大変な事に
大変な事になった。
維月は、それを聞いて思った。
維心が言うように、維月はもう王達に知られた事については何とも思っていなかった。
気にしても、もう知られたのだから仕方がない。
どうせ、炎嘉や志心、箔炎など前世から交流のあった神は、陰の月の事は知っている。
そもそも、維心とは違ってあの時維心を押し倒した自分が悪いと思っていたからだ。
どうしても我慢ならなければ、碧黎に頼んでその部分の記憶を消す事すらできた。
なので、そんなに大層に思っていなかったのだが、維心は違う。
維月を守ろうと、思っていた以上に怒っているのだ。
どうしたものだろうと扉の前で考え込んでいると、扉が開いた。
ハッと顔を上げると、維心がこちらを見ていた。
「維月?何をしておる。漸はもう帰ったぞ。」
維月は、頷いて立ち上がった。
「はい。あの…私は、そう大層には考えておりませぬで。瑞花様に、とりあえず漸様のお気持ちを話しても良いですが。」
維心は、スッと眉を寄せて首を振った。
「そんなことはせずで良い。あれを見たであろうが。何の反省もしておらぬ。学んでおるかと思うたのに、実際は瑞花に丸投げで己はもう良いと思うておった節がある。あれのためにも、ここでやはり己自身がしっかりせねばと思わせねばならぬのよ。これから、宮同士の交流が進んで、臣下レベルで面倒が起きたら何とする。王の心持ちは、臣下に伝播するからの。信頼できぬようになれば、自然他の宮も離れて参るし、我もあれを信用できぬようになる。こういう些細なことで、それが分かってくれた方が助かるのだ。まだ大きな事にはなっておらぬ。ま、漸にとっては大きな事やも知れぬがな。」
そうだったのか。
維月は、維心が何をそんなに厳しく怒っているのかと思っていたが、そういう考えが後ろにあったからなのだ。
このまま、宮同士の約定すら覚えていないと言われたら、それこそ事によっては戦になる。
その芽を摘もうとしているのだ。
「…維心様がそこまでお考えであられるとは思いもしませず。申し訳ありませぬわ。私は、維心様の仰る通りに致します。」
維心は、満足げに頷いた。
「我に任せよ。誠に困った事ではあるが、あやつを育てるのは我らの役目。少しは突き放さねばならぬのよ。」
維月は頷いて、明日の月の宮での宴は、瑞花の名誉を守るために妃達に取り成そう、と自分のやるべきことを考えていたのだった。
その日の午後、今度は炎嘉がふらりとやって来た。
いつものように居間の窓からやって来て、中を覗いた。
「維心?入るぞ。」
維心は、顔をしかめながらもいつものことなので頷いた。
「…まあ良い、入れ。」
炎嘉は、入って来て維心の前に座った。
そして、言った。
「維月は居らぬのか。」
維心は、首を振った。
「あれは維知の様子を見に維斗の対に。なんぞ?維月に用か。」
炎嘉は、首を振った。
「居らぬ方が良いからぞ。漸の話をしに参った。」
維心は、途端に眉を寄せた。
「あれは主に泣き付いたのか。」
炎嘉は、ため息をついた。
「ここへ来た帰りに来た。維心が全く許してくれぬし手を貸してくれぬと申して。」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「…我は手を貸さぬぞ。維月にも命じるつもりはない。」
炎嘉は、ため息をついて頷いた。
「分かっておる。主から内情を聞いておったからの。ならば甘やかせてはならぬと思うておった。あれは、妃との約定であるから大層なことにはならなんだが、宮同士であったら大変な事になっておった。龍の宮のことは、厳しいと分かっておるからあれも気をつけようが、我らの宮との約定など、どうせ許されると簡単に忘れておったわとか言いそうだからの。ここは、釘を刺しておかねばと思うた。ゆえ、何故に維心が怒るのか、理由を滾々(こんこん)と話して聞かせた。最後は理解したのか、項垂れて帰って行ったがの。厳しいようだが、ここは宮の奥レベルの混乱で済んでこちらは良かったのだ。」
やはり炎嘉もそう思ったのか。
維心は、力を抜いて頷いた。
「主が分かってくれておるなら良い。あれには困ったものよ。瑞花が嫁いで良かったと思うておったが、あれに丸投げで己は励む様子もないのはいただけぬ。まして、その言い付けを守らぬようでは、瑞花にもどうしようもあるまい。甘えであるのだ。元が適当な性質であるから、いざという時には頼りになろうが、普段はの。」
炎嘉は、頷いた。
「その通りぞ。志心にも話して来たが、同じことを言うておった。あれの宮では問題ないのだろうが、こちらはいろいろと厳しい。何故なら、多くの宮が共存しておるからぞ。そこを理解できぬと、これからもまずい事になるのではと案じられる。此度は、良い機であったわ。」
