水面下で
そんな風に水面下でいろいろな事をはらんだ状態で、月見の宴の日はやって来た。
いつもなら、催しに明るい気持ちで向かうのだが、今回はやらねばならぬことが山積していてそれどころではない。
その席で、維心は漸に心底反省を促し、維月は妃達に瑞花の無実を訴えねばならないのだ。
二人は、月見に行くとは思えないほどピリピリした空気の中、龍の宮を飛び立って行ったのだった。
夕暮れも近くなっている茜色の空を、月の宮の結界を抜けて降りて行くと、蒼と杏奈が出迎えてくれていた。
二人が到着口へと降り立つと、蒼は言った。
「維心様。ようこそおいでくださいました。」
維心は、頷いた。
「蒼。此度は世話を掛けるの。」と、維月を見た。「では、主とはここで。宴が終わったら我の対で会おうぞ。」
維月は、頭を下げた。
「はい、王よ。」と、杏奈を見た。「杏奈様。」
杏奈は、維月に微笑み掛けた。
「維月様。ご案内致しますわ。皆様お揃いでありますの。こちらへ。」
維月はまた頷いて、杏奈について勝手知ったる月の宮の中を歩いて言った。
蒼は、それを見送ってから言った。
「…維心様。それで、漸のことなんですけど。」
維心は、蒼を見た。
「もう来ておるのか?」
蒼は、頷いた。
「はい、今日は一番乗りで。まだ明るいうちからやって来て、瑞花と話したいと言うのですが、瑞花は気分が悪いからと拒否しました。今は、他の王達と南の桟敷に。どうしましょうか。」
維心は、蒼について歩き出しながら、ため息をついた。
「どうにもできぬわ。何が悪かったのか理解するのが先ぞ。他の王達と共なら、今頃批判されておるのではないのか。」
蒼は、頷いた。
「はい。皆様が来た当初は、1人来る度に漸を見つけて今のままでは信用ならぬ、今のままでは付き合いきれぬと口々に言うので、今ではおとなしくなっております。何より辛辣だったのは、那佐殿で。」
維心は、眉を寄せた。
「那佐なら容赦なかろうな。あやつは怖いものなどないからの。何を言うたのだ。」
蒼は、答えた。
「はい。輿から降りてすぐに、漸を見つけて開口一番、『主の所は一人に一人と決まっておるのだし、良かったの。また新しい女を探せるではないか。』と。」
もう離縁確定の言い方だ。
維心は、那佐なら言いそうだと顔をしかめた。
「何が良いのよ。那佐らしいが。」
蒼は、頷いた。
「そうなんです、オレがギョッとしていると、漸も同じことを。別れるほどのことではないとか言って。そしたら、那佐殿は『妃との取り決めを守らぬとはそういう事ではないのか?帰れと暗に言うておるのだと我は思うたわ。違うなら勝手な奴よ。』と、吐き捨てるように言って。そこから漸とは口を利いておりません。」
女の気持ちを慮る那佐ならそう言うかもしれない。
維心は、ため息をついた。
「最上位の中で争うのは良うない。とりあえず、漸は針のむしろであろうし、何とかせねば。また引っ込むとか言い出したら面倒よ。」
蒼は、言った。
「はい。ですが炎嘉様が回りの空気を気取って庇う側に回られておりまして。決して甘やかせるのではないのですが、漸に優しく諭しておる感じです。なので、とりあえず落ち着いております。」
維心は、ホッとした。
やはり炎嘉が居ないと困る。その役割を自分にしろとか言われたら、面倒なところだった。
維心は炎嘉に感謝して、そうして南の庭へと出て行ったのだった。
一方、維月は北の庭の桟敷に到着していた。
回りに几帳は立て掛けてあるが、中は丸見えだ。
ここには王達は居ないので、これぐらい開放的でも良いという判断なのだと思われた。
皆が、維月が来たのを気取って深々と床に額を付けて頭を下げている。
維月は、その中に進み出て、言った。
「皆様、ご機嫌よう。本日は一人一人にご挨拶などよろしいですわね。我らは友でありますし、ここには王達も居りませぬ。誰が格上など関係なくお話し致しましょう。お顔をお上げになって。」
皆が顔を上げる。
全員どこか、顔色が悪い。
綾が、言った。
