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2.王太子の告白


 二人が幼い時に婚約を結んだことは周知の事実であり、貴族たちは誰もが公爵家の美しいオメガに一目置いていた。また、レオンは物心つく前から一緒にいたフロルにだけは心を許している。二人は仲のいい友人であり、どんなことでも話し合える幼馴染なのだ。


 仮面舞踏会の直後、フロルは三か月に一度の発情期が訪れて全く外に出られなかった。体力が回復するのを待っていたら、ちょうど二週間が経っていた。


「ゆっくり休んでいる場合じゃなかった。急いでレオンに会ってくる」


 フロルは一刻も早く王宮に行き、噂の真偽を確かめることにした。服なんか適当なものでいいと焦るのに、侍従のカイはフロルを着飾ろうとする。元々彼は、綺麗なものや宝飾品が大好きだ。


「カイ、あまり華美なものはやめて。僕は急いでるんだ!」

「あっあ! フロル様、もう少しだけ!」


 瞳と同色の紫水晶のピアスに、以前レオンが贈ってくれた白金と紫水晶の細いブレスレットが選ばれた。繊細な作りが美しくて、フロルが大層気に入っている品だ。でも今は、それを身に付ける時間すら惜しい。王都の屋敷から王宮までは馬車ですぐなのに、気ばかりが焦る。


 王太子は国王と共に午前中は政務に参加し、午後は書庫にいることが多かった。


「レオンー!」


 王宮の書庫の奥には、人の立ち入らぬ小部屋がある。フロルが飛び込むと、いつもの席に見知った姿はなかった。窓辺には職人が丹精込めて作った革張りの椅子が二つ、まるで寄り添うように並んでいる。レオンが幼い時から気に入りの場所には、幼馴染でもあるフロルしか入ったことがない。


「おかしいな。この時間には、いつも書庫にいるのに」


 王太子レオンの予定は、全てフロルの頭に入っている。それはまるで息をするように自然なことだった。幼い頃から、フロルはレオンの隣にいることを想定して育てられてきたのだ。王太子を常に支え、尽くすようにと。

 婚約者しか側に近づけなかったレオンの為に、フロルは日々の時間をやりくりして王宮を訪れていた。


 フロルはあちこち走り回ってレオンを探した。頭の中には、彼の好む場所がいくつも浮かんでいる。


「奥庭だろうか、それとも温室かな?」


 レオンの行く先に気を取られていたので、フロルは少しも気づかなかった。宮中の人々が、ちらちらと自分を目で追っていることを。


 背までの流れる銀髪を後ろで一つに結び、颯爽と歩く公爵令息は匂い立つような美しさだ。滑らかで大理石のように白い肌に、ほんのりと色づいた唇。紫水晶のようにきらめく瞳は長い睫毛で縁取られている。王太子の婚約者でなければ、自分の伴侶に迎えたいと望む貴族は多い。


 フロルが中庭にある王宮の温室の一つに入った時、密やかな話し声が聞こえた。思わず、足をぴたりと止める。声は南方の大きな葉が茂る木の向こうからだ。


「……重いんだ」

「そうでしょうとも。今までよく我慢なさったと思います」

「ああ、もう無理だ。我慢にも限度というものがある」


(あの声はレオン? そして、誰か一緒にいる……)


 フロルは咄嗟(とっさ)に、自分が出て行くのはまずいと感じた。レオンの話し相手は、先ほど侍従が言っていた人物かもしれない。


 木の陰からそっとのぞいて見ると、黒髪のレオンの隣に緩やかに巻いた金髪が見える。ほっそりとして華奢な後ろ姿に一瞬女性かと思ったが、聞こえた声は男性のものだった。二人は歩道に備えられた長椅子に並んで座っている。


「こんな気持ちのまま、式を迎えろと言うのか。半年早く生まれたからって、いつも先回りされて、俺の気持ちは二の次だ」

「仰る通りです。いくら優秀でいらしても、殿下のお気持ちにお気づきにならないのでは話になりません」


 そう言ってレオンの傍らの男はため息をつき、さっと何かを差し出した。レオンは手渡された包みを開けて、嬉しそうに笑う。


「これは……俺の好物だ。知っていたのか」

「レオン様がお好きだと伺いましたので。ここには他に誰もおりませんから、どうぞお召し上がりを」

「ありがとう。ずっと禁じられていたからな。目にするのも久しぶりだ」


 目を凝らすフロルの元に、ふわりと甘い菓子の香りが漂ってくる。あっと思った瞬間、泣き叫ぶ幼いレオンの姿が脳裏に浮かんだ。


(あれはデンスの実の菓子だ……!)


