夕焼けに響く声
何を血迷ったものか「身体を動かしたいから」とド平日の夕方にバッティングセンターに誘われた。音沙汰もなく久々に連絡してきたと思ったら、現地にはジャージ姿で準備万端の『彼』の姿が。いろいろ唐突なところは昔から変わんねぇな、などと思いつつも、
「よう!元気そうだな!」
と声を掛ける。しみじみとした顔で「ここ懐かしいよな」と微笑んでいるのを見て、なんとなく事情ありなのかもと思った。とはいえ自分の方もこのところあまり上手くいっていない感じで、この日は同じようにバットを振って汗をかけばそれでいいような気持ちになっていて。『元野球部員』でも何でもないから、何年も握っていない金属製のバットは腕にずっしりきて、当然学生時代よりもボールの速度に目がついていっていない。彼の方は、まあまあバットに当てていて時々快音を鳴らしている。「結構やれるだろう!」とこちらに視線を送っている様子を見て、<まあ大丈夫そうだな>と思ったのは長年の付き合いから。
「最近どう?」
バッテング中に声を掛けられたものだから一球完全に見逃した。見えてたとしても打てたかどうかは分からないが。
「ぼちぼちだよ。そっちは?」
「まあなんとかな」
まるで青春の一場面のようなノリで、あるいは全然そんなものではないような空気感もあって、広くはこの世界の難しさを実感しているようなそんな一幕があった。客もまばらな店内にはFMのラジオが流れている。ふざけ半分に自販機でエナジードリンクを買ってまだもう1ゲームやりたそうにしていた彼に放り投げる。
「さんきゅ…ってかこれかよ!」
「まだ頑張るんだろ?」
そう訊ねると困惑はしているものの何だか嬉しそうな表情で、自分的には何かを伝えられたような気がしていた。その時、ラジオのリクエストで聞き覚えがある曲が偶然かかった。
「お!この曲めっちゃいいぞ!」
「なんて曲?」
「『大人になったら』」
夕暮れの時間、忘れていた何かを思い出させるような熱のこもる唯一無二の歌声とどこまでも真っ正直なエレキの響きはどうあっても涙腺にくる。生憎と曲の素晴らしさを語り尽くせる語彙は持ち合わせていないから、
「このタイミングでこの曲はエモいよな」
と言ってみる。
「ああ、いいな」
二人でベンチに座り、音に浸りながら、何か言葉にできそうなことを考えているその時間は案外人生の大事な1ページだったかも知れない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それから一年が過ぎ、プロ野球のドラフトの様子がネットのトレンドになるのを見た宵、友人からこんな連絡が来た。
『去年勤めてた会社辞めて独立した会社、今なんとか整ってきたところだ』
『それはよかった』と返信して彼のあの時の心情に何となく思い至り、しみじみした気分に。すると続けてこんなメッセージ。
『そんで今日夕方ラジオ聴いてたら、多分ライブ音源だと思うけど『大人になったら』流れてきた』
『ああ、そういえば先月県内でライブあったらしいね。確か湖の方じゃなかったかな』
『そうそう、インタビューでそう言ってたかも。その音源聴いてさ、来年そのライブ一緒に行ってみたいなって思って。目標になるかもしんないって思った』
『音源聴きたかったなぁ。ラジオだもんなぁ』
そう残念がっていると『あ、待って』と短いメッセージが画面に表示された後、何かのWEBページのリンクがそこに貼られた。
『タイムフリー機能って知ってる?最近は仕事中もラジオ点けてることが多いんだけど、聞き逃した番組を後で聴けるアプリがある。中盤くらいに流れてたよ』
<なるほど>と思い、紹介されたリンクを辿ってアプリを確認してからインストールしてみた。番組を再生し時間をスライドさせるとスマホのスピーカーから音源が流れ始めた。思ったよりも音は綺麗に響き、ライブならではの熱量のある歌声と歪むようなギターの音色が辺りに漂う。思いのほか晩酌が進む。
ドラフトで甲子園に出場を果たした県内の球児が一人『育成枠』に入ったと情報が流れた。
『まだ頑張るんだろう』。あの日の自分がそんな風に言っているような気がした。