許し
維心は、全部聞いていた。
聞いていたが、鵬に対して維心を批判する言い方をしていた維月の言葉を聞いた辺りで、もう他は頭に入っていなかった。
…やはり維月は我に怒っている。
維心がため息をつくと、炎嘉が言った。
「…聞いておったぞ。隣りなのだからの。その気になれば声だけなら聴こえるわ。主に怒っておるではないか。鵬に謝らせて何とかしようなど甘いぞ。」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「分かっておるわ!だが…何と申したら良いものか。」
関が、バツ悪そうな顔をした。
「我のせいで…このようなことに。」
だが、志心が言った。
「主のせいではない。亜寿美も、似たような事を申して維月が折れておるわ。恐らく、もうそれほど強くは維心に当たらぬだろう。亜寿美に感謝せよ。」
維心は、え、と言った。
「維月がそのように?」
焔が、頷く。
「聞いておらぬのか。今も話しておるわ。亜寿美はの、こうなったのも己のせいだと気に病んで、これ以上己の罪を増やさぬようにと維月に懇願したゆえ、維月は折れたのよ。だが、知らぬぞ?主の言い方次第でまた怒るやも。」
すると、そこへ鵬が、のろのろと入って来て、項垂れたように頭を下げた。
「王。その…」
維心は、煩そうに手を振った。
「ああ良い!聴いておったわ。我に申し開きせよと申すのだの。」
鵬は、深々と頭を下げた。
「は…。」
神世広しと言えども、龍王に申し開きを求めることができるのは、きっと維月だけだろう。
維心がイライラと黙り込むのに、志心は、言った。
「どうする。このようなことで謝ることなどせぬと怒るか。だったら離縁だの。我に譲ってくれたら大切にするぞ。正月が終わったら連れ帰る。臣下も喜ぶわ。」
え、と皆が驚いた顔をするのに、維心はとんでもないと首を振った。
「なぜに離縁など!」と、立ち上がった。「すぐに謝って参るわ!」
と、言うが早いか扉へと突進して一瞬で居なくなった。
それを見送って、炎嘉が言った。
「…主、わざとであるな。」
志心は、フンと鼻を鳴らした。
「どうせ、誇りだなんだと最後には謝るくせに、うだうだ時だけを使うのだあれは。ゆえ、もうこうした方が早いと思うての。早かっただろうが。」
焔が、何度も頷いた。
「その通りぞ。志心は正しい。そも、正月に遊びに来ておるのに、なぜにこんなにごたごたせねばならぬのよ。さっさとあれらが仲直りしてくれねば、犯人捜しの遊びもままならぬだろうが。ここは、維心にさっさと頭を下げさせて終わりにせねば。」
関はまだバツが悪そうにしているし、鵬は項垂れている。
この空気に、炎嘉はため息をついていた。
維心は、隣りの部屋へ駆け込もうとして、ハッとした。
…他の妃も居る。
急いで維月の侍女の早紀が寄ってきて、頭を下げた。
「王。お取り次ぎ致しましょう。」
維心は、首を振った。
「良い。扉を開け。」
早紀は、維月がまた怒るのではないかと思ったが、王が言うのに逆らえるわけがない。
なので、開いた。
早紀は、なるべく早口で急いで言った。
「王のお越しでございます。」
皆が、一斉に振り返る。
そして、入って来たのが維心だと知ると、慌てて頭を下げた。
維月も頭を下げたが、心の中で舌打ちをした…そうだった、あんな風に言ったら怒ったと、すぐに来る可能性が高かったのに。
「表を上げよ。」維心は言って、真っ直ぐに維月を見た。「茶会の最中であるのは分かっておるが、話がある。出て参れ。」
維月は、まだここで怒り出さないだけマシだと思い、立ち上がった。
「はい、王。」そして、心配そうに見上げる、皆を見た。「皆様はこのまま。すぐに戻ります。」
綾は、頷いた。
「はい。維月様、亜寿美様のお話をどうかご配慮頂いて。」
亜寿美が己のせいだと必死に訴えたアレを、思い出して落ち着いて話せと綾は言っているのだ。
維月は、微笑んで頷いた。
「はい。ご心配には及びませぬよ。」
とはいえ、維心が何を言いたいのかわからない。
維月は、維心についてそこを出て行った。
維心は、隣りへ戻ることもなく、そのまま歩いて行く。
どこへ行くつもりなのだろうと思っていたら、しばらく歩いた後、大回廊へと曲がった辺りで、突然振り返った。
何事かと維月も急いで足を止めると、維心は言った。
「維月、怒っておるか?」
維月は、ここで立ち話なのかと思ったが、ため息をついた。
「…もう、よろしいですわ。亜寿美様が気に病んでしもうて、己が悪いと申して、これ以上ゴタゴタしましたらもっと病んで、もう茶会など二度と出られぬようになってしまわれるので。ですが、あのように監視するような様は、私は嫌いです。見ようと思えば見えるのですから、あのように意地の悪いことはなさらないでくださいませ。」
維心は、頷いた。
「分かった。ならばもう良いな?我が悪かった。これよりは勝手に見ておるから。」
それはそれで嫌だったが、仕方がない。
