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影響

碧黎が作った人形の漸は、思ったよりずっと漸だった。

言う事もやることも漸らしく、違うのは、これまで眉を潜めたくなるような事も時にしでかしたりしたが、それが一切なくなったことだ。

会合の席へと来てもそつがないし、宴の席でも失言もなく、和やかにしている。

長く共にいる貫や伯ですら、全く気付かないようで、瑞花が里へ帰って心を入れ替えてくださったと、宮の事をしっかりとやる、漸に喜んでいる始末だった。

つまりは、漸が今ここに居ない事を、誰も分かってはいなかったのだ。

最上位の、王達以外は。


そんな毎日の中で、渡は美穂の悪阻が落ち着いて数か月経ち、容体も安定しているというので、他の宮から頼まれている、指南に出掛けるようになった。

これは、前からやっていることなので、最上位になったからと、渡に断るという選択肢はない。

なので、順番に回っている中で、今日は旗清の宮に来た。

旗清がいつも通り出迎えてくれていて、言った。

「渡。よう来てくれたの。もう立場も大きく違うのに、誠に助かるわ。」

渡は、苦笑した。

「良いのだ、我自身は何も変わらぬからの。何も気を遣う必要などない。主とは友だと思うておる。」

旗清は、微笑んだ。

「月見は別であったのにか?我らはいつも通り峡の宮へ行って来たぞ。」

渡は、旗清を見た。

「そうか。我もまた参りたいわ。他の催しがあったら呼べよ。我も気兼ねのう飲みたいわ。」

旗清は笑った。

「気兼ねなどしたことがないくせに。」

そうして、二人は訓練場へと足を進めた。


訓練場では、辰馬と克哉が並んで、今回侍従の指南の担当である軍神の前に立っていた。

戸佐とは違い、何やら尊大な態度で、見ているとイライラする。

その軍神は、名乗りもせずに言った。

「そっちの。」と、辰馬を指した。「木刀を拾ってそちらへ。お前、そっちで順を待て。」

辰馬は、困惑した顔で言われたように木刀を拾い、構えかたも知らぬままに両手でそれを握ってその軍神の前に立つ。

…あやつは武器ナシか?

