第58話
「…」
ひとつの扉を前にして、ファーラ伯爵は心臓の動きと呼吸を荒くする。これまでにも何度も見てきた扉であるが、やはり彼にとってはその光景に慣れることはないのだろう。
伯爵は深く深呼吸をしたのち、覚悟を決めて扉を開け、中へと足を進めていく。ライオネル上級伯爵の待つ、部屋の中へと…。
――――
「…」
「…」
二人はお互いに口を開くことなく、ただただ無言の時間が過ぎ去っていく。ライオネルはもうすでにすべてを知っている様子であるものの、あえてなのか何も言葉を発さない。
しばらくの時間が経過し、もはや永遠に続くかのように思われる沈黙を最初に破ったのは、ファーラの方からだった。
「父上、僕は父上にお伝えしなければならないことがあります」
「……なんだ?」
「僕は、婚約するつもりだったセイラに、完全にフラれてしまいました」
「……それで?」
「それだけです」
「…」
不思議にもどこかすっきりしたような表情を浮かべているファーラと、そんなファーラの事をいぶかしげに見つめるライオネル。少しの間沈黙の時間を挟み、今度はライオネルの方から言葉を発した。
「お前に預けていたあの屋敷、どうやら改装工事中か何かのようだが、あれはいったいなんだ?屋敷を全て取り壊してお花畑にでもするつもりか?」
ライオネルは明らかにすべてを知っている様子であるものの、ファーラに対してかまをかける。
「大変申し訳ございません。生み出した魔獣たちが暴走してしまい、手が付けられなくなってしまいました。僕の命も危なかったのですが、その場に現れてくれたセイラとラルクの二人のおかげで、こうして無事助かることができました。…しかし、失われた財産はあまりにも大きい。その責任はこの僕にあります」
「つまり、すべてはお前のせいであると?」
「はい、その通りです。いかなる罰も受け入れる覚悟です」
「…」
どこまでもおとなしいファーラの態度に、ライオネルは親でありながらも違和感を隠せなかった。これまでのファーラであるなら、間違いなく責任を誰かのせいにして自分だけは助かろうと泣きわめいていた。ライオネルの権力で、自分の罪を隠ぺいしてくれと言ってくる可能性も考慮していた。しかし今の彼に、そんなそぶりは全く感じられない。
「…私の集めた情報では、セイラの追放に始まる諸問題の黒幕はレリアにあるのではないかと睨んでいたが…。そこについての考えは?」
「レリアを愛してしまったのも、彼女の言葉を受け入れることにしたのもこの僕です。たとえ彼女がなにをしたとしても、そこに僕が少しでもかかわっているなら、やはりすべての罪はこの僕にあります」
「…」
どこまでも潔いファーラに、やはり違和感を感じずにはいられないライオネル。
「…ファーラ、お前は何を見た?何を知った?」
「いえ、別に…………ただ、自分の人を見る目のなさに絶望しているだけですよ」
「…」
ファーラのその言葉を聞いて、ライオネルは彼のおおよその心理を察した。…優れた素質と魅力を持っていたセイラを欲望のままに一方的に切り捨て、その正反対ともいえる性格のレリアを愛してしまったことを、後悔しているのだろうと…。
「お前の犯した罪、騎士たちは見逃してくれたようだが、私は見逃すわけにはいかない。お前は我が伯爵家に大きな傷をつけた。それはもう、もしかしたらこの先二度と
修復できないほどになる可能性さえある、きわめて大きな傷をな」
「…」
「…形だけの存在である、”上級伯爵”などというくだらない肩書…。今までそう思っていたが、今やこの肩書に頼らなければならないほど我々への信頼は地に落ちている。その原因もまた、お前の行動から来たもの」
「…」
「私が長年をかけて築き上げた騎士団との信頼関係も、お前は不意にしてしまった。もはや、どんな擁護の言葉も意味を成しはしない」
「…」
「…ファーラ、上級伯爵としてここに命じる。私の命をもってお前の伯爵の位をここにはく奪、弟であるクライムにその位を与えることとする」
「…」
「そしてお前は…………弟と入れ替わりで、伯爵の世話係に付くこととする。以上」
「……え?」
今度はファーラの方がその心に違和感を感じる。ライオネルから告げられた自分への処分の内容、それは自分が想定していたものよりもはるかに軽いものだった。
「…そ、それだけなのですか?……い、一族からの永久追放を言い渡されたって文句を言えないほどの罪ですよ??そ、それなのに……」
「話はこれで終わりだ。クライムには私の方から伝えておく。もう帰りなさい」
ライオネルが長年にわたって、苦労の末に築き上げた伯爵家の立場や栄光。そのほとんどすべてをファーラは破壊したというのに、それでもライオネルはファーラを追い出すことまではできなかった。……許されざる罪であっても、自らの長男であるファーラの事を切り捨てる勇気は、結局ライオネルにはなかったのだった。
そしてそんな二人の会話を、部屋の外から聞き耳を立てて聞いている人物が一人…。
「へぇ…。ファーラの後任はあのモテなさそうなクライム君になるのね…。(彼が伯爵になった後に彼に近づいても、権力目当てだと思われて相手にされないかもしれないけれど……今ならまだ、本気で自分の事が好きだから言い寄ってくれたんだと勘違いしてくれるわね♪これは急いでクライム君のところに行かないと♪)」
ファーラの解任とともに、新たな勢力図が広がっていくのだった…。