維月は、頷いた。
「はい。いつまでもこの件について申しませぬ。」と、維心の手を取った。「ところで…関様は皇子に戻られるとか。渡様は王座に戻られるのを、ご承知になられましたか。」
維心は、今歩いて来た道を、維月の手を握って歩いて戻りながら、頷いた。
「やはり序列が下がると臣下がの。関と亜寿美は、恐らく三番目なら問題なくやれる。なので無理をさせずにそれでも良かったが、二番目から陥落したら、臣下がどうなるかと話したのだ。関を討ってまで渡を王座にと言い出すやも知れぬ。ゆえ、渡はそうするよりなかったのよ。」
確かにそうだ。
維月は、頷いた。
「亜寿美様も、とても素直なかたなので。悪気はないのですわ。ですから、学ぼうという気持ちになっておる今、時を与えて差し上げるのは、良い事だと思います。」
維心は、頷く。
「悪気がないのは知っておる。だが、我らと付き合いが多い二番目が、あれではの。渡が王座に居る間に、宮を整えたいので誰か上位から皇女を派遣して、亜寿美に教えさせたいのだが、主、誰か知らぬか。渡に再縁を求めたが、あやつは相手が気の毒だしその気はないとか申す。ゆえ、とりあえず教師の任でと思うておるのだがの。」
維月は、歩きながらうーんと唸った。
「…そうですわね…椿様のお子で、箔炎様第一皇女の菖様が、もう二百を越えておられますけど。ですが、仮に渡様と良い仲になったりしたら、鷹であられるので鷹しか産まないし、後に面倒が。」
維心は、首を振った。
「ならぬな。渡があの調子であるから、ないだろうが分からぬからの。他には?」
維月は、首を傾げた。
「…他…志心様の皇女、白蘭様と翠明様の第二皇子緑翠様の間の、第二皇女、美穂様。第一皇女の志穂様は炎月に嫁いでおりますわね。」
維心は、眉を上げた。
「あれには下にまだ皇女が居たか。」
維月は、苦笑した。
「王の方々は皇女にはあまりご興味ないようでありますわね。ですが、皇子の後にまた皇女が生まれて、志穂様に似た愛らしい子だと聞いておりますわ。あの宮には綾様がいらっしゃるので、かなりできた皇女のはずですわ。」
維心は、ウンウンと頷いた。
「歳は?」
維月は、首を傾げた。
「ええっと、280ぐらいかしら。綾様ならよくご存知ですけど。」
「候補になるの。」と、せっついた。「他は?」
維月は、顔をしかめた。
「他とて…上位はみんなまだ赤子ほどの歳の皇女しか居りませぬ。あ、公明様の御妹君が楓様で350、後は北西の大陸ですわ。宇洲様の第三皇女の庄子様が300、彰炎様の皇女の結華様250、麗華様300、聡華様310。」
維心は、いちいち頷いた。
「そういえばこちらへ連れて来ておった事があったの。彰炎にはもっと皇女が居るはずよ。」
維月は、ウンウンと頷きながらまだ考えている。
そんなこんなで、もう応接間の前まで戻ってきていた。
そこに居た、鵬が膝をついたまま言った。
「王…?」
維心は、頷いて目でもう大丈夫だと鵬に合図する。
鵬は、ホッとした顔をした。
「あの、もしかしたら先程の皇女のお話でしょうか。」
維月は、頷いた。
「ええ。島にはまだ、居たかしら。今思い出したのは、楓様、美穂様、北西の皇女達ぐらいなのよ。」
鵬は、頷いた。
「他には、快都様の第二皇女、茉奈様230、覚様の第一皇女、夏音様200といった感じでありますな。三番目の宮は考慮に入れておりませぬ。」
維心は、ふーんと顎に触れた。
「北西はな…宇州の皇女はようできるのに、こちらへ来たらあまり良い事はないからの。第一皇女の瑤子然り、第二皇女の燈子も、高湊に嫁いで早々にあんなことになっておろう。とはいえ、今は高彰の母として、穏やかに暮らしてはおるが。この上、庄子まで何かあってはと気が咎める。それでも、何事にも控えめで古風であるから、学ぶなら絶好の女神であるがな。」
鵬は、頷く。
「は。彰炎様の皇女達は華やかにお美しいのですが、礼儀などはどうなのか分からぬのでお勧めできぬのですが、宇州様の御娘は皆、誠によう弁えた王妃におなりでしょうし。昨今では、300を越えたので、宇州様も焦っておられるご様子ではありますが。」
維月は、言った。
「とはいえ、妃とは決めておらぬのでしょう?渡様は娶られるおつもりはないようでありますし、そういう風にお話を持って参るわけにも。」
維心は、ため息をついた。
「…しようがない。とりあえずは、話し合うわ。」と、維月を見た。「維月、では主らは此度、一ヵ所に集まっておった方が良いな。亜寿美の不出来な様が皆の目に付かぬように、几帳でも立ててその中に籠るか?目に付かねば、我も皆も咎めずで済む。」
維月は、まあ!と手を叩いた。
「良いお考えですわ!では、それで参りましょう。鵬、こちらの席を設え直してくれませぬか。終わったら、我らそちらのお部屋に戻ります。」
鵬は、頭を下げた。
「は!」
そうして、何とか亜寿美のゴタゴタも回避出来そうな様子になり、やっと落ち着いたのだった。