やる気
皆が黙り込んでしまったので、その空気を何とかしようと炎嘉が言った。
「とにかく、乳母は決まっておるのだろう?ならば、それらに行かせよ。そろそろだからと言えば、おかしゅうない。そして、そやつらにどれ程生まれて来るのを待ち遠しく思うておるのか、毎日とくとくと話して聞かせるように命じるのだ。さすれば、そやつは待っている奴が居る、と思うて出て来る。そうするのだ!」
漸は、えー?と渋い顔をした。
「そこまで待っておるわけでもないのだがの。犬神としては恐らく半分。我の子であるが、瑞花の子でもあるからぞ。龍や鷹のように、誰から生まれても生粋の眷属なわけでは…、」
「良いから!」志心が焦れて言った。「それでも主の子だろうが!いくら弱い者は淘汰される宮であるからと、もしかしたらとんでもなく優秀やも知れぬのに!薄情になるでないわ!」
漸は、何か言い返そうとしたが、言われて考え直したような顔になり、仕方なく頷いた。
「…分かった。主らが直系の子を大切にするのは知っておる。ならば、そのように。」
どこぞの侍従の記憶があって良かった。
皆は、ホッと息をついた。
維心は、言った。
「それにしても…主らは、弱いと己の子でも見捨てるのか?我の血筋で弱いのはあり得ないが、それでももし生まれたら臣下に世話をさせてなんとか生き延びられるようにするが。」
漸は、頷いた。
「主らはそうできるな。だが、うちでは皆、見捨てるしかない。もし、手助けしても親は先に死ぬし、結局親が死んだ後それを追う事になる。弱いと、見捨てる以前に一人で生き延びる事が困難ぞ。幼い頃は良い。だが、育って来ればいくら王の子であろうと、男ならまずは軍に入る。気が小さければ政務見習いぞ。そこから励んで、王の子であっても誰より強く賢くならねばならぬ。我とて父上の子の中で一番強く一番賢いと言われて王座についた。まずは自立、その上で皇子か否かという感じぞ。」
北と似たような感じか。
皆は、思った。
つまりは、皇子達が全員弱ければ強い臣下に王座が渡るのだろう。
「…ならば、主らは太古とは血筋が違うのか?」
漸は、それには首を振った。
「いいや。我は、間違いなく太古の我、つまりは樂の血筋よ。これまで、王の血筋が全員弱いということはなかった。弱い者は死んだが、強い一人は必ず生き残って王座を守って来た。王の子だからといって、全てが強いわけではないしな。昔は王座を巡って殺し合ったりしたそうな。今はそこまではないがな。」
やはり、熾烈な戦いがあるのは確かなのだ。
つまりは、やる気のないこれから生まれる皇子では、その宮で生き残って行けるのかわからないので、漸はあまり良い顔をしないのだろう。
「…つまりは、主の子は生まれた方がつらいやも知れぬと?」
漸は、頷いた。
「その通りぞ。我が、安穏としておってこの地位に就いたと思うか。あれこれ根回しも必要であったし、努力も必要であった。その上で父上が我を跡目にと決めねばならぬし、父にも良い所を見せねばならぬ。忙しいことこの上ないのだ。王族に生まれたからと、何も特別な事はないのよ。消極的な命には、逆につらい事になる。その子には、なので生まれたら生きるために励む方法を教えるつもりぞ。どこの父親も、そうするようにな。」
やはり、北と似ている。
皆は、顔を見合せた。
臣下でさえも自立しながらやって来た宮なのだから、考えれば分かる事ではあった。
皇子であっても、いや皇子だからこそ、容赦ないのだ。
「…どうしたものかの。」焔が、ため息をついた。「とにかく無事に生まれる事であるが、その後ぞ。案外に生まれたら、覚悟を決めて励みよるやも知れぬよな?」
炎嘉が、渋い顔をした。
「まあそうだの。生まれたからには励んでもらわねばの。いつまでもやる気がないとなると、こちらもどうしようもないわ。そこまで面倒は見切れぬ。」
