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第15章 婀娜骨




「引っ越すぞ」


玲サンが来なくなってしばらく経ったある日、出し抜けに樫尾がそう言ったので、事務所にいたメンバーは皆面食らった。


「え?」


事務所に集められていたメンバーたちはざわめき、近くの者と顔を見合わせた。


「なんでですか?」


俺は先陣を切って樫尾に聞いた。


「確定情報じゃないが、この事務所がサツにリークされたかもしれない。」


樫尾は硬い表情で言った。面々は顔色を変え、ざわめきはより大きくなった。樫尾は「静かにしろ!」と大声を出した。俺は心臓が変な風に跳ねるのを感じた。


「バレたと決まった訳じゃない。だが、安全だとも言いきれない。だから、念のため引っ越すんだ。もう次の事務所は見つけてある。」


メンバーは静まりかえった。サルがおそるおそる聞いた。


「…い、いつ、引っ越しですか?」


「来週末だ。各々準備を手伝え。自分の荷物もまとめとけよ。引っ越し先は直前に伝えるから今聞くなよ」


樫尾は言葉を切って、メンバーを見回した。


「あと、一応お前らも身辺には注意しろ。万一サツに遭遇したり、詰問されたりしてもボロを出すなよ。解散!!」


俺は樫尾を捕まえようと樫尾に近づいた。樫尾が逃げる素振りを見せたので、俺はダンッと樫尾の顔すれすれの壁に手を着いた。樫尾は俺を睨めつけたが、俺は引かなかった。


「…玲サンか?」


俺は声をひそめて樫尾に言った。樫尾は舌打ちしてイライラと俺を押し退けながら言った。


「知らん。俺が聞いたのは、組の方がお世話になってる顧問弁護士から警告されたってことだけだ。」


「『詳しいことは言えないが、おたくにサツが来る恐れがあるから気をつけろ』ってな」


「玲さんは依然として行方不明だ。連絡もつかないし、この件との関連があるかは俺には何とも言えん」


樫尾は俺の肩にぐっと力を込め、顔を近づけた。


「双、お前は何か知ってんのか?」


「…知ってたら、まだ良かったんですけどね」


「…そうか。ならいい。」


俺の苦々しげな口調に嘘ではないことを悟ったのか、樫尾は案外あっさりと俺を離した。

樫尾はバタンと事務所の扉を乱暴に閉めて出ていった。樫尾が電話口でなにか話しているような声が扉の向こうから聞こえた。


俺は、自分が道端で風に吹かれるレジ袋になったような気分になった。今いるのはあるべき所ではないはずだが、どこにも行き場がない。そして、誰ひとり、それを気にも留めない。

ミオの死を知らされた時も、少し違うけれども、似たような気分だったなと俺は思い出した。あれから1ヶ月も経っていないのに、遠い昔に感じた。


俺は玲サンのことを考えながら、鬱々とその日を過ごした。帰りには突然ゲリラ豪雨が降って、うっかり傘を忘れた俺はびしょ濡れになった。あちらこちらでマンホールから水が溢れ出し、ニュースは豪雨の警戒を呼びかけた。確か台風が来ているんだったか、と俺は思い出した。九州やら四国やらが大変なことになっていると昨日のニュースで言っていたような記憶がかすかにある。


しかし、本当に驚くべきことは俺が自分のアパートに帰りついてから起こった。

俺が濡れた服を着替えていると、玲サンからテレグラムにメッセージが来たのだ。それは非常に簡潔なメッセージだった。


『明日の15時に、以下の住所まで来てください』


その下には、文京区の住所がつらつらと書かれていた。


俺は仰天して、持っていた寝巻きの上を放り出し、必死に玲サンと連絡を取ろうと試みた。鬼のように大量のメッセージを送り、音声通話ボタンを連打した。だが、全ては無駄だった。既読は1つもつかず、通話は繋がらなかった。俺は落胆した。

テレグラムには予約投稿の機能がある。この画面の先に玲サンがいるとは限らない。それでも、無視されたようで辛かった。俺はまた寄る辺ない気分に陥った。


でも、今は手がかりがある。


明日の15時。


行かないという選択肢は最初から無かった。



翌日、俺は足立区にある自分のアパートから、玲サンに指定された住所へと向かった。電車とバスを乗り継いで1時間。意外と時間がかかった。

俺は最寄りのバス停を降り、傘を差して歩いた。


閑静な住宅街はしとしと降る雨に打たれていた。レトロな一軒家が立ち並んでいるせいか、天気が悪くても落ち着いた雰囲気が漂っている。俺が住んでいる足立区の安アパートのある、うらぶれた通りとはえらい違いだ。