瑞花と漸には気の毒だったがな。
維心は思いながら、明日の月見はいったいどうなるのだろうと、頭が痛かった。
普通なら漸は来ないだろうが、瑞花が戻っているのだから、会う機会はそこしかない。
来るしかないのだが、王の間では軋轢が生じている。
どうしたものかと、炎嘉と頭を悩ませたのだった。
維月が維知の所から戻って来ると、炎嘉が居て驚いた。
来ているとは、誰も言っていなかったからだ。
維心は、振り返って言った。
「ああ、戻ったか維月。炎嘉が昼頃来ての。」
もう夕方だ。
ということは、いきなりふらりと来た割には、結構長い時間居る。
維月は、頭を下げた。
「炎嘉様、ようこそおいでくださいました。お茶もお出しせずに。」
と、慌てて侍女に頷き掛けた。侍女が茶を淹れるために下がって行く。
炎嘉は、手を振った。
「いや、我が茶は良いと断ったのよ。だが、主が戻ったなら茶をもらったら帰る。まあ座れ。」
維月は、頷いて維心の隣りへと座った。
維心は、言った。
「明日のことぞ。漸が、ここの帰りに炎嘉の所へ泣きついて行ったらしゅうてな。その話をしに参ったのだ。」
維月は、また大事に、と袖で口元を押えて、神妙な顔をした。
「…誠に私のせいで、いろいろとご面倒をお掛けしておりまする。」
炎嘉は、首を振った。
「いや、主のせいではないわ。そも、そういう話は妃達の間でも王達の間でもするものぞ。公にせぬだけ。だが、此度は面倒な事になってしもうた。知ったのが漸であったのがまずかったのよ、仮にこれが塔矢であっても翠明であっても、公明であっても言わなんだ。そんなことを、皆の前で言う事から間違っておるのを知っておるから。だが、我らもあの折別に今さらだと思うてしもうての。主の事は、我らは知っておる。陰の月なのだからあっちに長けておって当然ぞ。その維月が妃達に教えて、良い思いはしても悪い思いはせぬのだから、王達に異存があるはずもない。なので文句はないが、維心からしたら妃に恥をかかせたと感じるわな。それに、後から聞いたが瑞花と言わぬと約しておったと言うし。それなら話は違って参ると、我らも黙っていられぬようになった。約した事を簡単に違えるような王は、我らとて信用ならぬからな。そこは、正しておかねばと思う。」
やっぱりそうなのね。
維月は思って、頷いた。
「はい…。」
侍女達が、茶を持って入って来て、維心、炎嘉、維月の順に置いて回って、出て行った。
炎嘉は、茶碗を持ち上げて続けた。
「それで…本来ならば、もっとしっかり礼儀を学んでから来いと漸は月見に呼ばぬのだが、瑞花が戻っておるしそうも行かなくなった。漸も、瑞花と何としても和解しようと、必ず参加しようとするだろう。そうなった時に、我らは漸に苦言を呈さずにはおられぬのよ。志心も箔炎も事情を知って、それは漸が悪いと申して信用ならぬなと言うておったし、絶対に漸は皆の批判の矢面に立つ。まだ神世に戻ったばかりだし、まだ我らに実害が出たわけでもないしで、どこまで言えば良いのだろうとな。あまり言い過ぎてもあやつが面倒になりそうであるし、だからといって言わぬでおったらまた、甘えて何をしでかすか分からぬだろう?それで、維心と詰めておったのよ。もう明日であるしな。」
維心は、頷いた。
「そうなのだ。だが、主は気にするでない。明日は妃達は北、我らは南であるから、顔を合わせずに済む。我らのことは、我らの方で何とかするゆえ案じるでない。どうやら綾が、事実を知って漸とは顔も合わせたくないと思うておるらしいしな。悪阻で吐きながら怒り狂っておったようで、翠明が見て居られずに言うて来たほどであるし。」
知っている。
維月は、思って顔をしかめた。
綾からしたら、維月の好意を踏みにじって恥をかかせた漸が、許せないのだろう。
そして、瑞花の信頼を裏切った事も。
維月は、息をついて頭を下げた。
「はい。よろしくお願い申しますわ。妃達の事は、お任せくださいませ。瑞花様が悪くない事は、既に綾様にも文でお知らせしておりますし、そちらから皆様に行き渡っておるようですし。なので、瑞花様にもお気兼ねなく席にいらして欲しいのですが…高瑞様の対は、北であるのですし。」
炎嘉は、頷いた。
「そちらは任せるわ、維月。主の性格なら別に後を引いて居らぬだろうことは我にだって分かっておる。それより、こんなことになっておるのに気が重いのだろう?だが、主のせいではないからの。」
維月は、炎嘉にまで気を遣わせてと頷いた。
「はい、炎嘉様。」
王達の桟敷が修羅場にならねば良いのだが、と、維月は十六夜に相談して見ておいてもらおうと思っていたのだった。




