鳴り響くその音
どうしてこんなことに……
シュルクは手にした書類を見つめ、次に目の前に大きくそびえ立つ巨大な建物を見上げた。
結局逃げることは叶わず、こうして城まで足を運ぶことになってしまった。
町一番の占い師の発言力の大きさを思い知る。
自分が経験した出来事は秘密裏にウィールからグレーに伝えられ、グレーは当然のように書類運びの仕事を自分に振ってきた。
仮にも雇い主の言葉だし、皆の前で渋れば変に怪しまれてしまう。
あの出来事をあまり知られたくない自分としては、グレーに異議を唱えることもできず、ルルンを始めとした周囲の皆も特に何も言ってこなかった。
今この時ばかりは、これまで積み上げてきた信頼が憎い。
こんな重要な仕事を任されても、一切変に思われないのだから。
「さっさと渡して帰ろう。」
約束の時間まで、あと少ししかない。
ここでうだうだと悩んでいる暇があるなら、任された仕事を終わらせることだけを考えよう。
どうせ仕事でここに足を踏み入れたところで、肝心の姫に会えるわけがないのだ。
会えなかったなら会えなかったで、所詮はその程度の縁だったということ。
ただの人違いだったと納得できる。
腹をくくり、シュルクは城に向かって進み始めた。
城の門番に集会所の使いである旨を伝えると、担当者を呼ぶから待つように言われてしまった。
別に、門番が勝手に受け取って担当者に渡してくれてもいいのに。
早く帰りたい気持ちを抑え、シュルクは門の柱にもたれかかってその担当者を待った。
ぼうっと眺める先では、自分と同じ年くらいの少年たちがお供を引き連れて城の中へと入っていく光景が見える。
おそらく皆、姫との面会が目的なのだろう。
どうしてそんな積極的に、運命の相手なんか捜そうと思えるのか……
どこか期待している様子の少年たちを見つめていると、そんな気持ちと共にちょっとした疎外感が胸に寄せてくる。
いつのことだっただろう。
自分と周囲の考え方に、大きな違いがあると気付いたのは。
皆が疑わずに信じていることを、自分だけが疑って怖がっている。
どうしてこんな違いが生まれてしまったのだろう。
自分が深く考えすぎなのだろうか。
それとも、自分と違って当然のように飛び立っていける周囲への羨望が、無意識にそう思わせるのだろうか。
「すみません。大変お待たせしました。」
思考が沈みかけたところで、柔らかい声が耳朶を打った。
顔を上げると、こちらに向かって駆け寄ってくる人物が。
穏やかそうな男性だ。
髪と瞳に合わせているのか、全身を真っ黒な服で包んでいる。
華美な服装をした周囲の少年たちと比べると、逆に目立って見えるから不思議だ。
彼はこちらまで近付いてくると、怪訝そうに首を傾げた。
「おや、今日はご店主ではないのですね。」
「すみません。今日は店主にどうしても席を外せない用事がありまして、俺が代理でリストを持ってきました。」
「ああ、そうなんですか。」
適当な事情を取り繕って話すと、彼は柔和な目を細めて笑った。
そして次に、困ったように眉を下げる。
「ふむ…。それにしても、どうしましょうかね。仕事の依頼は今日までですし、できればお金の引き渡しなどをしたかったのですが……」
「………っ」
男性の言葉に、会計としての自分が反応する。
「金銭的なお話でしたら、俺が対応できます。基本的に、店の金銭管理は俺の管轄なので。」
「そうなんですか? お若いのに、すごいですね。」
こちらの申し出に、男性は驚いたように目を見開いた。
「ええ。もしあまり手間をかけたくないなら、俺が責任を持って店にお金を運びますよ。」
言うと、男性は少し悩む素振りを見せた後に表情を和ませた。
「それでは、お願いしてもいいですか? 申し遅れましたが、私は女王様方の執務補佐をしております、ヨルと申します。」
「シュルクです。」
