旅立ちの前夜
長いルーウェルの質問攻めから解放されて山を下り、集会所に戻ってすぐに、セルカたちにここを出る旨を伝えた。
元々、滞在予定は規制が緩和されるまでという話。
セルカもランディアも残念そうにはしたものの、無理に引き止めるようなことはしなかった。
本当は翌日にでも出立したかったのだが、それはとある事情により叶わず、ようやく出発の日取りが決まったのは、それから一週間ばかりが経過した後だった。
「…………はあ。」
机に向かい、シュルクは溜め息を零す。
視線の先には、小さな木箱が一つ。
以前セルカに頼まれて捻り出したお礼というやつだ。
これの出来上がりを待っていたせいで一週間が経ったわけだが、いざ受け取ってみると、その後の対処に困ってしまう。
『注文したのはシュルクちゃんなんだから、ちゃんとシュルクちゃんが処理しなさい。』
直接受け取ることを渋った自分に、セルカが告げた言葉だ。
こうなるんだったら、頼まなければよかった。
面倒だからと特に深く考えもせずにこんな注文をした、二週間ばかり前の自分の判断が悔やまれる。
さて。
受け取ったはいいものの、これをどうするべきか。
自分には別に必要のないものだし、懐にしまっておくにしても、こういった物の保管方法はよく分からない。
それ以前に、しまっておいて使わないというのも、町の人々に失礼だろう。
さっきちらりと木箱の中を見てみたが、どれだけの金と手間をかけたのか、かなり豪華な仕上がりになっていた。
結局は、自分が羞恥心に耐える覚悟をしなければならないようだ。
「マジか……」
机に突っ伏して視界を闇に閉ざせば、脳裏にフィオリアの顔がちらつく。
次に彼女と顔を合わせるのが気まずい。
そんなことを考えている時に限って―――
「シュルク。今、大丈夫?」
こうなるわけで……
小さなノックの音と控えめな声が耳朶を打ってきて、シュルクは深く息を吐いた。
「……入れよ。」
気まずいとはいえ拒否する理由はないので、ドアに向かって言ってやる。
「ごめんね、夜遅くに。」
細く開いたドアの隙間からぴょこんと顔を出したフィオリアは、ドアを閉めていそいそとこちらへ向かってきた。
「どうした?」
「えっと、あのね……明日にここを出るって聞いたから、どこに行くのかなって思って…。それとね……」
フィオリアは仄かに顔を赤らめる。
「明日からまたバタバタするだろし、ゆっくり話せるのって今日くらいかなって…。その……だからね………少しだけでいいから、一緒にいてもいい?」
「………」
そんな恥ずかしそうに言われると、こっちまで恥ずかしくなってくるではないか。
複雑な気分になったシュルクは、フィオリアから顔を逸らし……
「ベッドの上。」
指だけで、ベッドを示した。
フィオリアはシュルクに従ってベッドまで移動し、その上に広げられた紙の一枚を手に取った。
「これは…?」
「今後の目的地の手がかり。」
「え…」
シュルクの答えを聞いたフィオリアは、意外そうに目を丸くする。
「でも…」
資料から顔を上げたフィオリアは、おそるおそるといった様子で口を開いた。
「これって、ヨルの字だよね…?」
「お前がそう思うなら、そうなんだろうな。確かに、あいつから受け取ったもんだし。」
シュルクは、フィオリアの指摘を素直に認めた。
「そう…。なんか、この量はヨルらしいな。あの人ってちょっと完璧主義なところがあるから、自分が納得するまで手を止めないのよね。」
どこか懐かしそうに、そして寂しそうに。
フィオリアは、淡く微笑みながら資料の文字をなぞっていた。
あそこまで露骨に自分のことを憎む母親を、純真に助けたいと思えるフィオリアだ。
きっと、ヨルのことも大切な家族だと思っていたのだろう。
丁寧な手つきで紙をめくるフィオリアの様子が、そんな感情を滲ませていた。
「………」
シュルクは眉を寄せる。
……なんとなく、気に食わない。
どうして自分がそんな風に感じたのかは分からないが、胸の辺りがもやもやとして仕方なかった。
衝動のような不快感。
それに突き動かされ、シュルクは椅子から立ち上がってフィオリアへと近付く。
そして。
「―――フィオリア。」
初めて、その名前を呼んだ。




