その夜
妃達が曲を決めて誰が何を担当しようときゃっきゃとはしゃいでいると、侍女がやって来て頭を下げた。
「美穂様。そろそろ奥へお戻りになるようにと、王よりのお話でありまする。」
綾が、ハッとした顔をした。
「そうでしたわ。本日は美穂の婚姻。」と、美穂を見た。「美穂、お気張りあそばして。何事も渡様にお任せしておれば問題はありませぬ。楽器のことは、またしらせますわ。励むのですよ。」
何を励んだら良いのか美穂には皆目分からなかったが、渡を信頼しているので、任せておけば大丈夫だろうと頭を下げた。
「はい。では、我はこれで。」と、維月を見てまた頭を下げた。「龍王妃様、楽しい時でありました。」
維月は、頷いて急かした。
「婚姻の夜でありますのに、長くお引き留めしてしまいました。早う渡様の御下へ。御幸せに。」
美穂は頷いて、そうして侍女達に伴われてそこを出て行った。
椿が、言った。
「忘れてしまうところでありました。つい楽しくいつものような心地で話に花が咲いてしもうて。」
維月は、微笑んで頷いた。
「はい。我も楽しくてつい。ですが、そろそろ我らも戻った方がよろしいですわね。渡様が戻られたなら、王もきっと控えに移られたでしょう。参りましょう。」
皆が頷いて立ち上がる。
明日香は、晴れ晴れとした顔で言った。
「皆様が、とても良くしてくださるので、あれほどに気が重かったのが嘘のようです。次にお会いするのがとても楽しみになりました。」
綾が、フフフと笑った。
「はい。これからは共に楽などしながら楽しみましょう。明日香様は曲もたくさんご存知でありますし、お話し甲斐がありましたわ。」
明日香は、微笑んで答えた。
「綾様の知識には敵いませぬのに。ですが、我が良く知るのは王のお蔭。王には感謝しかありませぬ。嫁いでこの方、厳しくご指導くださるのに、一時は恨んだ事もありましたけれど、今は誠に。」
何でも最初はつらいわね。
維月は、思ってそれを聞いていた。
維心は、維月が無理のないように教え続けてくれたので、つらい思いはしなかったが、厳しくされたら恐らくつらかっただろう。
楽も然り、書も然り…。
長年共に側で教えてくれている、維心には感謝しかない。
「…何やら王に早くお会いしたくなりました。」維月は言った。「我とて嫁いでから、王に全てをお教えいただきましたから。感謝しかありませぬわ。」
妃達は笑い合い、そうしてそれぞれの王が待つ、控えの間に向かって歩いたのだった。
控えの間に戻ると、維心はもう戻っていて、振り返った。
「維月。戻ったか。」
維月は、微笑んで頭を下げた。
「お待たせしてしまいました。」
維心は、首を振った。
「我も今戻ったところよ。着替えようかと思うておったのだ。」
維月は、頷いた。
「では、お着替えを。」
侍女達がわらわらと出て来る中で、維月は維心の着物に手を掛けた。
維心は、言った。
「どうであったか?仁弥の妃の明日香は、下位から来ておるそうな。あれが案じておった。」
維月は、維心を着替えさせながら答えた。
「はい。維心様には良い時にお声を掛けていただいて。明日香様はとても緊張されていて、我らで励ましておるところでありましたの。あの時には、誠に維心様に感謝致しました。」
だから我が呼んだ時にビクとしたのだの。
維心は合点がいって、頷いた。
「そうか。ならば良かったことよ。あんな場所で何かしでかしたら隠しようもないしな。場を変えた方が良いと思うたのだ。それで、明日香はどうか?」
維月は、微笑んで言った。
「ご本神は謙遜されておりましたが、なかなかに励まれておるようで。亜寿美様の時のように、不安な所など見当たりませんでした。定型文もしっかり頭に入っておられて、文言におかしな事は見当たりませぬし、仕草もしっかりしておりまする。落ち着かれたら、話していてとても博識であられるし、楽しかったですわ。不快なことなど何も。」
維心は、ホッとしたような顔をした。
「そうか。それは良かったことよ。これから、同席することが多くなろうし、案じておった。」
維月は、維心に袿を着せ掛けて、微笑んだ。
