準備
宴の席でも、結局塔矢と仁弥は炎嘉に声を掛けられた時以外、微動だにしなかった。
酒を飲む動きも、まるで機械のようだ。
渡は全く構えもせずに居たが、二人はそれに隠れるようにして、なんとかやり過ごした感じだった。
二人とも、渡だけが頼りなようだった。
何しろ、二番目であったならいざ知らず、二人共三番目から来たし、塔矢などその前は下位だったのだ。
とにかく、慣れるしかない。
最上位の王達は、そう思って長い目でみる事にした。
渡が宮へと帰ると、臣下一同が到着口に勢揃いして渡を出迎えた。
そして、渡が降り立つと、全員が頭を下げて、滝が進み出て言った。
「王。我が宮は、宮始まって以来の最上位という高い地位に就き、臣下一同これ全て王のお力によるものと心より感謝致しまして、お喜び申し上げまする。」
よく見ると、滝は涙を流している。
渡は、そこまでかと顔をしかめたが、言った。
「…まあ、主らが喜ぶならば良かったことよ。だが、これよりは大変ぞ。引き締めて行かねばすぐに陥落するぞ。責任は重い。さらに励むようにな。」
全員が、頭を下げ直した。
「はは!」
渡は、ため息をついて歩き出した。
「戻る。」
滝は、急いでそれについて歩きながら、言った。
「ところで王よ、茶会のお話でありますが。」
渡は、それか、とため息をついた。
「まあ、しようがないわな。」と、立ち止まった。「美穂。」
美穂は、遠巻きにそこに居たのだが、急いで進み出た。
「はい。」
渡は、言った。
「主のお陰で宮はこのようにどこへ出しても恥ずかしくない様になった。志心から、返す話が出たのだがの。」
美穂は、驚いた顔をした。
そうか、我はここに指南に来ているだけだったから…。
渡は、美穂が驚いているのに気付かず、続けた。
「だが、主も知っての通り我が宮にはまだ、内を回せる者が居らぬ。ゆえ、しばし待って欲しいと申し出た。我が誰か娶れば、主は解放されるゆえ、それまでしばし堪えて励んで欲しいのよ。」
誰か娶る…。
美穂は、あれだけ娶らぬと必死に抵抗していた渡から、そんな言葉が出てさらにショックを受けた。
だからこそ、滝が見合いの茶会の準備だというのにも、手を貸して励んでいたのだ。
滝が、それに気付かず上機嫌で頷いた。
「やっと王もその必要性にお気付きくださいましたか。王は、女神本神からここへ嫁ぎたいと言わねば娶らぬと仰るのですが、王は御存知ありませぬが、皆本当に王をお慕いしておりまして。お顔を見て直接にお会いになれば、それもお分かりになるだろうと、我ら茶会を計画致しましてございます。きっと、お決めになられるかと。」
そう、渡はこれで、若くなってからとても人気のある王なのだ。
本神が知らないだけだった。
渡は、また奥へと足を向けながら言った。
「慕う?よう知らぬのにか?そんなことがよう言えたの、全く。だが、まあ仕方がないわ。美穂を働かせ続けるわけにも行かぬしな。誰でも良いわ。」
そうして、さっさと奥へと引き揚げて行った。
美穂は、取り残されて、このままでは渡と永遠に離れて宮に帰り、他の誰かに嫁ぐ事になるのでは、と、それが堪らなくつらく思えて一人、涙を浮かべて立ち尽くしていた。
それから、渡の宮は茶会に向けて、渡自身がその開催を許したこともあり、ウキウキとした雰囲気で準備が進んでいた。
だが、それまでいろいろと指示をしてくれていた美穂が、最近は体調が悪いと部屋から出て来ることが少なくなってしまい、茶器など何を選べば良いのか、いまいち場が整わなくなって来ている。
滝は、さすがに女手がなくなって困り、渡に相談に行った。
「王、我はいまいち女神が何を好むのか、見合いの茶会というものがどういったものなら失礼がないのか、分かっておらぬのでございます。ですが、美穂様に於かれましては、あれからご体調を崩されておって、出て参られることがなく。治癒の神を送るのですが、治癒の神も、お心のお疲れが出たようだと、術では回復は望めないと申すし、どうしたら良いのでしょうか。」
渡は、顔をしかめた。
亜寿美も帰ってしまった今、確かにそんな女神の好む様子など、分かって采配するものが居ない。
その采配する者を置くために、今回茶会を開こうとしているわけなのだ。
