憤り
隣りの茶席では、相変わらずズラリと並んだ侍女達に、維月が遂に言った。
「…もう、これは異常ですわ。」え、と妃達が突然の維月の怒った様子に驚いておののいた顔をしていると、維月は侍女達に言った。「主ら。我は給仕せよと命じてはおりませぬ。我の侍女の、阿木と千秋を残して皆去りなさい。」
維心の侍女が、え、と驚いた顔をした。
「ですが我ら、こちらでの様子を見ておくようにと王より申し遣っておりまして。ここを動く事ができませぬ。」
維月は、首を振った。
「王が命じられたのは鵬にでありましょう。主らは鵬から命じられただけのこと。我の命が聞けぬのですか。そも、王はそなたらが見ておらずとも、結界内は見ようと思えば見ておられます。」
侍女達は、いつにない維月の強い様子に怯えて、急いで床に膝をついた。
「申し訳ありませぬ!王妃様のご命令に従います。」
維心の侍女達は、必死の様子で部屋から出て行った。
維月の侍女も、阿木と千秋以外は外に出て、場は一気にシンと静まり返る。
綾が、言った。
「…驚きましたわ。維月様は滅多にそんな風に申されぬので。」
維月は、ハアとため息をついた。
「…イライラしてしまい申して。いけないですわ、あれらは悪くはないのに。でも、あの監視するような視線が許せなかったのです。そのような権利は、あれらにはありませぬ。」と、亜寿美を見た。「亜寿美様、あなたは何も悪くないのですよ。ですが、知らぬということは、このような宮では攻撃の的になってしまうのです。我らが何も言わずとも、臣下が大変に厳しい目を持っておって。とにかく、一からお教え致しますわ。あれらが居ったら進むものも進まぬから、出て行くように申したのです。上位の宮は、戦いの場だと思うた方がよろしいわ。我ら、身を守るために礼儀を学んで来たのです。あなた様も、もしこれからこのような機会があれば、宮の将来まで脅かされて、立場が無くなる事を念頭に入れて、しっかり励まれて。甘いものではないのですよ。」
綾も、頷いた。
「はい。維月様の仰る通り、誠に厳しい世界でありますの。華やかで美しい世界ではありますが、いざそこに座ると大変な決まりの中で縛られておりますの。知らぬと蹴落とされてしまいます。我らは幼い頃から躾られて、なんとか自然に身が動きますけれど…大変でしょうが、励みましょうね。」
亜寿美は、義母の初が言っていたことが、今わかった気がした。
常、それでは外では通じぬと、厳しくされたが王に咎められるわけではなかったので、そのまま来てしまった。
初は、身を守る術を教えてくれていたのだ。
亜寿美は、深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ありませぬ。どうぞよろしくお導きのほど、お願い申し上げます。」
皆は、亜寿美を囲んで頷いて、何がわからないのかを初めから、とにかく茶席の乗り越え方だけでもと、一生懸命皆で考えたのだった。
その頃、鵬が言った。
「まず、二番目の…、」
そこへ、維心の侍女達が慌てた様子で駆け込んで来た。
中には、涙ぐんでいる者まで居る。
維心の侍女達が、滅多にこんな無礼な事はしないので、何かあったのかと皆、慌てて振り返った。
「なんぞ。茶会はどうした。」
鵬が言うのに、侍女の一人が言った。
「王妃様の御気色が殊の外お悪くなられて。鵬様の命で来ておるのに、王妃様の命は聞けぬのかとお叱りを受けて…戻れと申されましたので、戻って参りました。王は、結界内は見ようと思えば見ておられると。」
…維月が怒ったか。
維心は、舌打ちをした。
確かに、見て来いと言ったのは鵬にで、維心の侍女を伴ったのは鵬だ。
やり過ぎではと思ったが、何も言わないのであの方が圧力もかかって良いかと放置していた。
そうしたら、維月はキレたのだ。
鵬が、慌てて頭を下げた。
「王!申し訳ありませぬ!まさか王妃様がそこまでお怒りになるとは思わずで…!我の責でございます!」
隣りを見ると、維月は他の妃達と寄り集まり、亜寿美を囲んで何やら深刻にボソボソと話している。
維月が皆の前でキレたということは、余程腹に据えかねたと思われるので、機嫌を直させるのはかなり難しそうだった。
「…維月を怒らせおって。あれはこちらへ戻って来ぬと言い出すぞ。あちらへ参って、維月の怒りを解いて参れ!侍女など大勢連れて参るからこんなことに!」
鵬は、深々と頭を下げ直して、言った。
「誠に申し訳ございませぬ!すぐに!」
鵬は、そのままズリズリと後ろへ後退して扉に尻を付くと、扉を開いて脱兎の如く駆け出して行くのが見えた。
