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南では

維心が蒼と共に桟敷へと上がると、蒼が言っていた通り、炎嘉が漸の隣りに座り、話していた。

他の王達は、むっつりと黙ってうつむき気味に酒を飲んでいる。

維心は、蒼と空いている席に座って、言った。

「…なんぞ?葬式か?月は満月であるぞ。空を見ぬのか。」

箔炎が、維心を見て言った。

「漸がの。何が悪いのかいまいち分かっておらぬ。仮に、ここで何か言うて、それをどこかで吹聴されてはたまらぬなと、皆口を開かぬのだ。」

維心は、ため息をついた。

確かにその通りだが、これでは何のための宴なのかわからない。

「…漸。炎嘉に聞いて少しは分かったか。皆の反応でもまずい事をしたのだと分かろうが。」

漸は、頷いた。

「分かったと言うておるのに、皆黙るのだ。別に我は、言うてはならぬなら言わぬし。」

「だから、言うなと言われたのに言うたのだろう?制限の無いこんな席での会話は、皆これは漏らしてはならぬなと暗黙の了解の上で気軽に話すものなのだ。それを、またあっさりどこかで明かされたらと、我らも下手な事は言えぬと思うわ。」

そう言ったのは、焔だ。

焔ですら、分かっていることなのだ。

炎嘉が、言った。

「…まあ、これは違う世界で生きておったようなものであるから。何が良くて何が悪いのか、まだいまいち分かっておらぬ。なので、分からぬのならとりあえず言うなと今、諭しておったところよ。瑞花との事も、頭に血が昇っても、約したのなら覚えておかねばならぬ。我らには別に実害はないので、此度の事では文句もないが、これからを考えるゆえ、皆嫌がるのよ。分かっておる。」

漸は、ため息をついた。

「…別に、我は他の宮の王達とは交流がないゆえ、ここで話した事を漏らす場所もない。ゆえ、主らが案じておるようなことはない。そんなに話す方でも無いし…あの時は、皆知らぬようだったから、思い出して話しただけなのだ。瑞と明かさぬと約したことは、誠に記憶になかった。」

志心が、言った。

「…とりあえず…主とは個神的に話す事は難しくなった。我らとて、この中で秘匿しておることもある。維心と炎嘉など、己らだけしか知らぬ事も多いだろう。同じように、他の王達だって、それぞれあるのだ。それを、あっさりとこんな場で明かされたら堪らぬしな。」

確かに維心、炎嘉、志心の間しか知らない事もある。

それでも、わざわざここで公表したりは絶対にしないし、お互いにそんなことはしないと信頼している。

だが、漸にはそれができないのだ。

すると、いきなり上から声が割り込んだ。

《あのさあ》十六夜だ。皆が月を見上げると、十六夜は続けた。《オレがどんだけの事を見て知ってると思うんでぇ。親父なんかもっとだぞ?それを、こうして宴やってる時にそういやこの前、漸が訓練場で瑞花にこてんぱんにされてさあ、とか言い出したらどうするんでぇ。オレでも黙ってるの。お前もちっとは忖度しろ。》

漸は、途端に顔を赤くした。

…もしかして、本当の事なのか。

「え、主、瑞花にこてんぱんにされたのか?」

焔が言う。

漸は、ブンブンと首を振った。

「うるさいわ!あの時は酒が入っておって、油断したからぞ!」

ということは、やられたのだ。

確かに王が妃にいくら酔っていたからと、こてんぱんにされるのはかなり恥ずかしい事だった。

維心は、ため息をついた。

「…そういうことぞ。分かったであろう?仮に主、今ここで十六夜が知るアレコレを、皆に暴露して行ったら何とする。嫌であろうが?十六夜が信用できぬようになろう?」

漸は、頷く。

蒼が、言った。

「十六夜だって、見ない時は見ないですし、暗黙の了解で夜の褥とか、見えるけど見ません。夜なんか特に良く見えるんですけど、見ないんですよ。その暗黙の了解がなかったら、全ての宮の全ての事は筒抜けですよ?碧黎様なんか、もっと見えるのに。」

それは、物凄く嫌だな。

皆が思った。

月ですら忖度しているのに、漸がそうしないわけには行かないのだ。

「…分かった。」漸は、項垂れて言った。「我が悪かった。簡単にあんなことを口にするべきではなかった。」

炎嘉が、頷いた。

「分かったなら良い。これからは、言う前にその当事者に小声でこれは言うても良い事かと聞け。あの時の場合は、維月の事であるから維心よな。そうしたら答えるゆえ。それから、約した事は、それが例え臣下や妃との事であっても忘れるでない。つまりは、簡単に約束するでない。しっかり、それを約して良いのか考えてから、約せばよい。そして、必ず約したことは守れ。それを、肝に銘じよ。約してくれますか、と聞かれたら、頭に血が昇っておっても考えよ。そうすれば、こんなことは起こらぬから。分かったの。」

