北では
妃達は、悩まされた悪阻もすっかりなくなったこともあり、漸のことなど忘れて楽しく話していた。
綾が、言った。
「そういえば明日香様、この間仰っておりました月見に弾く曲のこと、我はあれから譜面をもらって宮で練習して参りましたの。懐妊するまでは毎日やりましたけれど、最近では琴にも触れておらずで。とはいえ、それを無駄にしとうなくて。」
明日香は、微笑んで答えた。
「我が王に習った月の原でありますわね。我も、あれから改めて宮で弾いて、王にも細かいところを御指南頂きましたの。皆様はいかが?」
恵麻は言った。
「お送りいただきました譜面を見て、我も王と励みました。良い曲だなと仰って。あれは、仁弥様が作られたのですか?」
明日香は、首を振った。
「いえ、王の御父上の光仁様が、在りし時に作曲なさったものであるらしく。良い曲なので、宮では良く演奏されますの。難しいところがございますけれど。」
維月は、頷いた。
「はい。譜面を見て我が王に弾いていただいて、それを耳で覚えました。王も、これはあちこち気を遣わねば揃わぬぞと、御指南いただいて。我は譜面はからきしなのですわ。」
そう、維月はいつも耳コピと弾いている手を見て完コピすることで曲を覚えて来たので、譜面は全く読めない。
つまり、いつも維心と碧黎あっての演奏だった。
「譜面が読めぬでもあれだけ弾けるのなら素晴らしいですわ。全て覚えていらっしゃるということですものね。」
綾が言う。
維月は、綾に微笑んだ。
「王と父に感謝ですわね。弾いていただかないと、何も弾けぬところでした。月は模倣が得意なので、兄の十六夜も同じ能力を持っておりまする。」
十六夜が、空から笑った。
《オレが弾いたら悲恋も笑い話になると言って笑うくせに。》
維月は、チラと月を見上げて軽く睨んだ。
「あなたはカラッと弾きすぎるのよ。もっと暗いイメージも出せないとダメよ?お父様も大笑いなさっておられたわ。」
そう言われてみれば、月が落ち込んでいる様など想像できない。
妃達はクスクス笑った。
「まあ。かえって聞きたくなるのは何故でしょうか。」
美穂が袖で口元を押さえて微笑みながら言う。
楢も、頷いた。
「はい、誠に。暗い曲を明るくなど、逆に難しいですものね。」
明日香は、真剣な顔をした。
「それはそれで学びになりますわ。ではここは、維月様の兄君に演奏をお願いしたいものです。」
維月は、苦笑した。
「兄は十六夜と申します。」と、空を見上げた。「十六夜、弾いてくれる?」
月が、キラと光った。
そして、見る見る空から人型が降りて来て、目の前に浮かんだ。
「いいぞ。何を弾く?でも、あいつらが怒らねぇか。オレ、一応陽だから男だし。」
目の前に浮かんだ十六夜は、相変わらず銀髪で金色の目の、スッキリと美しい姿だった。
明日香が、驚いた顔をした。
「まあ!初めてお見上げ致しますけれど、何とお美しいかたであられること。さすがに維月様の兄君ですわ。」
言われて見たら十六夜は整った顔立ちだ。
慣れてあんまり意識していなかったが、美穂も驚いて頬を赤くしているのを見ると、確かにまずいかもしれない。
綾が、言った。
「御父君の碧黎様にも、それは美しいかたであられるし、月の眷属とは皆様夢のように美しい様でありますわ。」
お父様も、お構い無く出て来るものね。
維月は、困った顔をした。
「どうしましょう。確かに兄は、父と同じく恋愛などには無関心でありますが、王達はそうは思わぬでしょうし、妃達が側にあるのは良く思われないでしょう。」
十六夜は、言った。
「じゃあ女になるか。」え、と皆が驚くのに、十六夜は目の前で女の型になった。「どうだ?これで良いんじゃね?」
口調はアレだが、見た目はそれは美しい女神になった。
着物は男物だが。
「まあ!良いのではありませぬか?」
椿が言う。
良いのか。
維月は思ったが、皆がウンウンと頷いている。