俺は道の端にプレートを見つけた。どうやらこの坂道には名前がついているらしい。しかし漢字にあまり強くない俺には、そのプレートの漢字が読めなかった。金へんに登るという字と、坂という字が書いてある。見上げると、細く緩やかな坂道は片側が石垣になっている。


俺は片手にスマホ、片手に傘を持って、住所と周りを見比べながらうろうろと目的地を探した。道がややこしく入り組んだ住宅街のせいで何度か迷ったが、ようやく正しいと思える曲がり角を曲がることができた。

すると、俺の目には和風のやや大きめの一軒家と、その家の軒下で困り顔をしている男が映った。男と目がばっちり合った。


俺は息を詰めた。住所を見る。間違いない。この男は()()()()()()()()()()()()()


俺は当然ながら警戒した。もしも刑事だったりしたら厄介だ。通り過ぎようかとも思った。しかし、目の前の品の良さそうな初老の男は、刑事にはまるで見えない。だが、道に迷っている一般人が途方に暮れている、というようにも見えない。

男は手に使い込まれた大きめのビジネスバッグを持ち、高級そうな時計を着け、落ち着いたベージュのスーツと、同色の帽子を着こなしていた。まるで退官した大学教授のような、柔和で知的な雰囲気を醸し出している。刑事はこんな服装はたぶんしないだろう、と俺は思った。男は玲サンの家を見たり、時計をちらりと見たりしながら、何故かずっと困ったような顔をしている。俺から見て男の反対側には、チェック柄の黒っぽい傘が玄関の引き戸に立て掛けられている。もしかしたらあの傘は男のものかもしれない。


俺はスマホをしまって男に近づき、男の隣にある表札を覗き込んだ。そこにはしっかりと「砂川」と書かれていた。玲サンの名前、本名だったんだ。俺は次に玄関の引き戸越しに家の様子を伺った。雨樋から忙しなく流れる水音を除けば、家は静まりかえっているように見えた。人の気配はない。


引き戸の前に立ったままの男は、玲サンの家をじろじろと見る俺に怪訝な顔を向けつつも、丁寧な物腰で話しかけてきた。


「あのう…砂川さんのお知り合いの、ソウさんとは、貴方でしょうか?」


俺は名前を呼ばれたことで内心かなり驚いたが、なんとか取り繕った。


「っ、ああ、俺が双だけど…あんた誰?玲サンは?」


「申し遅れました、私は砂川さんにご贔屓にしていただいている時計専門店の者でございます。」


時計屋の男は、手に持った荷物を軒下の地面に置いて帽子を取ると、礼儀正しくそう述べて名刺を差し出した。俺は仕方なくそれを受け取った。時計屋はここに来たいきさつを説明しだした。


「困ったことに、砂川さんの居場所については、私も存じ上げないのです。砂川さんは、数日ほど前に、私どもの所に宅配便で、とある荷物を届けてこられました」


「そこに同封されていた私宛の手紙には、今日の15時に、その荷物を持って砂川さんのご自宅の前に立っていて欲しい、そして、『ソウ』という名の男性が現れたら荷物を渡してほしいという旨が書いてあったのでございます。私どもとしましてもこういったことは初めてのことでしたので、大変困惑いたしましたが、砂川さんは当店のお得意様でございましたので、今回は特別にということで、私がここまで足を運んだ次第です。しかし、インターホンを鳴らしても応答が無かったため、私はこうして未だこの軒下にいるという訳でして」


よく完璧な敬語のまま長文を話せるなと、俺は本題とはあまり関係のないことに感心をした。

えーっと、ちょっと待てよ。玲サンから、この時計屋の所に荷物が来た?そして、それを俺に渡せだって?俺は頭が混乱した。


「荷物って、どんな?」


「こちらの、小さな箱でございます。中身は見ておりません」


時計屋は手荷物から手の平サイズの小箱を出した。俺はあることに気づき、ハッと息を飲んだ。

この時計屋は砂川さんをお得意様と呼んだ。つまりこいつは、『出入りの商人』。


玲サンは、まさか──。


『あなたが私の元を去るときには、

出入りの商人に言いつけて、

どうかその婀娜骨を私に遺してください。』


俺は持っていた傘を取り落とした。


「貸せ!!」


次の瞬間、俺は箱を時計屋からひったくろうとしていた。


「あっ、ちょっと待って下さい!!」


時計屋はなぜか、かなり必死に抵抗してきたが、「殺すぞ」と俺が凄むと、箱からぱっと手を離し、怯えた顔で俺から距離をとった。その勢いで、時計屋の後ろに立て掛けてあったチェック柄の傘がばさりと倒れた。

