時の流れに
松は、そうやって犬神の宮へ帰った。
もう、王妃ではなかったが、特に問題もなく、むしろ王妃の時より楽しげに毎日を過ごしているらしい。
気にして毎日それを眺めていてくれた、十六夜が維月に教えてくれた。
維心から、離縁の話を聞いた時はそれは案じた維月だったが、松にとってはそれが一番良かったのだろうと納得して、毎日を、いつしか松の事は忘れて過ごしていた。
月日は流れて、その年も問題なく暮れて行き、正月、節分と毎年の恒例行事をこなしていると、瞬く間に一年が過ぎて行った。
新しい序列も皆に浸透し、最上位の宮に加わった渡の宮も美穂の働きでスッキリと礼儀正しく回るようになり、メインテーブルに座る塔矢と仁弥も板に付き始め、すっかり落ち着いた様子になった。
そして、今年は七年に一度の大会合の年だった。
北と北西の大陸の王達が集う恒例行事で、前の会合はいろいろあってすっ飛ばしてしまったので、かなり久しぶりだ。
そのために建てられた会合の宮に、今年も多くの神達が集まる予定だった。
その大会合に、漸は今回初参加だった。
そんな只中で王は大丈夫なのかと、臣下達は気を揉んでいた。
「王、常とは違うと聞いております。」伯が、案じて言った。「とりあえず、着物は龍の宮から贈られた万華がありますのでそれで仕立てて、見た目は何とかできますが、後は王ご自身のことでありますぞ。礼儀はおさらいなさいましたか。」
漸は、うるさそうに言った。
「大丈夫よ。そもそももう、侍従の記憶が在るゆえ問題ないわ。常より気を遣うようにする。それより、旗清に布を贈ってやったか?あやつも身なりを気にしておったゆえ、我が宮の職人が織った物をやると申しておったのだが。」
伯は、頷いた。
「はい。それは、お命じなされた直後に幾らか良い物を見繕ってお贈り致しましたが。」
漸は、頷いた。
「ならば良い。」と、柊を見た。「柊、此度は主も来い。今交流のある全ての神が集うそうな。主なら顔と名前をすぐに覚えるだろうて。」
柊は、顔をしかめた。
「その間、この宮の中はどうするのですか。三日も留守にすることになるのですぞ。」
漸は、答えた。
「伯に任せる。三日ぐらいならこれがやるわ。」
伯は、目を丸くした。
「王、我は王族でもないのに。きめられぬ事もございます。」
漸は、言った。
「あのな。志心にも皇子が居らぬのに、あやつは気軽に宮を開けて来るのだぞ。主らにできぬ事はあるまいが。」
柊は、言った。
「父上、それは志心様が宮を開ける間の政務を先にこなして出ておられるからでありまする。父上にそれがおできになりますか。」
漸は、ウーッと唸った。
「ならば、主がやれば良いではないか。我ばかりに申すでないわ。」
伯が、食い下がった。
「王、柊様は皇子であられるのですぞ。やっと来年ご成人するお若い神なのです。王がお手本をお見せする姿勢でなければなりませぬのに。」
漸は、パッと明るい顔をした。
「そうか、柊は来年成人か。」
柊と伯は、顔を見合わせた。
嫌な予感がする。
「ならば、対外的な事も任せられるようになるの。」漸は、嬉しそうに言った。「これまで成人しておらぬからとか散々我ばかりが出て行っておったが、柊が居るなら半分担ってもらえるわ。気が楽になるものよ。」
伯が、困惑した顔をする。
柊は、ふるふると握りしめた拳を震わせていた。
伯は、柊が怒っているのを感じて、慌てて言った。
「王!なりませぬ、他の宮の王達が、特別な理由なく皇子に名代をさせることがありますか?ご政務が多いのは重々承知しておりますが、対外的なものまで柊様と半分になどできませぬ!」
漸は、面倒そうに手を振った。
「そも、柊の方が対外的な対応は向いておるのよ。本来なら、全部任せても良いかと思うのに。」
伯は、困惑して柊を見る。
柊は、顔を赤くして目を吊り上げ、目に見えて激昂した様子で、言った。
「…王がやるべき事を、全て丸投げと?そう申すのだな?」
漸は、ムッとした顔をして柊を睨んだ。
「…口の利き方に気を付けよ。主は皇子なのだぞ?敬わぬか。」
柊は、手にしていた大会合の知らせの書状を、漸に叩き付けた。
「うるさい!」漸は、仰天してそれを受け止めた。柊は続けた。「敬って欲しければ、王らしゅうせぬか!思い出してこの方、相変わらず愚かな主を何とか支えねばと励んで来たが…もう限界ぞ!ようそれで父上は主を跡目に選んだの!こんなことなら、もっと黄泉で休んでおるのだったわ!」