維月は、仕方なく頷いた。
「ではそれで。十六夜、じゃあそっちの楽器をこちらへ。」
十六夜は頷いて気で持ち上げて、桟敷の隅に集めてあった楽器を、皆の真ん中へ移動させた。
「じゃあ、オレは維月と同じ十七弦にするかなー。お前、いつもそうだろ?」
だから女神の姿と声でそれはおかしいから。
維月は思ったが、頷いた。
「そうね。」と、皆を見た。「皆様も楽器をお選びになって。」
皆がそれぞれいつも弾く楽器を引き寄せるのに、十六夜は爪を着けながら言った。
「じゃあ、皆が準備してる間に片恋の月でも弾くかなー。開き直ってるように聞こえるらしくて、維月が大笑いしたやつ。」
維月は、笑った。
「ああ、あれね。フフ、そうね、確かにあれは、片恋なのに開き直ってるように聴こえたわ。」
皆は、いったいどんな風なのだろうと耳を澄ませる。
十六夜は、女神の格好で、見た目はそれは美しく、片恋の月を演奏し始めたのだった。
南では、まだ深刻な様は続いていたが、一応進むべき道は示せたので、最初ほど重苦しくはない中で、酒を飲んでいた。
するとそこへ、それは爽やかに冴え冴えとした、片恋の月が聴こえて来た。
「…琴?あちらは、楽をやっておるのか。」
楽しくやっているらしい。
というのも、片恋の月は暗く重苦しい曲調で、こんなにあっけらかんと開き直ったような曲調は、聞いたこともなかったからだ。
「…なんぞ。風情のへったくれもないの。誰よ?」
渡が言う。
しかし仁弥は、言った。
「いや、かなりの腕であるぞ。そも、暗い曲調のものを明るくするなど普通は無理。そうか、こう弾けばこんな感じに。学びになるわ。」
かなり真剣に耳を澄ませている。
塔矢が言った。
「だが、誰ぞ。何やらこの力強さは、男のような気がするのだが。まさか、あれらの席に男が混じっておるのでは?」
維心が、むっつりと言った。
「…十六夜ぞ。」え、と皆が維心を見る。維心は続けた。「この弾きかたは、聴いた事がある。維月が大笑いしておった。十六夜が弾いたら、片恋も開き直っておるとな。」
確かにそんな感じ。
渡が、眉を寄せた。
「何故に男が混じるのよ。我らが居らぬのに。」
すると、蒼が月を見上げて言う。
「女の型になっておりますね。」え、とまた皆が驚く。蒼は続けた。「多分、十六夜は妃達になんか興味はないけど、こちらが気にするからそうしたようです。声も女ですよ。何の違和感もなく溶け込んでます。着物は男物だけど。」
演奏が終わり、何やらコロコロと遠く笑い声が聴こえて来た。
女の型とはいえ、十六夜は男だ。
皆は、途端に複雑な顔になった。
何しろ、こちらはこんなに深刻な雰囲気なのだ。
それなのに、あちらは男一人の演奏に皆で笑い合っている。
すると、今度はたくさんの楽器が、一斉に合奏し始めた。
「…月の原。」仁弥は、言った。「我の父の光仁が作曲した曲ぞ。月見に合奏するのだと、明日香が宮で練習しておった。」
他の宮の王達も、それは知っていた。
皆、同じように宮で練習していたからだ。
励んだ甲斐があり、それは見事に合奏されていて、聞き応えがあった。
ふと、漸は言った。
「…瑞の琵琶が聴こえる。」と、目を北に向けた。「瑞が弾いておる。あれは宴に出ておるのだ!」
漸は、浮き上がった。
「こら!ならぬ、恐らく維月が呼んだのよ!主が行ったらせっかく機嫌を直しておるのに…」漸は、聞かずに北へ飛んだ。「こら!漸!」
炎嘉は叫んだが、もう漸は北の庭へ飛んで行ってしまった。
蒼が、急いで立ち上がった。
「オレが行きます!」と、浮き上がった。「他の王達が行ったら妃達が機嫌を悪くするかもしれませんから。行って来ます!」
蒼は、飛んで行った。
だが、維心も立ち上がった。
「我らも遠目に見に参ろう。あちらに気取られねば良いのだ。気になるであろう?」
皆が、待ってましたと立ち上がる。
結局全員で、北の庭へと向かう事になったのだった。




