月の陽
合奏が終わり、皆が笑い合った。
「素晴らしいですわ!皆様本当に素晴らしいお手であられました。」
明日香が感動したように言う。
綾が、微笑んだ。
「誠に良い曲であるから。光仁様には感謝ですわね。」
皆が、笑い合っている。
十六夜は、即興で加わっていたが、言った。
「維月がやたらと練習してるのを毎日聴かされてたから良かった。みんな上手いから遣り甲斐あるなー。」
維月が微笑んで返そうとすると、そこに声がいきなり割り込んだ。
「瑞!」え、と顔を上げると、そこに漸が浮いていた。「話しがしたいのだ!気分が良くなったなら、話そうぞ!」
途端に瑞花が、暗い顔をする。
綾が、その前に庇うように出た。
「漸様!なんと不躾な!我らも共であるのに、上からお声を掛けられるなど!そういうところがよろしくないのですよ!」
綾は半端なく美しいのだが、怒ると圧が凄まじい。
翠明の気持ちが、今分かった。
「だったら十六夜はどうなのだ?!」漸は言う。「ここに居るのではないか…え?十六夜はどこぞ。」
十六夜は、答えた。
「だったらお前も女になりな。」え、と男の着物を着た、銀髪に金の瞳のそれは美しい女が言うのに、漸は目を丸くした。「オレが十六夜だっての。」
漸は、口ごもった。
「え、主…?なんぞ、美しい?!」
十六夜は、立ち上がった。
「うるせぇ。そりゃ美しいだろうよ、月だからな。型なんかどうにでもならぁ。」と、後ろから追って来て、蒼を見た。「蒼。こいつはまたルール違反だ。誰が会ってもいいって言ったんでぇ。こいつはな、松の話をこれっぽっちも聞いてねぇくせに、自分の話は聞かせようとするんでぇ。連れて帰りな。迷惑なんでぇ。せっかくお前の事を忘れて楽しくやってたのによ。自分の事しか考えられねぇんだったら、女神を世話するなんて簡単に言うんじゃねぇ!」
間違いなく十六夜であろう口調だが、癒しの気をまとった美しい女が、美しい声でそんなことを言うのに、漸は茫然としている。
蒼は、急いで頷いた。
「漸、帰るぞ。こんな風に押し掛けたら、拗れない方が難しい。瑞花がせっかく明るい気を出して来てたのに、また暗くなってるのを感じる。全部主のせいだぞ。」
漸は、ハッと我に返って蒼を見た。
「…だが!我がこれから励むという事だけでも伝えたいのに!」
するとそこへ、パッと碧黎が現れた。
「面白いのう。」皆がえ、と空を見上げていると、碧黎は漸の前に浮いて、言った。「どこまでも己が中心なのだな。ということは、己の身になったら分かるか。そうか、だったら十六夜が良い事を言ったぞ?女になったら良いのだ。そうしたら、気持ちが分かろうが。そうだのう…誰にするかな。」
碧黎は、顎に触れながら回りを見回した。
何の話だろうと皆が落ち着かない風で居ると、維月は言った。
「お父様、誰かと入れ替えるおつもりですか?!なりませぬ、相手が哀れでありますから!するなら本神自身を変えてくださいませ!」
え、入れ替えるって中身を?!
皆が、そんな事をされては困ると慌てて几帳の影へと避難するのを見て、維月は、碧黎が本当に入れ替えるつもりだったらそこでは無理だと思っていた。
碧黎は、顔をしかめた。
「それはそうだが、漸がこのまま女になってものう。結局戻ると信じて王として扱うだろうし。真実女として生まれたような、思いをせぬと分からぬわ。」と、じっと漸を見た。「…面倒だが、主は他より転生の回数が少ないゆえな。加えて苦労もしておらぬ。よし、決めた!」
何を決めたの?!
皆が身を硬くすると、碧黎は手を上げた。
何をするつもり?!
