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瑞花は、月の宮へと戻って来て、あれほどに辛いと思っていたのが嘘のように穏やかな心地だった。

天媛が言うには、月の浄化の力のせいだということだ。

つまりは、今、冷静に考えられる環境なので、自分が本当にどうしたいのかしっかり考えて決めたら良いと言う。

それは、帰って来ても良いと言う事なのかと問うと、あなたが幸福なのが一番なのだから、何を選んでも自分はサポートして行くと天媛は言ってくれた。

だが、瑞花が真実どうしたのか、自分でもまだ全く分かっていなかった。

漸のことは、確かに愛していると思っていたし、だからこそ立ち合いなども力を入れて、宮での地位を確立した。

神世のことを何も知らないので、一々教えねばならなかったが、それでも教えたら素直に聞いてくれたので、外では特に問題なくやれていて、安心していた。

宮では相変わらずだったが、臣下達はしっかりしているし、何より漸が王なのだから、宮の中でどう振る舞おうと、神世の王達には文句は言われないし、そもそも宮での様子など誰も見に来なかった。

なのでそれで良いと思っていたのだが、絶対に言わないで欲しいことを、わざわざ言うなと釘を刺しているにも関わらず、あっさりと外で漏らして来た。

しかも、言うなとこちらが言ったことすら、忘れてしまっているのだ。

いくら気ままな性格だと分かっていても、許せる事ではなかった。

これから、漸には何も言えないことになるからだ。

そんな大切なことすら忘れてしまうような夫に、信頼などもう欠片もなかった。

瑞花は、悪阻もなく、こうして月の宮に帰ってきて、かえって体調が良いぐらいだったが、考え込んでずっと部屋に籠っていた。

今夜は、月見の宴なのだという。

漸が昼間に来て会いたいと言って来たが、とても会う気になれなくて、気分が悪いからと断った。

それでも話しぐらいはと食い下がられたが、天媛が察して我まで気分が悪しゅうなると追い返してくれた。

本当に、頼りになる母だった。

父の高瑞は、特に何も言わない。

天媛に任せると言うだけで、深くは関わって来なかった。

瑞花は、ため息をついて部屋から見える北の庭を見つめた。

そこに設置された桟敷には、妃達が座っているのが、遠く着物の色でわかった。

その中に楽しく居た自分が、もう遠い気がして、瑞花は秘かに涙を流してそれを見つめていたのだった。


天媛が、部屋へと入って来た。

瑞花は、慌てて涙を拭い、頭を下げた。

「お母様。」

天媛は、寄って来て瑞花に言った。

「維月より、あなたを宴の席へと。王達は南に居るので、話もできようとの事ですわ。瑞、行って参ってはどうですか。」

瑞花は、とんでもないと首を振った。

「維月様からのお誘いには感謝致しますが、我は…。皆様に、合わせる顔もないのです。ご信頼を裏切ってしもうたのですから。」

天媛は、首を振った。

「案じる事はありませんよ。我を信じて。それに、あなたもこのまま皆様とお話をせずに会わなくなるなど不義理でしょう。ここは、しっかりと理由をお話して、心の支えを取って参った方がよろしいわ。良い機会です。邪魔も入りませぬから。」

瑞花は、気が進まなかったが、天媛が言うように、謝罪もせずに疎遠になるのはあまりにも不義理だ。

せっかくに、友だと仲良くしてくれた女神達なのだ。

瑞花は、渋々ながら頷いた。

「はい、お母様。仰る通りに。」

天媛は微笑んで、侍女達に頷き掛けて、そうして瑞花を、宴用の着物に着替えさせたのだった。


瑞花は重い足取りで、天媛に見送られて桟敷へと向かった。

妃達は楽しげに談笑していたが、瑞花が近付くのを見ると、皆こちらを見て黙った。

瑞花は躊躇ったが、思いきって足を進めて桟敷へと上がり、膝をついて深々と維月に頭を下げた。

維月は、言った。

「瑞花様。お待ちしておりましたのよ。大変な事でありましたね。皆で案じておりました。」

瑞花は、頭を下げたまま答えた。

「維月様には大変なご迷惑をお掛けすることになってしまい、己の浅はかさに恥ずかしさのあまり顔も上げられぬ心地でございます。」

維月は、首を振って膝を進めて瑞花に寄った。

「迷惑など。我は、元より生まれが月の宮であるので、そのような事はあまり関心がございませぬの。ただ、王が何やら憤慨なさって戻られたので、事の大きさを知ったぐらいで。そも、瑞花様がお悪いのではありませぬ。漸様が、厳しく問うて誰にも明かさぬ約束でありましたのでしょう?それを破られた、漸様がお悪いのですわ。」

