3.双子の魔術師
主のフロルはいつも、王太子を探す時は王宮内を一人だけで行く。人見知りなところがある婚約者を気遣って、自分は供を連れて行かないのだ。希少なオメガである以上、誰かに狙われるかもしれず、王宮の中であっても安全とは言い切れないのに。事実、カイがそっと後をつければ、フロルに言い寄ろうとしている貴族が何人もいた。人知れず、カイは貴族たちを牽制してフロルを守ってきたのだ。
そんな主の心遣いに気づかぬ愚鈍な王太子が、カイは腹立たしくてならなかった。大事な主の体は冷え切り、それでも懸命に笑顔を作ろうとする。カイの心はきりきりと痛んだ。
「フロル様、とにかく馬車の中へ。お屋敷に戻りましょう」
頷くフロルの体を上掛けでくるみ、御者を急き立てて屋敷に戻る。公爵家では、思いがけない客が待っていた。
「フロル! 可哀想に。何てひどい話なんだ」
「レオンは頼りない男だとは思っていたが、相手を見る目もない能無しだったのか!」
フロルは驚いて目を見開いた。
真っ白な長衣を身に着けた長身の男たちが、居間でフロルの帰りを待っていた。二人はフロルを見た途端に立ち上がり、代わる代わる抱きしめてくる。
二人の男は、普段は魔術師の塔にいるフロルの双子の兄たちだ。人並み外れた魔力を持った二人は、王立学園には行かず魔術師となる道を選んでいた。そっくり同じ顔だが、青の瞳を持つのは次兄のルカスで、緑の瞳が三兄のレクス。魔術師になるために塔に入った者は長衣を身に着けるが、能力によって色が変わる。白は最も多くの魔力を持つ者の証であり、双子はシセラで最高峰の魔力の持ち主だった。
「に、兄様たち、お久しぶり。滅多に里帰りなさらないのに、よくお帰りになられました。今日はどうなさったんです?」
「だって、お前……」
「もうあちこち、この話で持ちきりだぞ!」
双子の兄たちが、揃って答えた。
「レオンが、お前との婚約を破棄するって!」
フロルは息を呑んだ。婚約破棄は軽々しく口にするような言葉ではない。
(……もし、そんなことになったら)
「兄様、それは」
青い瞳のルカスが眉を寄せた。思慮深い次兄は今回のことを大分憂えているようだ。
「ああ。そんなことになったら、困るのは王家だ。我が家じゃない」
「全く腹が立つ話だ。うちと婚姻を結んでおきたいのは王家なんだよ。フロルとの婚約が破棄されたら、レオンなんか廃嫡じゃない?」
緑の瞳のレクスが、吐き捨てるように言う。三兄は感情表現が豊かな分だけ、言葉にも容赦がない。
(レオンが! は、廃嫡!)
フロルは足元がぐらぐら揺れる気がした。クラウスヴェイク公爵家の持つ財産と政治力は大きかった。婚約が破棄となれば、父はどれほど怒ることだろう。子どもたちの中で唯一人のオメガである自分を父は溺愛している。
レオンは国王と王妃の間に生まれた嫡子だけれど、下には同母で二歳違いの優れた弟王子がいる。はっきり言うなら、王太子は代わりがきくのだ。王家にとって大切なのは、公爵家との縁を強固に結べる王子だった。
「兄様、そ、それはどこからお聞きになったんです? ただの噂では」
「噂に尾ひれがついてとんでもないことになるのが宮廷だ。今回のことは信憑性が高いと言われている。何しろあちこちで……その」
次兄が困ったように咳払いをする。
「はっきり言いなよ、ルカス。レオンが金髪のオメガを連れ歩いてるのを見た奴が何人もいるんだ。婚姻の儀まで、あと二か月だっていうのに!」
「そんな……まさか、あのレオンが?」
やはり温室で見た彼はオメガだったのかと華奢な姿を思い出す。同時に、レオンの大胆な行動にフロルは驚いた。
「そのまさかだ。だから、気になって俺たちが塔から出てきた」
ルカスは重々しく頷き、レクスは肩をすくめた。
「レ、レオンを止めなきゃ」
フロルは体に細かな震えが走るのを必死で堪えた。兄から聞いた『廃嫡』の言葉が、耳から離れない。
(レオンに好きな相手がいるのと、僕との婚約を破棄するのは別の話だ。レオンは悪い子じゃない。優しくて賢くて、人々の話に耳を傾ける。将来はきっと、素晴らしい国王になるはずだ。今は初めて好きな相手が現れて、夢中になっている……だけだ)
「フロル、俺たちはお前がどんなに気に病んでいるかと心配だった。どんなことになっても、お前は何も悪くない」
「そうだ、フロル。それに、レオンの他にも王子はいるんだからな。あいつにこだわる必要はないんだ」
「……ありがとう、兄様たち。僕は大丈夫だよ。それに、まだ噂でしかない」
兄たちは互いに顔を見合わせた。フロルの言葉は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。ルカスとレクスはフロルを目に入れても痛くないほど可愛がっている。厳しい魔術師の修行よりも、弟に会えないことの方がつらいと思うほどだ。
目の前で必死に笑顔を作ろうとする弟の姿は痛々しく、これ以上はかける言葉が見つからなかった。ルカスはフロルの左頬に、レクスは右頬に愛情を込めてキスをした。
兄たちが魔術師の塔に戻った後、フロルは大きくため息をついた。
(どうしたら、うまく事を収められるのだろう)
魔術師の塔にいる魔術師たちは常に国の内外に目を光らせている。しかし、宮廷の噂話などは相手にしない場所だ。そこから兄たちがやってくるとは、どれほど大きな問題になっているのか。
フロルが胸を痛めている間にも、噂は宮廷を駆け巡った。
──王太子殿下がロベモント侯爵夫妻の夜会で『運命の相手』を見つけたそうだ。
──隣国に留学していたオメガの伯爵令息ですって!