俺は恐る恐る、指輪でも入ってそうな立方体の箱を震える手で開けた。


箱の中には、何も無かった。


骨も、指輪も、何一つ、入っていなかった。


「は──ははっ。」


俺は箱を持ったまま、乾いた笑いを漏らした。


結局、玲サンは、約束を破ったんだ。あれだけ頑張ったのに、俺は、玲サンの骨すら貰えない。ものが骨だけに、無駄骨とはまさにこのことだ。落ちまでついてしまって、笑える。


「あ、あの…」


時計屋は、俺の狂気じみた笑いにますます怯えつつ、実に言いにくそうに話しかけてきた。


「…なんだよ。」


俺はガラの悪い声を出した。


「実は、他にも、砂川さんから渡されたものがありまして…」


「…へ?」


俺は変な声を出した。


「『必ず箱と一緒に渡すように』って、手紙も同封されてたんですよ。だから、止めようとしたのに」


時計屋は封蝋をされた、シンプルな横書きの封筒を遠慮がちに俺に差し出した。表に、神経質そうな字で「双くんへ」と書いてある。俺は呆然としながらも封筒を受け取り、封を切った。


"

双くんへ


私はまだ、生きています。


本当の事を言えば、山本亜子を殺して、私も死ぬつもりでした。一年ほど前からずっと、そのつもりで生きてきました。息子が死んでから、私の生き甲斐は復讐にのみありました。


実際に、もう少しのところまで行きました。私がうまく縛り上げた山本亜子は私に泣いて謝り、命乞いをしました。私はそれを聞き入れず、太いロープを山本亜子の首に巻きました。


でも、情けない事に、いざロープを締めようとした時、私の頭に双くんの顔が浮かびました。だから私は、山本亜子を殺すのは止しました。代わりに、双くんの集めてくれた証拠を持って、自首することにしました。今から、警察に行ってきます。


私は必ず、双くんの所に戻ってきます。だから、骨は渡しません。その箱は、実際に私の骨を入れる時が来るまで、持っていてください。


砂川玲


俺は手紙を最初から最後まで、3回読み直し、はぁあ~っと息を吐いてしゃがみこんだ。


「…良かったあ…。…よ"かっだ、よがっだよ"お"~」


鼻声でそう言い、泣き出した俺を時計屋は相変わらず怯えながら見つめた。だが、悪くない雰囲気を感じ取ったらしく、少しホッとしたような顔をした。


「砂川さんは、何と?」


時計屋が聞いてくる。


「お"、お"れ"と、付き合っでぐれるって」


俺は言葉にならない声で説明した。時計屋は大層驚いた顔をした後、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「な、なんと…!でも、それは、良かったですね。あの方は、息子さんを亡くされてから、どこか陰がおありでした。いや、その前からでしょうかね。もしかすると、夫さんを亡くされてからずっとだったのかもしれませんね…」


「私はあなた方を祝福しますよ。砂川さんとあなたの未来に、永遠に幸あらんことを!!そうだ、お祝いに、時計を作りましょうか?」


俺は涙ながらに頷き、何も知らない時計屋は嬉しそうに笑った。

幸せなミライってやつが、俺の所に来るなんて、今まで考えもしなかった。

詐欺罪の刑期は、最長でも10年。その時、俺はまだ30だ。全然待てる。組織的詐欺の片棒を担いだとはいえ、架け子でしかない玲サンの刑はそう重くならないと思うし、自首ならある程度の減刑はされるだろう。初犯だろうから、執行猶予がつく可能性も高い。


俺は、詐欺からきっぱりと足を洗うことを決めた。親父からなんと言われようが、グループの面子から足抜けを咎められて追われようがどうでもいい。修羅として生きるのを止めたって、俺は一朝一夕には人になれないだろうが、それでも10年たてば、人の端くれくらいにはなるだろう。10年後、同じく人の端くれになった玲サンと一緒になれば、人にもっと近づけるに違いない。


そうしたら、きっと最期に、玲サンは逝ける。息子と、夫がいるところに。

そこに、俺もコバンザメみたいにくっついて着いていくんだ。とんだ邪魔者だけど、俺が玲サンを現世に押し留めたんだから、一緒に着いていくくらいの権利はあるはずだ。


それが、俺と玲サンの幸せなミライ。


俺は落ちたままになっていた傘を拾って閉じ、時計屋と一緒に軒下から出た。いつの間にか雨は上がっていた。時計屋は「今度見積もり持ってきますから、名刺の番号までご連絡下さい」と言って帽子を上げてみせ、道端に停めてある洒落た車の方へと歩き去った。


気持ちのいい7月の風が吹いている。俺の涙は次第に乾き、まだ薄い色の空へと消えていった。




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