本当に分からないので、維月も構える。
すると、宙に浮いていた漸は、その場からパッと消えた。
「?!」
蒼はびっくりして漸が浮いていた場所を見ると、叫んだ。
「漸!」と、碧黎を見た。「碧黎様!漸をどこへ?!」
碧黎は、フフンと笑った。
「どこかの宮ぞ。我が見ておくゆえ案ずるな。あやつは、侍女の一人として元から居たと回りに思われながらしばらく生活することになる。面倒だが、記憶も与えたぞ?侍女として仕えるための記憶をな。」
瑞花が、さすがにびっくりして碧黎を見上げた。
「え、王はどこかの宮の侍女をするのですか?!」
碧黎は、頷いた。
「ずっとそこで侍女をしておったという事になっておる。主らが見てもそれが漸だとは分からぬわ。漸の記憶を改ざんしておるゆえ、あれは己が漸であったのを覚えておる侍女だと思うておる。つまりは、何故だか分からぬが漸だという記憶がある、侍女であったということであるな。問題ない、あれが理解できたら戻してやるわ。」
すると、離れた位置から声がした。
「そこまでする必要があったか?!あれはつい、琵琶が聴こえて来たゆえこちらへ飛んで来てしもうただけぞ!」
その声は、炎嘉だ。
妃達が、王達が居る、と急いでわらわらと几帳を引っ張り、その上に侍女達が必死に大きな布の膜を掛けて隠そうとし始めた。
十六夜が、それを手伝って維月を含めた妃達を全部、几帳の中へと押し込むと、言った。
「あのな。そもそも、漸の顔を見たくない、瑞花を慰めたいって言うからわざわざ別々にしたんじゃねぇのか。それを、漸が乗り込んで来ちまったらこいつら努力はどうなるんでぇ。」
十六夜は炎嘉と、その後ろにぞろぞろと控えている王達とに向かって睨みつけてそう言ったが、そこに立っているのは銀髪の目が鋭い美しい女だし、声がまた癒しの響きで、怒っているのに思わず見惚れた。
頭ではこれは十六夜だと分かっているのだが、何しろ月は癒しなのだ。
おまけに満月で十六夜の力は最高潮だし、ここに集まっているのは月見のため。
十六夜を眺めるために来ているわけなのだが、今回ばかりはつい、その女の人型を見つめてしまっていた。
「待て。」そんな姿をものともしない維心が、言った。「我らだってあちらで止めた。だが、漸が弾丸のように飛んで参ったから追って参ったのよ。瑞花の琵琶が聴こえたからぞ。絶対に来て欲しくないなら、思わせぶりに琵琶など弾くのも悪いのではないのか。」
言われてみたらそうだった。
維月は、ついいつもの調子で合奏をと、気を遣ったつもりだったのだが、その音を南で聞いている漸が居る事実を、忘れていたのだ。
そもそも、そっちも合奏などして、騒いでいるだろうと思っていたからだった。
綾も、思わせぶりだと言われたら、神世は確かにハッキリ顔を見るのを許されない風潮があるので、楽の音やら書やらで気を惹くしかないわけだから、女神がそうすることを、王達が思わせ振りと感じるのは分かるので、渋い顔をしている。
瑞花も、分かっているのか黙ってそれを聞いていた。
碧黎は、言った。
「我はずっと見ておった。主らはあれを何とか更正させようと話しておったの。だが、あやつの気は特に大きく変化しなかった。分かっておらぬなと感じた。ただ、瑞花が居らぬのが否、主らに責められるのが否、だから言う通りにする、といった感じよ。だからこそ、琵琶の音にこちらの気持ちも考えずに、己の気持ちを押し付けようとこちらへ飛んだのだ。分かっておったら怖くて来れぬわ。もう、面倒だしだったら女にして学んで来いと思うたのだ。」
焔が、言った。
「だが…その間、王が不在の犬神の宮はどうするのだ。臣下が黙っておらぬぞ。」
碧黎は、フッと笑って己の髪を一本、抜いた。
そして、それを目の前に浮かせると、そこには漸そっくりの人型が現れた。
「これにさせる。我の人形ぞ。我はあちこち同時に見ておれるからの。漸らしゅう動くようにするわ。問題ない。」
いやいや、漸には問題大有りだろう。
だが、志心は言った。
「…良いやも知れぬ。」え、と皆が見る。志心は続けた。「漸は、いまいち分かっておらぬようだった。我らが必死に諭しておるのにの。ならば、それぐらいの荒療治も必要ぞ。碧黎なら、漸の人型を思うように動かせるだろう。むしろ我らには好都合。神世に即した動きは完璧だろう。とりあえず任せてみて、まずいようならまた考えようぞ。漸には、何としても基本的な考え方ぐらいは学んでもらわねば。面倒でしかないのだから。まだ、大きなことをしでかしておらぬ今しかない。」
皆は顔を見合わせたが、あれだけ諭してダメなら、碧黎に任せてみるしかない。
王達は皆、他に代案も思い付かず、仕方なく同意するよりなかったのだった。