克哉が思っていると、その軍神は腰の刀を抜いた。

「来い。」

え、と辰馬は目を丸くする。

克哉が、脇から言った。

「何も知らぬ木刀の相手に真剣でとはおかしくありませぬか。」

だが、軍神は鼻で笑った。

「うるさい。主らは学びに来たのだろうが。立場を弁えよ。そら!」と、辰馬の木刀を刀で叩いた。「じっとしておったら怪我をするぞ?」

…これはおかしい。

克哉は、思った。

こんなことが毎回行われているはずはない。

辰馬は、真剣など向けられた事もないので、震えながら必死に木刀で防ごうとしている。

…まさか、こやつは影木と八津の友とかいう奴では。

克哉は、ふとそう思った。

ということは、克哉を怖がらせてまた言う事を聞かせようというのか。

ならば、辰馬が危ない。

なぜなら、目の前で辰馬を傷付けることで、克哉を怖がらせて言うことを聞かせようという魂胆だと思ったのだ。

もし克哉を傷付けたら、仕事をさせることができないからだ。

目の前で、嬲るように木刀へと刀を繰り出していたその軍神だったが、笑って言った。

「さあ、ならば、本気で行くぞ?そんな防戦一方でなんとする。そら!」

辰馬の手から、木刀が飛んだ。

軍神は、声を立てて笑いながら、腕を振り上げた。

「ちょっと怪我でもしたら言う事をきくだろうて。」

辰馬が、悲鳴を上げて頭を抱える。

克哉は、辰馬が落とした木刀を手に、気が付けばその軍神の腕を叩き付けていた。

「う…!」

刀が宙を舞う。

克哉は、座り込んだ辰馬の前に庇うように出て、木刀を手に、その軍神を睨み付けた。

「こんなもの、戸佐様が命じたというのか!さては主、八津と影木に頼まれたの?」

その軍神は、まだビリビリと響いている腕を庇いながら、刀を拾った。

「だからなんぞ?立場を弁えぬ侍従を懲らしめて欲しいと言われただけぞ。脇から狙って偶然当たっただけであるのに、何を強気に。」

辰馬が、克哉の手を掴んで言った。

「克哉、戸佐様に申し上げよう。我らがどうにかできることではない。相手は腐っても軍神なのだぞ?」

克哉は、相手から目を反らさずに言った。

「…何とでも良いように言いよるわ。ここは、こやつ自身を何とかせねば、いつまでも我らにつきまとうぞ。下がっておれ。」

辰馬は、まだ追い縋ろうとしたが、克哉は本気だ。

木刀を持つ手がブルブルと震えていて、どうやら怖いのではなく、怒っているようだった。

相手は、腕の痺れがなくなったのか、刀を構えた。

「…主には少し傷を付けるだけにしろとか言われたが、主の方が叩き潰したいわ。なに、死んでも事故で処理できる。主も分かっておるように、何とでも言えるからの。遊んでやるわ!」

克哉は、まるで毎日立ち合っているかのように、スッと片手で刀を構えた。

その目に見据えられて、相手は一瞬、グ、と怯んだ。

少しでも立ち合った事があるものなら、相手がどこまでやるのか構えただけで大体見えるもの。

だが、たかが侍従が、気のせいだろうと、その軍神は刀を振り上げて克哉に向かって来た。

克哉は、それを木刀で迎え打って、立ち合いは始まった。

辰馬は、このままでは克哉が殺されると、必死に控えに向かって走りながら、叫んだ。

「戸佐様!戸佐様、克哉が殺される!」

辰馬は、泣きながら走って助けを呼び続けた。


そこへ、訓練場の端以外は空いている、と聞いていた旗清が、渡と共にやって来た。

端は、自分が開かせている文官相手の講習会に使われていると聞いている。

そんなものは子供の遊びのようなものなので、良いかとこの日を選んだのだ。

訓練場へ入ろうとすると、渡が足を止めた。

「…待て。」

え、と旗清は前につんのめった。

「なんぞ?」

渡は、じっと真剣な顔で訓練場の端を見ている。

するとそこには、木刀を持った侍従相手に、軍神が真剣で思い切り刀を振り下ろしているのが見えた。

「…何ということを!止めねば!」

旗清が駆け出そうとするのに、渡はその腕を掴んで止めた。

「だから待てと言うのに。あの古い甲冑の方、かなりできるぞ。」

「え?」

古い甲冑の方は、侍従だ。

宮から簡易に貸し出されているだけだからだ。

渡は、真剣な顔でそれを見ていたが、そこへ後ろから、戸佐が慌てて駆け込んで来た。

「王!あやつ…八葉(やつは)が誠に面倒なことを!すぐに止めて罰しまする!」

見ると、辰馬が横で泣きながら立っている。

渡が、言った。

「だから主も待て。見よ。」と、二人を指した。「相手の奴。真剣の軍神相手に木刀を折らずにあそこまで受けるのは並大抵の技術ではない。気の使い方を知っておる。そう大きな気でもないのに、あんな技術を自然に使っておるのは正に脅威よ。誰ぞ、あやつは。」

辰馬が泣きながら言った。

「克哉であります!本日初めてこちらへ…妹を守る力を付けると申して…!」

初めて?

渡は、顔をしかめた。

「あれは初めてではないわ。実戦を経験しておらぬとあんなことはできぬ。というか、あの八葉とかいう軍神、何度も木刀で打たれてあちこち折れておるぞ?そろそろ止めねば、八葉の方が危ないわ。お、終わるの。」

克哉が、上から思い切り八葉の右腕を叩き折った。

八葉の刀はそれで飛び、八葉は呻き声を上げてその場に倒れた。

「そんな…!あやつはあれで序列15位なのに。」

木刀の侍従相手に、真剣で勝てなかったとは。

渡は、笑った。

「良い気味よ。相手を選んでいたぶるべきだったの。」と、足を進めた。「参るぞ。」

渡は、言ってフィールド上に足を進める。

呆然とした旗清と、戸佐、辰馬もその後に続いて二人のもとへ歩いたのだった。


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