「はい。楽にもご堪能であられて、綾様と曲の話で盛り上がっておられました。嫁いでから仁弥様から厳しく指導されたのだと聞いております。合奏のことを楽しみにしておりまして。」
維心は、侍女達が維月を着替えさせるのを眺めながら、頷いた。
「月見もあるしな。それはこちらも楽しみなことよ。やはり仁弥は序列を上げて良かったの。恵麻は元より炎嘉の筋であるし、問題あるまい。明日香だけが懸念されたのでな。」
維月は、髪の簪を抜きながら頷いた。
「はい。恵麻様は全く問題ありませぬ。皆様、とても仲良くなさっていて、私も楽しめました。」と、髪をほどいて侍女達が下がると、維月はフフフと笑った。「…時に維心様。私は本日、維心様に何度も感謝致しました。」
維心は、眉を上げた。
「感謝?場を変えること以外もか?」
維月は、頷いた。
「はい。明日香様と話していて、私も維心様に一から教わりましたことに思いが至りまして。でも、私は全くつらくはありませんでした。なぜなら、維心様は私がつらくないように、少しずつ根気強くお教えくださったからですわ。王の中の王であられるのに…こんな私を、お側に置いてお導きくださったことに感謝致します。」
維心は、苦笑した。
「主であるからの。主以外は考えられなんだし、むしろ我は主がよう音を上げずにここまで励んでくれたと感謝しておる。」
維月は、微笑んだ。
「それは維心様の御為でありますから。維心様が恥ずかしくないようにと、必死でありました。礼儀どころか書も楽も何もかもでありますのに。頭が下がりますわ。」
維心は、微笑んで言った。
「それも、主が素直に励んだからぞ。ようここまでになってくれたものよ。」
維月は、維心に身を摺り寄せた。
「一々見て褒めてくださるからですわ。だからこそ、頑張れました。」と、維心の首に腕を回した。「…維心様、なので今夜は御礼を。存分にお楽しみくださいませ。」
維心は、維月を抱き寄せた。
「ほう?それは…もしや。」
維月は、ニッと笑った。
「…ただ今は陰の月ですの…。」維月の目が、赤く光った。「久方ぶりに、私に任せてくださいませ。」
アレか。
維心は、嬉しいのが半分、戸惑い半分で奥へと足を進めながら言った。
「維月、それは我も、時にアレが良いのだが、その、ここは渡の宮であるしの。両隣りが炎嘉や焔…んんっ。」
維月は、維心の口唇を塞いだ。
そのまま、維心は維月に押し倒されて、そうして夜を過ごしたのだった。
次の日の朝、維心がボーッと王達の朝の茶席に入って行くと、焔が振り返って、言った。
「だから主は!ここは渡の宮であるぞ、何をしておったのよ、頻繁に叫び声を上げおって!眠れなんだわ!」
炎嘉も、寝不足の顔で言った。
「いつものやつよ。昨夜維月は月の方であった。維月に攻められておったのだろうが。」
塔矢も仁弥も、聞いていないという風に茶碗に口をつけてゴクゴク飲んでいる。
結構な範囲に聴こえていたのだとそれで分かった。
維心は、面倒そうに言った。
「我は余所の宮ではと言うたが維月が聞かぬでの。防音結界を慌てて張ったのに、聴こえたのか?」
焔は、椅子にそっくり返った。
「聴こえたわ!どうせ力が弛んだのよ。あんな最中に集中できぬだろうしな。」
防音していてアレか。
皆が思ったが、何も言わなかった。
炎嘉が、言った。
「まあ、我らは隣りだし、被害はしようがない。とはいえ、元気だのう。我には無理だわ。昔は妃に攻められるとはなんと羨ましいとは思うたが、今は疲れる。やるなら己が良いようにしたい。余裕なく叫び声まで上げねばならぬなど、疲れてしようがないわ。」
維心は、言った。
「まあ…毎日ではないゆえ。時々よ。それが昨夜であっただけ。どうも我に感謝して、その気持ちから我を楽しませたいと考えたようで。どうせなら宮で気兼ねなくして欲しかったわ。」
志心が、言った。
「感謝?昨日は離れて茶を飲んでおったのにか?」
維心は、まだだるそうに頷いた。
「そう。我が場を移すように言うたのが良かったのと、我があれを根気強く育てた事に対してのことらしい。何がいつあれの心の琴線に触れるのかなど、我には分からぬわ。とにかく、迷惑を掛けたのなら謝るわ。」
妃の気分次第で大変だの。
皆は思ったが、その話はそこで無しになった。
渡が入って来たからだった。




