洞窟の中で
洞窟の中は、想像以上に広かった。
これなら万が一に見つかることがあったとしても、この入り組んだ道を利用して逃げられるかもしれない。
当然のリスクとして、逃げまくった自分たちが洞窟から出られるか、ということは考えなければならないが。
「とりあえず、このくらい深くまで来ればいいか。」
入り口の光が届かなくなるまで洞窟を進んだところで、シュルクはようやく羽を休めて地面に着地した。
「さて…。この後はどうするか…。どうにかして先生たちと連絡が取れればいいけど、期待するだけ無駄だよな。」
「うん……」
「となると、どうにかこうにか、奴らの目をかいくぐって山を下りるしかないか。ウェースティーンは城の直轄地だし、やっぱアリシア方向に逃げるしかないだろうな。」
「うん、その……」
「問題はその後だな。アリシアっつってもティーン領なのに変わりはないから、ちゃんと逃げるなら国境を目指さなきゃいけないし…。そうなるとやっぱ、どこかで先生たちと連絡は取っておきたいとこだけど……」
「あの!」
「ん?」
「そろそろ……下ろして……」
「……あ。」
そういえば、ずっとフィオリアを抱いたままだった。
「悪い。忘れてた。」
一言詫びを入れ、シュルクはフィオリアをゆっくりと地面に下ろした。
「ねえ!」
これで満足かと思いきや、フィオリアはどこか不安そうな声音で腕を掴んでくる。
「……何?」
周りが暗くてよかった。
多分、今の自分はものすごく顔をしかめていると思うから。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「怪我のこと。」
ずばり指摘され、シュルクは思わず顔を背けた。
本当にこのお姫様は、自分にとって都合が悪いことばかり口にしてくれる。
「ねえ、なんで何も言わないの?」
「大丈夫だよ。……大したことない。」
「それって、大丈夫じゃないってことだよね!?」
極力ひそめられた声でも、フィオリアが焦って顔を青くしている姿がありありと想像できた。
「ちょっと、こっちに来て!」
フィオリアはシュルクの腕を引き、さらに洞窟の奥へ進む。
そして、洞窟の入り口から隠れる場所へ回り込むと、そこで立ち止まって息を吸った。
「霊子凝集。詠唱開始。召喚、第一霊神。出でよ《灯火の精霊 ファラ》」
フィオリアが呪文を詠唱すると、彼女の手のひらに仄かに光る小さな球体が浮かんだ。
フィオリアはそれを掲げて周囲を照らし、シュルクの背後に回る。
「よかった…。また破れたりはしてないみたいだけど―――」
「いって!」
なんの予告もなしに羽に触れられ、ずっとこらえていた言葉が口から零れてしまう。
そんなシュルクの声に、フィオリアが慌てて手を離した。
「ごめんなさい! い、痛いよね…?」
「そう思うなら触るな。」
今さら隠しようもないので、シュルクは据わった目つきでフィオリアを睨んだ。
やはり、まだ本調子じゃないのに全速力で飛ぶには無理があったらしい。
最近はほとんど感じなくなっていた痛みが、盛大にぶり返している。
触られることはおろか、先ほどのように腕を掴まれたりするだけで、羽から背中かけてが痛むのだ。
暗いからごまかせると思っていたのに、フィオリアが余計なことを言ったせいで、我慢が水の泡ではないか。
「ちょうどいいや。お前、しばらくファラの召喚を続けといて。」
このまま羽の痛みと向き合うのも嫌なので、シュルクはフィオリアにそう指示して、自身はすたすたと洞窟の先を歩き始めた。
「何するの?」
「今のうちに、できるだけこの洞窟の広さと構造を把握しておきたい。」
端的に理由を述べ、シュルクはしきりに周囲を見回しながら洞窟を進んだ。
そのうち、この洞窟に城の奴らが来るのは必至。
そうなった時に、袋小路に追い込まれることだけはなんとしても避けなくてはいけない。
人の気配や些細な物音に十分な注意を払い、慎重に岩に囲まれた道を行く。
そうしていると……
「あの……一つ、訊いてもいい?」
ふと、フィオリアが口を開いた。
「どうして、私を連れて逃げてくれたの?」
訊ねてくる声は、微かに震えていた。
「あんなにすごいことができるなら、一人で簡単に逃げられたでしょ? 私なんか、足手まといなんじゃないの?」
「見捨ててほしかったのか?」
一言。
対するフィオリアは、息をつまらせて黙り込む。
「お前ってさ、何に対しても後ろ向きだよな。」
シュルクは歩む足を止めて、フィオリアの方を振り向く。
泣きそうな表情で唇を噛むフィオリア。
もう何度も見た姿。
そして―――自分が一番嫌いな姿だ。
「逆に訊くけどさ、お前はなんで俺と一緒にいるわけ? 足手まといだって思うなら、一人でどっかに行くこともできただろ。」
「それは……」
「俺の怪我に責任を感じたから? それは否定しないけど、それだけじゃないだろ。」
シュルクは、狼狽えるフィオリアの目をまっすぐに見つめた。
「―――逃げたかったんじゃないのか? 俺はただ、お前の意志を尊重しただけのつもりだったんだけど?」
問うと、途端にフィオリアが呆けた表情をする。
まるで憑き物が落ちたかのようなその表情に、シュルクは何度目かも分からない溜め息をついた。
自分のこととなると、他人の目からは明らかなことでも、当人からは見えなくなってしまうものなのだろうか。
城から自分を逃がしてくれようとした時。
自分と一緒に城から逃げると頷いた時。
こんな運命は嫌だと顔を覆った時。
城の追っ手から逃げようと走っていた時。
必死になればなるほど、彼女の全身からは明らかな彼女自身の意志が滲み出ていた。
逃げ出したい。
自由になりたい。
そんな意志が。
運命を悲観する彼女の中には、運命に抗おうとする心も確かにある。
そう感じたから、彼女の言動に苛立ちながらも、小屋から追い出すことはしなかったのだ。
「……俺の、買い被りすぎだったか。」
何も答えないフィオリアに、胸のどこかで落胆に似た気持ちがした。
「俺が余計なお節介を焼いただけなら謝るよ。別にお前に何を期待してるわけでもないし、俺は俺で勝手に動いただけ。お前もお前で、自由に動けよ。」
これで最後だ。
もう余計なことはしない。
自分は自分。
フィオリアはフィオリアだ。
今になって気付いたこの気持ちなんて気のせいだ。
ほんの少し。
ほんの少しだけ彼女に同情して、親近感が湧いていたなんて……
そんなこと―――
きゅ…
話すこともなくなって先を進もうとしたところで、ふいに袖口を引かれた。