綾も、横から言った。

「そうですわ。そんな閨での会話をあちこちで吹聴して来る王などに、我なら仕えることもできませぬ。まして、取り決めましたのに。我でも里へ帰りましたわ。」

瑞花は、気遣ってくれる言葉に涙を流しながら、顔を上げた。

そこにいる妃達は、皆こちらを案じるような顔をして、瑞花を見ている。

…分かってくださるのだ。

瑞花は、ホッとして更に涙が溢れて来るのを止めることができなかった。

維月は、懐紙を胸から引き出して、瑞花に渡した。

「さあ、涙を拭いて。皆様理解しておられます。我らは友なのですよ。話して分からぬことなどありませぬ。具合がお悪いのではありませんか?」

瑞花は、首を振った。

「我はあちらに居た時から悪阻がない方で。体調は問題ありませぬ。」

維月は、微笑んだ。

「それは良かったこと。皆様も、つらい思いをなさっておったので、今は十六夜の力で悪阻を押さえておりまする。さあ、こちらへ。お話ししましょう。お悩みではありませんか?」

恵麻も、言った。

「我が王も、戻られてから、例え知っても言うべきではなかったのではと仰って。どうやら、我は妃達との会話でと申しましただけでしたが、王におかれましてはならば恐らく維月様だろうと、思われていたようですの。それなのに、そうかと仰っただけで、我に深くは追及なさいませんでした。あの場でも、知らぬふりを通されておったとか。なので深いご事情を知らぬ時でも、漸様のやりようには我は憤っておりました。」

塔矢様は気取られていたのね。

維月は、思った。

そう、少し考えたらなんとなく維月かなとわかるものだろう。

だが、敢えて言わないのが礼儀なのだ。

維月は、ため息をついた。

「…誠に…勝手の違う宮に嫁ぐと申しますのは、難しいことでございます。こちらが分かっておっても、あちらが分かっておらぬとこんなことに。知らぬからと言わぬように釘を刺しても、破られたら対処のしようがありませぬ。困りましたわね。」

椿は、頷いた。

「はい。これからもこんなことがと思うと、お話もしづらくなってしまいます。瑞花様が口を閉じようとなされても、強く叱責されたら明かさずにはおれませぬし。」

瑞花は、下を向いた。

「誠に…我は、もう王をご信頼することができぬようになりました。約したことを覚えてもおられず、悪びれたご様子もなく。こんなことでは…これ以上、お助けすることも難しいかと。」

つまりは、離縁ということね。

維月は、言った。

「それは、ゆるりとお考えになられて。こちらに居れば、自然心に余裕も出て正しくお気持ちも分かって参るものですわ。こういうことは、時を掛けて考えた方が、後に後悔もせずで済みますもの。今、性急に結論を出すことはないかと思います。」

それには、綾も渋い顔をしながらも、同意した。

「…はい。我も今のお気持ちは分かりますが、お子の事もございます。時を掛けて行かれる方が、我も良いかと思いますわ。」

離縁して、また戻りたいなどまず無理だからだ。

維月は一度経験しているが、宮同士のこともあるし、神世のこともあって、事、王の婚姻に限っては、本神達の気持ちだけで決められる事ではない。

維心と維月も、かなり回りくどいことをしなければならなかった。

その場の勢いで、離縁など後悔してもどうにもできなくなるのだ。

恵麻が、言った。

「ここは、気が済むまで里に居られたら良いのでは。急ぐ必要はありませぬ。生まれてからも、一年以上も里に残る妃も居るほどですの。子に手が掛かるので、里の方が手厚い場合はそのように。王は、時々に会いにいらっしゃるとか。ですから、気長に構えていらしたら。中には基本的な躾まで終えてから帰る妃も居るのだと聞いておりますわ。もちろん、複数の妃が居るのが当然であった昔の話でありますが。」

確かに聞いた事がある。

恵麻など生んだらすぐに帰ったようだが、確かに里の方が力がある場合、そんなことも許された昔があった。

どうなるのかはまだわからないが、ゆっくり考えたら良いのだと瑞花が安心するのが先なので、居る月は頷いた。

「確かにその通りですわ。その間に心も落ち着いて参りましょうし。ゆったり構えて行きましょう。」

そうして、皆は瑞花を気遣って、昨今の流行りの着物の話やら、新しい楽の曲のことやらと会話をして、努めて明るく振る舞ったのだった。

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