消えてしまえ
小屋に飛び込むや否や、水道に駆け寄って何度も顔を洗った。
そうでもしないと、気が収まらなかった。
しつこくしつこく、何度も何度も。
冷たい水に、何もかも洗い流してほしくて。
そんなことをしても意味がないと。
心のどこかで分かっていながら、それでもそんな些細な行為にすがらずにはいられなくて……
違う。
違う。
全部、全部消えてしまえばいい。
今までの記憶も想いも、何もかもこの水に流されてしまえばいい。
こんなことになるなら、旅になんて出なければよかった。
自由に飛び回りたいなんて焦がれない方がよかった。
フィオリアとなんて―――出会わなければよかった。
気持ちがめまぐるしく回るほど、水に手を突っ込む自分を止められなくなる。
最悪だ。
こんなこと、考えたくもないのに。
こんなの、自分が認められる自分じゃない。
消えてしまえ。
なくなってしまえ。
全部、全部、全部―――
「………………はぁ……」
手がかじかんで動かなくなってきたところで、シュルクはようやく水を止めた。
体が重い。
何もしたくない。
全身を苛む倦怠感に抗うことができず、シュルクは近くの椅子に腰を下ろして机に突っ伏す。
「馬鹿か、俺は…… 」
フィオリアからも自分の気持ちからも逃げたくて、集会所を飛び出したくせに。
それに、心底安堵しているなんて。
何かをする気力も起こらないのに、自己嫌悪する脳内だけは、無駄に活発に動く。
それにまた、深く息を吐いていると……
「よ、ようやく追いついた……」
シュルクの到着から遅れること、十五分ばかり。
息を荒くしたルーウェルが小屋に入ってきた。
「もー…。お前に何かあったらオレの責任になるんだから、勝手に行くなよー。」
「………」
自分勝手だったのは自覚しているので、何も返す言葉がない。
黙るシュルクの隣に座り、ルーウェルは火照った体を冷ますように襟元を手で扇いだ。
「あっちー。それにしても、オレの先導なしにこんな高い場所まで…。よくガスの溜まり場に当たらずに来れたな。もしかして、もうあの地図を覚えたの?」
「まあな……」
とりあえず、頷いておくことにする。
本当は霊子の密度が比較的低いルートを選んで飛んできたのだが、表向きにはそういうことにしておいた方が無難だろう。
ルーウェルはこちらの肯定を、特に疑いはしなかった。
「シュルクって、本当にすごいな。今度、入山資格の試験でも受けてみたら? お前、オレより強いし、それだけの頭があるなら余裕で資格を取れるって。」
「あー……そうかもな。」
机から顔を上げないまま、生返事をするシュルク。
するとルーウェルが、少しだけ不満そうな顔をした。
「なんか……今日はいつにも増して、オレの相手をめんどくさがってないか?」
「え…?」
これには少し驚いた。
よもや、ルーウェルの口からそんな言葉を聞くことになるとは。
「……なんだ。少しは、他人の顔色が分かるようになったんじゃん。成長、成長。」
「なっ、なんだよ! その子供扱い!!」
「実際、ガキだっただろうが。」
いつもどおりすぎて、なんだか気が抜けてくる会話だ。
いつもは鬱陶しく感じる会話に救われたような感じがして、シュルクは思わず表情を緩めて淡く微笑んでいだ。
「シュ、シュルクが初めて笑った…っ」
ルーウェルが、ぎょっとして目を見開く。
まるで、天変地異でも目にしたかのような顔だ。
「んな驚くことか?」
訊ねると、ルーウェルは何度も首を縦に振った。
「そりゃあもう! お前って、無表情かキレる顔しかしない奴だと思ってた。」
「なんだよそれ……」
いちいち反応が面白いので、シュルクはくすくすと笑い声をあげる。
まさか、あのルーウェルにここまで癒される時が来るなんて思いもしなかった。
だが、そんな風に気を緩められたのも束の間……
「今日のシュルク、なんか変だぞ? フィオリアちゃんも言ってたけど。」
ルーウェルの口からフィオリアの名が告げられ、途端に全身が緊張で強張った。
「別に……お前には、関係ないだろ。」
歪みそうになる顔を見られたくなくて、シュルクは頭をルーウェルとは反対側の方に向けた。
「……なんかあったの? フィオリアちゃんに、今日のシュルクは絶対に無理してるから、監督を頼むって言われてきたんだけど。」
「………」
「おーい。」
「………」
「シュルク?」
「……………………もし。」
そう呟いたのは、半分以上が無意識のことだった。