「…務めが終わっておるのに帰れぬのが心に重くなったのやもしれぬ。」渡は、言った。「関の事と言い、あれには面倒を掛けっぱなしであったのだ。少し、我が話してみようぞ。」
滝は、ホッとして頭を下げた。
「はは。よろしくお願い申し上げます。早う美穂様に回復して戴かなければ、七日後に迫った茶会の席が、最上位にはあるまじき様になってしまうのではないかと案じられてなりませぬゆえ。」
渡は、うんざりしながらも、体調が悪いのは分かっているが、応接間へ出て参れと美穂に知らせを送ったのだった。
美穂は、あれ以来何もする気力も無くなってしまい、いけないと思いながらも宮の事は何も手がつかず、放置していた。
滝が、再三に渡って様子を窺って来ては、茶会の席の備品の相談などをして来ていたが、それも具合が悪いからと全て無視してしまっていた。
一向に具合が治らない美穂に、真紀子と奈美は案じていたが、美穂には分かっていた。
自分は、渡が他の女神を妃にするのが、つらくてならないのだ。
最初から、渡は女神の気持ちが分かる神なのだと知っていた。
綾に言われただけではなく、渡自身と話してみて、それが間違いのないことだと、自分自身で知ったことだった。
この三カ月の間、宮の中を改革するにも、渡が美穂のやりたいようにと臣下に指示してやらせてくれた。
お蔭で、自分は祖父から命じられたことを、短期間でやり切ることができたのだ。
その後も、奥や内の事を美穂に任せてくれて、嬉しかった。
皆の前で淑やかにと励むうちに、溜まる鬱積は渡が密かに聞いてくれた。
懸命に励む美穂に、渡はいろいろと労いの言葉をかけてくれて、着物や頚連などもわざわざ作らせて与えてくれた。
全ては、宮を維持することに役に立っている礼であるから気にするでないと渡は言っていたが、美穂は全てをとても大切に扱い、渡からもらったものは毎日ほど身に付けていた。
それが、自分が渡を慕うという気持ちから来ていることに、美穂はやっと気付いた。
思えば、ひと目惚れだったのかもしれない。
初めて見上げた時から、何と凛々しい王なのだろうと思ったのだ。
そんな王が、綾が言う通りにこちらをそれは気遣って、大切にしてくれた。
立ち合いでは、目が覚めるほどに素晴らしい動きを見せて、この宮をその手で最上位にまで押し上げた、優秀な王でもある。
美穂にとり、渡以上の男など、ハッキリ言って居ないとまで思っていたのだ。
渡は、自分に嫁ぎたいという女が居たら娶るやもしれぬ、と常言っていた。
茶会の席では、我も我もと渡に言い寄って、大変な事になるだろう。
渡は、その中から言っていた通り適当に選び、その一人を大切にして、生きて行くことになるのだろう。
複数の妃を、娶るつもりがないと言っていたからだ。
…我が申したら、渡様は受け入れてくださるのかしら。
美穂は、考えた。
自分が、はしたないので絶対に否と言われて育った、自分から言い寄るという行為を、頑張ってやったとして、渡が断ってしまったらどうしたら良いのだろうか。
それこそ、自分は立ち直れなくなるのではないか。
そう思うと、渡に言い出すこともできず、美穂は悶々と日々を過ごしていたのだ。
だが、こうしている間にも、茶会の日は近付いて来る。
滝のご機嫌伺いの頻度が上がって来たことでもそれが分かった。
…どうしたらいいの。
美穂は、部屋の中で項垂れた。
どうしたら、渡は自分を受け入れて、ここで生涯共に過ごしてくれようと思うのだろうか。
暗く沈んでいる美穂の下へ、真紀子が来て遠慮がちに言った。
「…美穂様。渡様が、体調が悪いのは分かっているが、応接間へ出て参れと…。お話があるそうでございます。」
渡様が…?
美穂は、顔を上げた。
最近、渡が忙しくて顔を見る暇もなかった。
あちらが話したいと言ってくれたのなら、今、話さねば次は茶会の後となって、もう手遅れになってしまうかもしれない。
美穂は、立ち上がった。
「…準備を。着替えます。着物をこれへ。」
真紀子は、美穂が何やら急に顔を上げてしっかりとした顔付きになったので、驚いた顔をしたが、頭を下げた。
「はい。すぐに。」
そうして、奈美を呼んで、二人で美穂が言うままに、美穂を綺麗にしっかりと着付けたのだった。