漸は、項垂れたまま頷く。

こんな子供に教えるような事から教えているのなら、瑞花の苦労は並大抵ではないな。

皆が思ったが、瑞花がまた犬神の宮へ帰るのかどうかもわからない。

高瑞の養子となったが、仮に今、渡の宮へと戻ったとしても名誉を取り戻した今誰も文句は言わないだろうし、そもそも渡も最上位だ。

つまり、瑞花は帰る場所には困っていないのだ。

渡が、むっつりと言った。

「…困ったものよ。あれはそんなことすら分からぬ男に嫁いだか。まあ、我はあれをきちんと育ててやれなかったゆえなあ。強う言えぬが、あれが戻る場所がないと申すなら、うちへ戻って来ると言うても受け入れるぞ。美穂の話し相手にもなろうしな。ここ月の宮は、こうして皆が集まることが多いゆえ、離縁となったら面倒だろうしの。」

父親らしい考えだが、もう離縁の事を考えている、渡に志心が咎めるように言った。

「こら、那佐。まだ婚姻から数年であるのに、あっさり離縁など。ここは、少しぐらい瑞花と漸が話し合えるようにしてやる方が良い。それでも駄目なら、仕方がないが…我らは、この席で漸に何が悪かったのか自覚させて、瑞花に何を謝ったら良いのか、しっかり分からせてやらねばならぬのだ。今のままでは、話し合っても拗れるばかりぞ。」

漸は、顔を上げた。

「誠か。瑞花にどう謝ったら良いのか教えてくれるのか?」

箔炎が、言った。

「こら。甘えるでない。まずは主の理解が必要。今炎嘉が申した事をしっかり理解して、主はまず、瑞花が何を怒っておるのか、考えねばならぬ。どう思う。あれはなぜ、里へ帰って主に会いたくないと申すのだ。」

漸は、考えた。

そういえば、まだ瑞花に謝っていない。

「…我が、何が悪いかわからなんだので、まだ謝っておらぬからか?」

志心が、息をついた。

「違う。そこもだが、もっと根本的なことぞ。今言うたではないか、約した事は守れと。」

漸は、渋い顔をした。

「…我が、約した事を守らなんだからか。」

箔炎は、頷いた。

「その通りよ。しかも、約束した事を覚えてすらおらぬ。つまり、それだけ薄い存在だと言うたような事になり、信頼は恐らく地に堕ちたのではないか。瑞花は、主を信じられなくなり、そんな男の側に居たくないから里へ帰った。そんなところかの。」

漸は、言った。

「これからは炎嘉に教わった通り、約したことには責任を持つし、忘れるなどという事はない。そう言うたら良いのか。」

志心が、首を振った。

「だからそれが信用ならぬのだ。我らでも今の主を信じられぬのに。瑞花などもっとであろうぞ。口先だけに聴こえてならぬ。そも、最近の主は我らに甘えてあまり学んでおらなんだの。瑞花に丸投げで、宮でも外向きの事は臣下と瑞花に任せきりではないのか。主が気ままな性質であるのは知っておるが、誠に神世に戻りたいのなら、しっかりせよ。維心に臣下を斬られた事を忘れたか。主の宮は、まだ完全に神世に認められたわけではないのだぞ。最上位の宮は、皆軒並み会合の時に宮を提供しておるが、主の宮はあの事件があってからまだ復帰しておらぬではないか。緊張感が足りぬ。しっかりせぬか。」

漸は、言われてまた下を向いた。

本当に、その通りだったからだ。

皆が仕方がないと言ってくれるので、それで良いのだと思ってしまっていたが、そうではないのだ。

そう言われないために、更に精進しなければならなかったのだ。

そんな気のゆるみが、瑞花との約定すら覚えていなような事態を招いてしまい、結果こんなことになっている。

結局自分の、勉強不足なのだ。

「…つまり、我はもっと己で励んで、しっかりとこちらの礼儀を身に付けるように気を付けるしかないのか。その様を見せて、謝るよりないか。」

維心が、重々しく頷いた。

「やっと分かったか。その通りよ。今の主では、あちらは話すら聞かぬわ。落ち着いて、気を入れて学べ。そうして、瑞花が安心して戻って来られるように環境を整えるのだ。これまで瑞花に丸投げであった対応を、主が臣下と共に考えてやれ。その姿勢を見せておれば…そうだの、産後一年ほどで戻って参るのではないか?」

漸は、目を丸くした。

「何と申した?産後一年?!まだ懐妊して三月(みつき)であるのに、産み月まで半年以上、それから一年と?!」

炎嘉が、言った。

「だから、主が今の状態から己だけでそれなりになるのは、それぐらいの時が必要であろうが。それぐらいの覚悟をせよと申すのよ。そも、それとて誠に主が今すぐから学んで、精進したらのことぞ。怠けておったらもっと延びる。それどころか、帰って来ぬやも知れぬ。」

箔炎は、頷いた。

「炎嘉の申す通りよ。とにかく、やる気を見せて励め。そうしておれば、自然身に付いて瑞花も主が誠に変わったと回りから知らされる事になり、主と話そうという心地にもなろう。今は…椿も言うておったが、綾もかなり主の評価を悪くしておる。つまりはそれが世間の評価ぞ。それでは瑞花は二度と戻らぬぞ。」

皆で頑張って諭しているが、漸から相変わらず迷いのようなものが感じられた。

つまりは、面倒だという思いと、瑞花に戻って欲しいという思いが、今頭の中で交錯しているのだろう。

これは面倒なことになりそうだ、と、維心はそれを見ながら思っていた。

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