とはいえ、赤子が死に逝くのを黙って見ているのは寝覚めが悪い。
いくら本神が生まれて来たくなかったとしても。
なのでとりあえず、乳母は予定通り早めに行かせて赤子を励ますようには命じるように改めて言った。
後は、それからの生をどうするのか、その命次第なのだ。
鷲の宮から維心が戻って来るので、維月は居間で待っていた。
維心は、相変わらず離れてから見ると目が覚めるように美しい様で帰って来て、相変わらず全く自分の姿には気付かずに、維月に言った。
「今帰った。」
維月は、こんなに美しい夫が居るなんてなんてラッキーと内心喜びながら、頭を下げた。
「お帰りなさいませ。」と、嬉々として維心の手を取った。「…何やらお疲れのご様子ですわ。何かございましたか?」
維心は、維月と共に着替える間もなく居間の椅子へと沈むと、頷いた。
「漸の子ぞ。その話で、もう昨夜から疲れてしもうて。」
維月は、ああ、と美しい維心に見とれるのを忘れて顔を暗くした。
「…十六夜から昨夜聞きました。やる気がないのだとか。漸様は、それでは犬神の宮では難しいとお思いなのでしょう。」
十六夜が言ったか、と維心は頷く。
「その通りよ。十六夜があちこちの妃の出産状況を知らせてくれていたのだがの、その話になって。皇子であるからなあ…皇女なら、別にこちらで育ててどこぞに養子なり、侍女なりで入れるのにと皆で今朝から話しておった。ま、仕方がないのだがの。」
確かにそう。
維月は、思った。
皇子は王座の事もあるので、他の宮に仕える選択肢がないのだ。
それこそ、関のように身分を捨てて生きるしかない。
育ってから己で決めるのなら仕方がないが、赤子のうちから外に出すのは哀れだし、皇子であったことを知った時にどう思うのかわからないのだ。
「…困りましたわ。とはいえ、せっかくの命なのですから、無事に生まれて欲しいと願っております。高彰様のような事は…。」
高彰は、宮に戻ろうと黄泉から出て来るのに、高瑞の子として生まれようとしたが、その時弓維が妃であったので、龍として生まれる事を知り、それではならぬと器を捨てて黄泉へと戻った。
なので、その時は死産になったのだ。
せっかくの器が、それで失くなってしまったのだ。
「それはそうよ。とはいえ、命の選択を我らが阻む事はできぬ。できる限りの事はしようぞ。だが、後は本神に任せるしかないの。」
こんな混乱した最中だものね。
維月は、眉を寄せた。
宿った時には幸せな両親の元に、見守られて育つと思ったのだろう。
だが、そもそもが犬神の宮はそういった宮ではないのだ。
犬神の宮を選んだ命なら、それぐらいは分かっているようには思うのに。
「…ですが、犬神の宮を選ぶ命なのですから、分かっておったと思うのですが。」維月が言うのに、維心は眉を上げた。維月は続けた。「そうではありませんか?あの宮を選んだのですよ?大体が、縁の命が生まれ出るものでしょうに。門を開いてお話しする元王達も、軒並み己の宮に生まれるのが当然と話をしておりまする。志幡様も、志心様に転生できないから妃をとか仰っておられたし。」
言われてみたらそうだ。
ということは、瑞花の腹の子にやる気がないのは、もしや他の理由があるのでは?
「…言われてみたらそうよ。」維心は、立ち上がった。「維月、ちょっと出て来るわ。炎嘉と話して参る。」
維月は、まだ着替える前で良かった、と頷いた。
「はい。行っていらっしゃいませ。」
維心は、帰って来たばかりの扉から、サッと美しく身を翻して出て行った。
その、意識していないのに品の良い美しい後ろ姿に、せっかく帰って来て眺めていられると思ったのに、早く帰って来ますように、と維月は思って見送ったのだった。




