンが答えると、オメガはひどくつまらなさそうな顔をした。その場の空気は一気に重苦しいものに変わる。


「ぼ、僕の話は、それだけなんだ。……婚姻の儀まで、あまり時間がない。周りに不安を抱かせるのはまずいと思う」


  フロルがレオンに向かって告げると、沈黙が落ちた。


 目を合わせてもくれないレオンに動揺していると、金髪のオメガはするりとレオンに自分の腕を絡ませた。レオンは振り払うこともなく好きにさせている。


 フロルは二人の様子を見ていることができずに、(きびす)を返して歩き出した。胸が痛くて仕方がない。どうしてこんなにいたたまれない気持ちになるのかもわからなかった。


(仲が良かったレオンに無視同然の態度をとられていることが悲しいのか。ろくに会ったこともない者に堅苦しいと言われたことが嫌なのか。そもそも、僕のことをあれこれレオンが彼に話している事実がつらいのか……)


 誰に問うこともできずに、うつむきながら王宮の廊下を歩いていく。さして距離もない廊下が、どこまでも果てしなく続くように感じた。


「フロル様」


 明るい声に顔を上げれば、そこにはレオンの弟である第二王子ユリオンの姿があった。レオンと面差しはよく似ているが、弟王子の方が柔和な印象がある。朗らかで人好きのする彼は、臣下にも信望が厚い。


「兄上との昼食会からお帰りですか? 今日はお早いですね」

「あ……」


 上手く立ち回らねばと思うのに、言葉が続かない。口ごもるフロルにユリオン王子は優しく微笑んだ。


「よかったら、お茶をご一緒にいかがです?」

「え? いえ」

「顔色がよくありませんよ。すぐそこに私の気に入りの庭園があります。ちょうど花も盛りですし、少し休んでからお帰りになっては?」


(そんなに顔色は悪いだろうか……)


 心配げに自分を見る瞳は、兄のレオンとよく似ている。思わず見惚れていると、ユリオンはそっとフロルの手を取った。


「蔓薔薇が満開なのです。ご一緒に見てはくださいませんか? 城下で人気だという菓子もちょうど届いたところです」


 慌てているうちに、茶器の用意された小卓に案内され、仕方なくフロルは椅子に腰かけた。ユリオンは侍従に言いつけて、フロルが体を冷やさぬようにとすぐに膝掛けを用意させた。

 卓上に運ばれた可愛らしく飾られた菓子に目を見開けば、王子はフロルのために自ら取り分けた。給仕が流れるような仕草で香り高いお茶を差し出す。

 夕陽色のお茶を一口飲めば、ふっと肩の力が抜けた。


「美味しい」


 確かに自分は疲れていたのだろう。咲き誇る蔓薔薇を見ながらのお茶は、フロルの心を温めた。フロルをじっと見つめる瞳と目が合うと、ユリオン王子はにっこりと微笑む。


「安心しました。あんなお顔の色でいらしては、心が落ち着きませんから」

「……すみません。自分では気づかなくて」

「フロル様が謝ることは何もありませんよ。全く、兄上にも……困ったものですね」

「えっ」

「こんな美しい方を一人になさるとは。……フロル様、私で良ければいつでもお力になります」


 包み込むように手を握られ、指先に口づけられた。フロルは目を見張った。レオンとよく似た青い瞳は、兄とは違って何の迷いもなく人の心に踏み込んでくる。自分に自信があるアルファたちの、傲慢ともいえる強い眼差し。


「……殿下、お心づかいに感謝申し上げます。ですが、わたくしは大丈夫です」


 フロルは、王子の手をやんわりと退けた。ユリオン王子は僅かに眉を顰めたが、すぐに穏やかな表情を向けてくる。兄とは正反対の王子に、フロルの心は苦いものを感じた。


「よかったら、またお茶をご一緒に」


 曖昧に笑顔を返してフロルは席を立った。ユリオン王子の瞳には秘めた欲がくすぶっているが、それには気づかないふりをした。自分の婚約者はレオンであって、彼ではない。


(レオンなら、あんなことはしない。弱った人の心につけ込むような真似は。人付きあいがうまくはないが、いつも誠実なんだ)


 フロルは、はっとした。自分に対して誠実とは程遠い態度をとっているのはレオンだ。それなのに、自然に庇おうとしてしまう。常にレオンと周囲の間に立ってきたからかもしれないが、今はそんな自分がひどく愚かに思えた。


(……ユリオン王子を責めるのは筋違いだ。僕を心配してくださったのに、不敬も(はなは)だしい)


 自分への嫌悪とレオンを擁護したい気持ちが入り混じる。フロルの心は混乱したまま少しも落ち着かなかった。


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