漸は、それこそ何の話か分からずに、呆然と柊を見つめた。
「黄泉?何を言うておる?主の父は我であろう?」
柊は、フンと鼻を鳴らした。
「今生はの。だが、我の父は主ではないわ。怜ぞ!愚かな弟を案じて下りたが、父上は行かぬで良いと申しておったのに。誠にその通りだったわ!」
怜は、漸の父だ。
つまりは、前の王だった神だった。
「え、兄上か?」漸は、目を見開いた。「まさか主は、柊兄上なのか?!」
柊は、漸を怒鳴り付けた。
「やかましい!もう知らぬ、勝手にせよ!あれだけ我が申した事を、王座に就いたらあっさり忘れおってからに!我は出て参るわ!」
柊は、踵を返した。
漸は、その背に叫んだ。
「柊!主は柊兄上なのか?!我のためにすぐに転生して来ておったのか?!」
柊は、足早に歩きながら、答えた。
「そうよ!だが、もう知らぬ!」
柊は、さっさとそこを出て行った。
漸は、慌ててその背を追った。
「兄上!兄上、お待ちを!」
だが、柊はさっさと回廊脇の窓から飛び立ち、結界を出て行ってしまったのだった。
蒼は、杏子も育って来たし、毎日おっとりと過ごしていた。
宮を閉じているので、大会合も空から見ているつもりで、その場には行くつもりはなかった。
そんな落ち着いた朝を過ごしていた蒼の所に、嘉韻がやって来て膝をついた。
「王。結界外に、柊様がいらしておりますが。」
蒼は、え、と顔を上げた。
「柊?あれ、来るって言ってたかな。」
嘉韻は、首を振った。
「それが、軍神も連れずにお一人で。成人前の皇子が、供もなくたった一人で結界外に浮いていらしたので、お声をお掛けした次第でございます。そうしましたら、王にお会いできないかとの事でありまして。」
蒼は、何だろうと頷いた。
「いいよ、今日は会合も無いし、これへ。柊とはいろいろ、ここに居た時から話して仲良くなってたし。」
嘉韻は、頭を下げた。
「は、ではこちらへお連れ致しまする。」
そうして、嘉韻は出て行った。
蒼は、あんなに真面目な柊でも、こんな風にフラりと宮を出て来る事があるのだなと、呑気に考えていたのだった。
だが、柊は険しい顔をしながら、王の居間へと案内されて入って来た。
「…柊?どうしたのだ、何やら険しい顔をして。何かあったのか?」
蒼が気軽に聞くと、柊は頷いた。
「蒼様。実は折り入ってお願いがございます。」
蒼は、目を丸くした。
「なんだ?良い、とにかく座れ。」と、柊が座るのを待って、続けた。「オレが聞けることなら何でも言えば良いが。」
柊は、頷いた。
「我を、こちらに置いてはくださいませぬか。」
蒼は、目を見開いた。
「え、ここに?別に良いが、いつまでよ?学びたいことがあるのか?」
柊は、首を振った。
「違うのです。我は、もう嫌になってしもうて。」
何事かと蒼は驚いたまま言った。
「まあ、漸が父親だし、あやつは最近元々の性質だろうがいろいろ適当だと維心様が案じておられたが、もしやその事か?」
柊は、また頷いた。
「は。実は…蒼様には申します。我の前世は、あれの兄の柊。あれを、何とか王座につけて生き延びる術を与えようと教育した、その神の生まれ変わりなのですよ。」
蒼は、それこそ目が飛び出るほど驚いた。
「ええ?!去年の花見の時に漸が話してた、上から二番目の?!」
柊は、頷いた。
「はい。何しろあやつは愚かで、元は優秀なのですが面倒を嫌うので学ぶ事をせぬ奴で。死ぬ寸前まで案じておりました。何しろあれは、我が死んで長く塞ぎ込んで。王座に就いたところで大丈夫なのかと、あちらからハラハラして見ておって、とにかく下りようと、すぐに転生した次第です。それを…あれは、今生皇子である我が優秀だとか言うて、まだ幼い頃から政務を丸投げにして来たり、目に余る所業。前世の記憶が早くからありましたので何とかこなしておりましたが、もう限界で。あやつは来年我が成人すると聞いて、対外的な事を丸投げしようと言い出したのです。どこの世界に他の宮との大事な付き合いを皇子に丸投げする王が居るのですか。もう、やってやれぬと出て参った次第で。」
まじか。
蒼は、そう思ってまじまじと柊を見た。
最初に見た時から、落ち着いた神だと思っていたが、前世の記憶があるからだったのだ。
気持ちは分かるがどうしよう、と、蒼はおろおろしながら窓から空を見上げたのだった。




