第29話
レリアが会場から逃げ出すかのように走り去っていたすぐ後、そんな彼女の後を追う伯爵の姿があった…。
「レリアの事をあんなに焦って追いかけていって……。もしかして伯爵はいまだに……」
セイラはその光景を見つめながら、ある可能性を脳裏に浮かべたのだった。
――――
「…」
「…」
会場から少し離れた小さな部屋の中に、二人の姿はあった。レリアがこの部屋に逃げ込んできた後で、伯爵がその後を追いかけてきた形だった。
しばらくの間どちらも言葉を発さなかったものの、最初に口を開いたのはファーラ伯爵の方だった。
「…レリア、僕にはわかる。さっきの君の言葉、実は本心からきたものではないのだろう?僕たちの関係は間違いなく、真実の愛で結ばれていると呼ぶにふさわしいものだった。それをあんな形で終わらせることを、君が望んでいるとは思えないんだ…」
伯爵は優しくそう言葉をかけながら、背中を向け、壁側にうつむくレリアの方へゆっくりと向かっていく。
「僕は君を信じたいんだ…。あれだけ僕を愛してくれていた君が、すべて嘘だったなんてとても思えない。だから………っ!!??」
レリアのそばまで来たその時、伯爵は言葉を失い絶句した。…食事会場から持ってきたと思われる小さなナイフを、彼女が自分自身の手首に添え、リストカットをしようとしていたからだ。
「……伯爵様、私はもう自分が許せないのです…。あなた様にあれほど愛情をかけて頂いたのに、こんな形でその気持ちを裏切ってしまって…。たとえあの二人に仕組まれたからと言っても、許される事ではありません…。私はここで…死んでお詫びを」「ダメだっ!!!!!」
伯爵は彼女の手からナイフをひったくると、その勢いのままに彼女を自身の胸の中へと抱き寄せた。
「言わなくても分かるとも。君はセイラたちに脅されていたんだろう??どうせ君の事を利用して、この僕との関係を取り持たせようとでもしたんだろう?」
レリアはただただその体を震わせながら、力なくうなずいて答えた。
「やはりそうか…!まったくセイラめ、どこまでも汚い手を使って…!」
「そ、それでも…。たとえセイラによって脅されていたからと言っても、私が伯爵様を裏切ってしまったのは紛れもない事実…。このまま関係を戻すだなんて虫のいい事、できるはずが…」
「それは違うよレリア。いい機会だから改めて告げよう。僕はもう、君との運命を確信しているんだ。君は他の女とは違う、特別な存在なんだ。セイラとの婚約に目をつけたのだって、君との未来を思えばこそだった」
「伯爵様…」
「ぜひ、君には僕の思いにこたえてほしい」
「わ、私などでいいのなら…!!」
そう会話をした二人は、その場でお互いを強く抱きしめあった。…しかしレリアがその内心で想っていた言葉は、やはりいつも通りだった様子…。
「(ほんと単純…。ちょっとナイフをもって緊張感を抱かせたら、それまでの事なんてすぐに忘れてしまうんだもの。一時はどうなるかと思ったけれど、ちょろい伯爵で助かったわぁ~)」
用意周到な彼女は、会場から飛び出す際にすでにナイフを持ち出していた。最初からこうなる未来を予想していたかのように…。
一方の伯爵は、あれほど信じられない裏切り行為を行われていながらも、自分が溺愛するレリアの存在をあきらめることができなかった。恋は盲目とはよくいわれるものの、ここまで盲目になる人間もそうはいないだろう…。
「ここまでレリアをたぶらかしたセイラ…。もう許しはしない…。彼女との婚約などもう取りやめだ。今までは泣いて謝ってきたら許してやろうと思っていたが、こんなことをされて許すことなどできるはずもない…。レリアが受けた苦しみを、倍以上にして返してやるからな…」
完全な逆恨みでありながら、伯爵はセイラの事を攻撃することがレリアへの愛情表現だと思ってしまっている。セイラを追い込めば追い込むほどに、レリアは自分に惚れてくれるのだと…。しかしそんな危なっかしい感情は、当然レリアに再び目を付けられることになり…。
「(セイラへの復讐ねぇ…。その過程で出会う、伯爵よりも優良な男に乗り換えれば、すべては丸く収まるわね…♪)」
異なる思惑を持つ二人の未来は、果たしてどうなっていくのだろうか?
伯爵はすぐさま会場へと引き返すと、集められていた人々を強引に追い返し、食事会を強制的に終了させたのだった。