炎嘉が、息をついた。
「主があんなことを申し付けるからではないのか。鵬のせいにするでない。お陰で鵬から情報が得られなんだではないか。」
維心は、むっつりと炎嘉を見た。
「維月が無礼な様に困るかと思うたからぞ。我の侍女まで動員せよとは言うておらぬわ。維月が怒ったら、機嫌を直すまでかなりの時を要するのだぞ?」
現に、鵬が扉の外から呼び掛けているが、維月は千秋に王妃様はただいまお忙しいのでお会いになれぬと言わせているのが見える。
本来、維月は臣下にこんな扱いはしないので、その対応でどれ程怒っているのか透けて見えた。
志心が、言った。
「とりあえず、渡の宮に指南に行かせる皇女の件は、またこちらで選んで派遣しようぞ。後は、主らの間で決めよ。関は誠に良いのだな?」
関は、頭を下げた。
「は。我は学び直して、後はそれから考えたいと思います。」
渡も、疲れたように頷いた。
「我は良い。関がそのように申すのならな。王座には慣れておる。ならば、如月の立ち合いには我が出よう。如月の会合には、我が出るので良いな?我の若返りの件は、ほとんどの宮が噂で知っておるが、公式に言うたわけではないし。」
炎嘉が頷いた。
「それは確かにの。そこで公表して、主が再び王座についたのを告示せねば。」と、維心を見た。「して維心よ。ここで開催することは決まっておるが、準備は進んでおるのか?」
維心は、頷いた。
「会合の後、宴があるが、次の日から三日間、総当たりで立ち合う順も決めておる。初日は最上位と二番目、二日目は三番目と下位の数人、三日目は下位の残りと、それぞれで勝ち残った王との総当たりぞ。早う終わったら前倒し。何しろ、どれぐらい掛かるか分からぬからな。とっとと終わらせて、とにかく三日で済ませたい。終わるまではここから誰も帰れぬからの。」
焔が言う。
「最上位は時が掛かろうな。力が拮抗しておるから、我らでもどうなるか分からぬ。維心以外は誰がどうなるかいまいち分からぬ状況ぞ。」
箔炎が、言った。
「維心はもう、良いのではないのか。こやつが本気になったら一瞬であるし、それは皆が知っておる。この際、はしょっておけば。」
炎嘉が言った。
「それでもこれがやらぬと皆が立ち合うと言うた事が偽りになる。とにかくやらせるのだ。どうせこれは疲れ知らずよ。」
維心は、それを黙って聞いていた。
気を使うわけでもないのだから、皆一矢報いたいと考えるはずなのに、友のせいか始めから諦めている様に、ため息が出る。
漸は、言った。
「我は楽しみであるぞ?維心と立ち合うなぞ、こやつが戦以外であまり刀を抜かぬから貴重だろう。良い機ではないか。もしかしたら一本ぐらい取れるやも。」
維心は、お、と少し顔を明るくした。
「やる気のある奴は戦い甲斐がある。良いぞ、一本取ってみよ。」
志心が、言った。
「まあ、やるなら本気で対峙しようぞ。とはいえ、先に軍神達の立ち合いがある。もう立ち合いの会まで二週間ほどだが、あれらは励んでおるのかの。此度も、正月に出掛けるのについて参らねばならぬから、うちの夕凪は鍛練しとうてウズウズしておった。義心がおるゆえ、あちらの方が鍛練できるぞと言うたので、嬉々としてついて参ったのだがの。」
維心は、頷いた。
「今、ついて参った軍神達が、訓練場に集まってそれぞれうちの軍神達と鍛練しておるぞ。筆頭だけで良いのに、ついて参った全てが居るようよ。じっとしておられぬのだな。」
筆頭がもし、急病などとなったら、誰が出ろと言われるか分かったものではない。
軍神達は、等しく緊張感を持っているのだ。
漸は、ため息をついた。
「義心に敵うものか。あやつは、到着した折、貫が飛んで行って我に指南を、と申すのに、皆を指南するゆえ主も参れと、落ち着いた様子であった。あやつは己で、敵などないと分かっておるのだ。勝てるものか。そも、こちらも指南してくれなど言うて行くぐらいであるからの。端から勝つ気などないのだ。」
龍か。
渡は、その会話を聞きながら、そう思っていた。
もうすっかり終わった事のようになっているが、関は王座を降りるという屈辱に耐えねばならぬのだ。
なので、渡は内心それどころではなかった。
しかし、渡がそれを不憫に思っているのに、当の関は何やらスッキリした顔をしていた。
…やはり、こやつに押し付けては哀れであったか。
渡は、王座の面倒さを知っているだけに、その気持ちも理解していたが、また長く続くだろう王としての神生に、己の前世を恨みたい気持ちになっていたのだった。