 フロルの胸はぎゅっと痛んだ。デンスは硬い殻の中に、ほんのりと甘い実が入っている。よく焼菓子に使われる木の実でフロルたちの好物だった。ところが、ある時からレオンはデンスの実を食べた途端に湿疹が出るようになった。手足が赤く腫れて泣き叫ぶレオンが可哀想で、デンスが入った菓子を見るたびに、フロルはレオンを止めた。


(レオンも、それはわかっているはずなのに)


 二人は楽しそうにひそひそと話しては、小さな笑い声を上げる。互いの髪が触れそうなほど近づいて話すなんて、人見知りのレオンからは考えられない。


「お前といるとほっとする。フロルとでは……無理だ」


 レオンが呟いた言葉をフロルは聞き逃さなかった。


(……な、んだって?)


 あまりの衝撃に一瞬、息をするのも忘れた。


「ここでは何もお気を使われることはありません。どうぞ御心を楽になさって」

「ああ、ようやく自由に息ができる気がする」


 軽やかな笑い声を耳にして、フロルは、体がふらつくのを感じた。レオンは今確かに、自分の名前を出した。自分と一緒では、ほっとすることができないと言ったのだ。そっと木の陰から離れて、音を立てずに温室の扉を開ける。中庭の小道を歩き出すと、涙が勝手に頬を伝った。


(……落ち着け、落ち着くんだ。こんな姿を、誰かに見られたらどうする)


 婚姻を二か月後に控えた王太子の噂は、密やかに王宮中を走っていることだろう。自分が泣いていたなんてことが伝わったら、大変なことになる。


 陽の陰り始めた午後の庭は、風が冷たかった。フロルは、庭園の奥の茂みにそっと隠れるようにしてしゃがみこんだ。


(いつのまにか、レオンに嫌がられていた。僕といることは、レオンにとって少しもいいことじゃなかった……)


 フロルの胸に、これまでの日々がよみがえる。王太子とは将来、この国の王になる者だ。故国シセラを導き、多くの民を従える者。その王太子であるレオンを愛し、支え、尽くすようにと、幼い頃から様々な教育を受けてきた。


 多岐にわたる勉強に礼儀作法、馬術や武術の訓練。体力がないオメガにもできることをと、家庭教師に相談して必死で鍛錬した。魔力は生来持っていないものを身に付けるのは難しいが、自分の中にある力を増やすことはたやすい。魔石を使って小さな力でも大きく使える方法を編み出した。


 フロルは、レオンが好きだった。人見知りで不器用だけれど優しい婚約者。幼い頃からいつも一緒にいて、たくさんの時を過ごした。半年下のレオンとは、王族や貴族が通う王立学園では一年違いになってしまって同じクラスにはなれなかった。それでも、レオンの姿を校内で見られるだけで嬉しかった。


(恋愛とまではいかなくても……ずっとお互いに大切な存在だと思っていた。気持ちが離れていたことに気づかなかったのは、僕だけだったんだ)


 目の前で見た二人の親密な様子は、なるほど運命の相手だと言われて納得できるものだった。舞踏会で出会った彼は、僅かな間にレオンの心を深く理解するようになったのだろう。


 フロルは、一人で泣いた。自分の存在が少しもレオンの役に立っていない事実は、ひどく心に重かった。


(今まで、僕がしてきたことは何だったんだろう……)


 手巾で涙を拭いていると、小道を歩いてくる二人が葉影から見えた。レオンと金髪のオメガは楽しそうに並んで歩いている。そういえば、とフロルは思った。


 自分はいつのまにか少し下がってレオンの後を歩くようになった。礼儀作法の厳しい教師からそう教えられたからだが、レオンは不満げだった。温室から出てきた二人の頬は紅潮し、冷え切った体の自分とは対照的だ。共に並んで歩いていくような存在をレオンは望んでいたのかもしれない。


(……レオンの気持ちを汲み取れなかった)


 堪えた涙が溢れてくるのを拭って、フロルは急いで馬車へと向かった。


「フロル様! ど、どうなさったんですか?」

「カイ、噂は本当だった。二人は運命の相手同士だ。それに、ぼ、僕はレオンに嫌われていたみたいだ」

「は? 何ですって!」


 侍従のカイは、主の言葉が理解できなかった。美しい主の瞼は赤く腫れ、瞳からは、いくつも涙がこぼれ落ちる。


(あのバカ王太子が!)


 カイは憤懣(ふんまん)やるかたない気持ちだった。自分の大事な主が泣くようなことになるのは、間違いなくあの男のせいだろう。話なんか全部聞かなくても構わない。昔から、あの男が悪いと決まっているのだ。


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