月の陰
まさか会合の後の宴でそんな話になっているとは知らず、維月は今は地の陰で月を見上げていた。
十六夜が、言った。
《蒼は宮じゃ落ち着いてるよ。別にびっくりしても上がって来なくなった。外じゃ環境が違うから気を張ってて、それで地上に居る意識が緩まるのかなと思ってるんだがな。》
維月は、顔をしかめた。
「でも、永劫にどこにも出ない事なんか無理なんだし、ちょっと修行した方がいいと思うの。王達は寛容なんだし、いきなり戻ってもまたかって文句は言わないわ。慣れなきゃね。」
十六夜は、頷いたようだった。
《ま、オレもそれは言っとく。》と、ちょっと黙ってから、続けた。《…お前、妃達にアレのやり方教えたか。陰の月の技。》
え、と維月は驚いた顔をした。
「え、それは…その、みんな必死に聞くから、興味がある女神だけに教えると言ったら、みんな来たの。それで、初歩の初歩を教えたわ。いきなりハードなの教えたら、王はドン引きするかなと思って。でも、ほんの一部よ。なんで?」
十六夜は、あーっと困った声を出した。
《あーそうかー。》
維月は、怪訝な顔をした。
「何よ、気になるわね。どうして知ってるの、聞いてた?」
十六夜は、答えた。
《あのなあ。今、上位はみんな懐妊ラッシュだろ。宴の席でその話になってる。》
それで、維月は何か悟ったが、信じたくない気持ちで言った。
「え、でも、綾様は侍女の噂だと言ってあると御文をくれてたわ。他の妃が?」
十六夜は、答えた。
《瑞花だ。漸の宮は特殊だろうが。妃でも他に男を作る可能性があるぐらい。で、漸とは別れるわけでぇ。だから、あいつは問い詰めたらしい。で、瑞花はゲロッた。》
うわ…最悪。
維月は、大きなため息をついた。
あの時のことは、維心にも話していない。
そんなことを教えたなど、いくら維心でも引くかと思ったからだ。
「…じゃあ…他の王達も漸様から知った感じ?」
十六夜は、また頷いたようだった。
《そう。漸以外知らなかったみたいだな。維心は、だからお前を娶ったんじゃないと怒ってる。それは後付けだって。》
まあ、そうなんだけど。
維月は、こうなることを恐れていたので、頭を抱えたい気持ちだった。
いったい、月見の宴でどんな顔をして皆に会えば良いのだろう。
何より、帰って来た維心にはなんと説明しよう。
維月は、あの時何も考えずに他の宮で維心を攻めるんじゃなかったと後悔したのだった。
「今帰った。」
維心が、維月が懸念していた深刻な様子もなく、普通に居間へと入って来た。
維月は、昨日気になってほとんど眠れなかったのだが、頭を下げた。
「お帰りなさいませ。」
維心は頷いて、言った。
「着替える。」
侍女達が、いつもの流れなので部屋着を持ってわらわらと入って来る。
維月は、維心を着替えさせるために、帯に手をかけた。
黙々といつも通りに着替えが終わり、侍女達が退出して行くのを見送ると、維心は維月の手を取って、いつもの椅子へと腰掛けた。
「…今回も滞りなく会合は済んだわ。塔矢も仁弥も渡も落ち着いて来たし、これよりはないなと話して来た。」
維月は、慎重に頷いた。
「はい。皆様慣れて来られてこれよりの事はございませぬ。」
維心は、茶を持って来た侍女から茶を受け取って、言った。
「留守中、何もなかったか?」
維月は、自分も茶碗を受け取って、答えた。
「はい。十六夜と話しておりました。蒼は月の宮なら驚いても月に帰らなくなったそうですが、私は少し、慣れた方が良いので、外へ出るべきではないかと伝えましたの。」
維心は、うーんと顔をしかめて首を傾げた。
「確かにそうだが、場によるの。我らはわかっておるから良いが、他から見たら機嫌を損ねて帰ったようにも見えるゆえ。個人的にあちこち出掛けて、慣れることぞ。皆が集う場は、当分は止めておいた方が良い。どうしてもなら、今回の月見のように、月の宮で行えば良いのだからの。」
維月は、頷いた。
「はい。ではそのように。」
いつも通りだ。
維心は、特に何か維月に隠している様子はないし、何でも顔に出る維心が、全く変わらないので、もしかしたら例の話は十六夜の勘違いだったのではないかと思うぐらいだ。
だが、十六夜は維心がそれだけで維月を選んだわけではないと怒ってると言っていた。
いくらなんでも、十六夜はそんな嘘はつかないのだ。
維月は、気になるので思いきって聞いてみることにした。
「あの…維心様。」維心は、問うような顔でこちらを見た。維月は続けた。「その…妃達に私が陰の月の技を教えた件なのですけど。十六夜が、話題に上がっていたと。」
維心は、途端にああ、と眉を寄せた。
「あれか。漸から聞いた。瑞花ももっと他に言い様はあったであろうに。綾など侍女の噂話だと言うたらしいぞ。主は善意で教えたのに、恩を仇で返す所業よな。漸には、宴の後で控えへ移動する時に、月見に懐妊中だからとか何とか言うて瑞花を連れて来るなと申した。そも、知っておっても皆の前で明かす漸も悪いのだ。それは、重々申しておいたし、主は案じるでない。」
え、あちらが悪いの?
維月は、慌てて言った。
「あの、私が悪いのですわ。聞かれてもあんなことを答えねば良かったのですから。」
維心は、首を振った。
「そういう閨の事は、王同士でも隠れて話すものよ。だが、外で誰がこうだとはその場に居らなんだ者に明かすことはない。話す場合は誰がということは伏せるものぞ。妃同士だって同じ事があってもおかしくはないし、それにより王も良い事になるのだから、批判することもなかろう。あれだけの数が懐妊しておるのだから分かる。だが、あんな風に主がと言うてしもうたら、まるで主が奔放な女のように言われるではないか。まあ、確かに陰の月ではあるのだが、主は主。他の王からの主への見方も変わって来ようし、礼儀に反する。もっと神世広くそんなことが広がらぬためにも、我は漸を咎めておかねばならなんだ。そも、他の妃を見よ。上手く言うて王達は情報の出所を、漸に聞くまでしらなんだ。主は瑞花に、文句を言うて良いのだ。」
そうなるのね。
だから維心は維月にそんなことを教えて、とか、批判しなかったのだ。
そう、思わなかったからだった。
「ですが…私が。維心様は、他神の宮だからとお止めになっておりましたのに、あのように。だからあんな話にもなりました。妃達にとって、王の寵愛が最優先事項なのだとあの時思い知りました次第です。聞きたくなるのは、道理でありまして。」
維心は、辛抱強く頷いた。
「確かにあの場でやったのは少し、配慮がなかったが、しかし焔と炎嘉が寝不足になったぐらいぞ。別に、主が我を求めるのに、どこでも構わぬわ。何度も申すが、我は主が妃達と閨の事について話すことを、咎めることはない。それも道理だからぞ。我が言うておるのは、それを誰に聞いたと明かした瑞花と、わざわざ皆の前でそれを申した漸ぞ。百歩譲って、瑞花が妃達から聞いたことを明かすのは良いだろう。だが、それが誰であったか明かすのは間違いぞ。礼儀に反する。主の好意を踏みにじる行為なのだ。」
十六夜が、維心が怒ってると言っていたのは、そういう考えからだったのね。
維月は、やっと合点がいった。
だが、これ以上何か言って更に維心が瑞花に対して怒り出しても困るので、維月はそれで、その事を話題にするのは止めにしたのだった。