──三年ぶりに帰国して出会った途端、すぐに惹かれあったとか。
その噂は、貴族たちの間に格好の話題を提供した。宮廷雀と呼ばれるほど噂好きな人々の口は留まることを知らない。ここぞとばかりに運命の恋人たちの話はもてはやされ、見る間に広がった。
カイがフロルにレオンの話を伝えてから二週間も経つ頃には、貴族たちの間でこの話を知らない者はいなかった。
フロルの心配は募るばかりだった。目下の懸念は、何よりも身内の動向である。フロルの父であるクラウスヴェイク公爵と長兄のリューク、彼らにレオンと金髪のオメガの噂話が届かないとは思えない。二人は何も口に出さないが、心中では相当苦々しく思っているのではないか。
公爵と長子のリュークはよく似ている。二人はフロルのことを愛しているが、政治での判断に温情はない。もし、婚約破棄が本当になれば、まずレオンを王太子の座から引きずり下ろし、弟王子を立てるだろう。その後に再びフロルと結婚させようとするのではないだろうか。必ずアルファを産むと言われるオメガの中で、フロル・クラウスヴェイクほど王太子の伴侶となるための教育を受けた者はいない。
(国王陛下も父と敵対したくはないはずだ。このままでは、レオンの立場が危ない)
フロルの心はきりきりと痛むばかりだった。
珍しく家族が揃った夕食の席で、公爵はフロルに視線を向けた。
「そういえば、フロル。王太子殿下との昼食会はどうだ?」
フロルは、びくりと肩を震わせた。レオンとフロルは週に三回は王宮で昼食をとる決まりだった。王立学園にいた時は毎日一緒に昼食を食べていたけれど、卒業してからは顔を合わせる機会がない。結婚するまでの間、二人が少しでも共に過ごす機会が多いようにと王家から配慮されたものだ。その約束はこの二週間、守られていなかった。
「そ、それが……、昨日は少し具合が悪くて家におりましたので」
「それは先週も聞いた。今週は元気そうだが」
フロルにいつも優しい公爵の口調が、厳しくなる。嘘をついた事はとっくにばれていた。父から目を逸らせば、長兄のリュークが真っ直ぐにフロルを見る。その瞳には怒りが籠もっていた。
「……フロル。殿下を庇う必要はない。お前は毎回きちんと約束の時間に王宮に伺っているだろう」
「兄様!」
フロルは長兄の言葉を遮ろうとしたが、兄の声の方が大きかった。
「そのお前を無視して、別の相手と過ごしたり、約束をすっぽかしたりしているのは殿下の方だ」
公爵がリュークと目を合わせて、大きくため息をついた。
「やはりそうか。宮中でも噂になっている。これ以上放ってはおけない」
「父様、待って!」
「可愛いフロル。お前が殿下を庇うだけではどうしようもないのだ。お前のことだから、殿下に絆されているのかもしれないが、それでは本人の為にならん」
「で、でも、昼食の件はまだ……」
「二週間もの間、婚約者を放っておくような男はだめだ」
リュークがぴしゃりと言い放つ。その言葉はにべもない。
「全て調べはついている。殿下からお前にまともな謝罪一つないことも。我々にとって婚姻は契約でもある。お前が軽んじられれば、それは我がクラウスヴェイク公爵家が軽んじられているのと同じことだ」
長兄の言う通りだった。父が頷いてきっぱりと言う。
「お前は心配しなくていい。お諫めしても殿下の態度が改まらぬなら、陛下に申し上げるのみだ」
フロルは目の前が真っ暗になった。フロルがレオンたちを王宮の温室で見た後、レオンは昼食会を欠席し続けている。それを今日まで必死に隠してきたつもりだった。
(国王陛下にまで話がいったら、おしまいだ。レオンがあの金髪のオメガの話なんかしたら、さらに拗れる)
幼い頃から王太子を支えろと言われてきたフロルにとって、シセラの王太子とはレオンだけだ。どうやっても彼を放っておけるわけがなかった。噂が大きくなっている以上、人目を避けてレオンと二人きりで会いたい。何度か手紙を送り直接話がしたいと訴えても、返事はなかった。
フロルは決心した。明日はちょうど、レオンと一緒に昼食をとる日だ。何としてもレオンに、今後は自分との昼食を共にするよう言っておかなくては。そして、レオンがシセラの国王になるためには、自分と結婚する必要があることも。