「ではシュルクさん、どうぞこちらへ。」
城へ向かって歩く夜の後ろについていきながら、シュルクは内心でガッツポーズを決めていた。
嫌々城に来たが、これは好都合だ。
依頼料の受け渡しなんて、グレーにやらせたら城が提示する金額をそのまま持って帰ってきていたに違いない。
とにかく、限界まで搾り取る。
そう胸に誓っていると、ふいにヨルがこちらを振り返ってきた。
「そういえば、この予約作業はあなたが担当したのですか?」
「へ? ……あ、まあ。」
「やっぱり。昨日、ご店主が鼻高々に自慢していましたよ。とても優秀な人がいて、その人がいなかったらこの仕事は絶対にできなかったと。」
「ははは……」
あの親父、余計なことを……
本音は心の奥底で呟くにとどめ、シュルクは空笑いでその場をごまかした。
「会計を担当しているとおっしゃっていましたよね。ということは、優秀すぎて勝てないとご店主が言っていたのはあなたのことなのですね。」
「俺が優秀っていうよりは、あの人が大ざっぱすぎるだけなんですけどね。」
「ご謙遜を。その若さで、全ての言語を網羅しているらしいじゃないですか。どうです? もし興味があるなら、城で働くことも考えてみませんか?」
「あはは、考えてみます。」
グレーは一体、自分について何をどこまでヨルに話したのだろう。
気分がよくなるとその分口までよく回ってしまうのが、グレーの危ないところだ。
これは、帰ったら反省会が必要かもしれない。
「それはそうと、すごい人ですね。」
これ以上自分に関する話をされても困るので、シュルクはあえて周囲を見回しながらヨルに話しかけた。
「皆様、フィオリア様への面会希望の方々ですよ。本当ならある程度ふるいにかけさせていただきたいところなんですが、皆様それなりに地位と立場がおありになるので、無下にお断りすることもできないんです。あ、今の本音は内緒ですよ?」
茶目っ気を含めてひそひそと言うヨルに、シュルクは思わず笑みを零した。
無茶苦茶な仕事の依頼には苛立ったが、城の方は城の方で面倒なことになっているようだ。
「なんの準備もなしに、お触れなんか出すから。」
「それを指摘されると耳が痛いですね。」
苦笑するヨル。
案外気さくな人だ。
グレーがおしゃべりになるのも分かる気がする。
まあ、だからといって依頼料の交渉に手心を入れるつもりは一切ないけども。
ヨルと他愛もない話をしながら、城へ伸びる道を進む。
そしてそれは、城の建物の中に数歩踏み入れたところで起こった。
―――リリリンッ
鼓膜を叩いたのは、仕事上よく聞く音。
―――リリリンッ、リンッ、リリリリンッ
けたたましく鳴り響く共鳴鈴の音。
透き通るようなその音に紛れて―――
バタンッ
今度は、重たげな音が城を揺らした。
「えっ!?」
シュルクは慌てて背後を振り返る。
さっきまで開かれていたはずの門扉が、固く閉じられていた。
「すみません。驚きましたよね。」
動揺するシュルクに対し、ヨルは突然の出来事に顔色一つ変えなかった。
「どうやら、今城にいる方の中に誰かの運命の相手がいるようですね。城の決まりで、どなたが誰の運命の相手かが分かるまでは、城への出入りを禁じることになっているのです。ご不便をおかけしますが、混乱をきたさないためですのでご理解ください。」
「………」
「さ、こちらへどうぞ。」
先を進むヨルの後に続きながら、シュルクの内心は気が気じゃなかった。
すっかり抜け落ちていた本来の目的が脳裏に舞い戻ってきて、心臓が大きく暴れ始める。
いくらなんでも、タイミングがよすぎるだろ。
まさかと思って今まで必死に見ないふりをしてきたが、ここまでの出来事が重なると、さすがに自分も否定できなくなるではないか。
(まさか、本当に…?)
思わず運命石を握り締める。
その手は、情けないほどに震えていた。