「維月様、お会いしとうございました。御文のこと、椿殿や他の妃の皆様にも、改めてお話ししておりましたの。誠に漸様には、もうハラワタが煮え繰り返る心地でありまして。瑞花様を裏切ったこともでありますが、維月様に恥をかかせるなど…龍王様がお怒りになって当然でありますわ。」
そうして、言うが早いかウ、と口を押さえ、後ろに控えた侍女が急いで桶を差し出し、綾はその中に盛大に吐いた。
維月は、慌てて言った。
「ま、まあ綾様、ご無理はいけません。落ち着いて。」
綾は、懐紙で口元を拭いながら、言った。
「…お見苦しいところを。でも、大丈夫ですわ。慣れておりますから。」
とはいえ、顔色は悪い。
良く考えたらみんな同じ月齢なのだから、もしかしたらみんな、同じかも知れなかった。
「大変。もしかしたら皆様悪阻でご気分がお悪いのでは?同じ月齢でありましょう。」
何しろみんな、差はあるが顔色が悪いのだ。
元々色白な女神が多いので、透き通っているようだった。
明日香が、言った。
「はい、維月様。我は懐妊するような歳でもないので大丈夫ですが、元々悪阻がないという杏奈様以外、皆様綾様のような状況で。維月様に会うまではと、控えにも戻られなくて。」
杏奈は、月の宮から出ないからだろう。
維月は、ここはとにかく皆を楽にするのが先だと、空を見上げた。
「十六夜!ちょっと玉をくれない?小さいのを、ええっと、六つ。」
すると、月から光が降りて来て、目の前にコロコロと真珠のような玉が六つ、現れた。
《悪阻か?大変だなあ。でもよ、オレの玉も結界内を離れたら、一月くらいしかもたねぇぞ。それでも良いなら飲みな。》
飲むの?!
皆驚いた顔をしたが、維月は玉を拾って言った。
「ありがとう。」と、それを妊娠中の、六人に渡した。「これを、飲み下して下さいませ。十六夜の力は浄化の癒しでありますから、すぐにご気分が良くおなりですわ。皆様やつれてしまわれておりますから。」
手渡された妃達は、真珠にしか見えないそれを、飲むのは躊躇われたが、維月が言うのに飲まないわけにはいかない。
綾が、真っ先にそれを口に入れた。
そして、侍女から受け取った茶で一気に飲み下すと、ホッと息をついた。
「…何やら、胃の腑がスーッと致します。」と、背筋を伸ばした。「あら。付きまとっておった眩暈が、嘘のように。」
それを聞いた他の妃達も、先を争って綾に倣う。
すると、確かにスーッと苦しさが消えて、楽になるのを感じた。
「…なんとつらいと、王をお怨みしたい心地でありましたのに。嘘のように。」
美穂が言う。
維月は、苦笑した。
「そうですわね、最初は誠にそう思うものですわ。この方法は、我には効かぬのですが、皆様には有効でありますの。我は陰の月なので、十六夜の力を打ち消してしまい申して。悪阻は、王に気を調整してもらうことで乗り切るしかありませぬ。」
月本人は使えないのか。
それはまた不便だなと皆は思ったが、みるみる頬に赤みが差して来て、皆楽になったようだ。
綾は、フッと息をついた。
「誠に…悪阻が始まった時には、月見に来られぬのではないかと案じたのですが、何としてもと思い申して。皆様も同じでありましょう?」
椿は、頷いた。
「はい。例のお話を聞いて、居ても立ってもいられずで。」
美穂が、言った。
「その…我は、王から少し聞きました。我は、朝の茶会に出ておらぬので…何やら困ったことにと、来ぬという選択肢は、ありませんでした。」
楢も、頷いた。
「我も…お姉様が案じられまして。お会いできたらと思うたのですが、やはり来ておられぬご様子…。」
維月は、それを聞いて北の対を振り返った。
あそこが、高瑞の対なので、瑞花はあそこに居るはずなのだ。
「…お呼びしましょう。」維月は、言った。「瑞花様はお悪くないのですから。安心させて差し上げなくては。元より我は、もう気にしておりませぬ。そも、陰の月がそういうことに長けておることは神世で知る者は知っておりまする。今さらですの。皆様で、励ましてお話を聞いて差し上げましょう。」
皆は、頷く。
維月は、侍女に頷き掛けて、そうして侍女は瑞花を呼びに北の対へと入って行ったのだった。




