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何が幸福か

亜寿美は、侍女と乳母に無理やりに着物を着せられて、父の仁弥の前に引き摺り出された。

涙に濡れて、崩れるように自分の前へと出て来た亜寿美に、渡の横に立っていた、仁弥は苦笑した。

「…亜寿美。ここはもう、主には何の関係もない宮ぞ。関は主を正式に離縁し、渡もそれを承諾して主を里へ返すことにした。ここ居座ることはできぬ。どうしてもと言うのなら、主はこちらで侍女にでもなるしかない。それも、渡が受け入れてくれたらの話であるがの。」

渡は、首を振った。

「侍女になど。一度は王妃であった女であるし、無理よ。もう一人の妃であった妙も、早々に己の里へと帰ったではないか。主も、観念して帰るが良い。ここはもう、主の宮ではないのだ。」

酷なようだったが、それが一番亜寿美にとっても良いのだ。

関の妻として臣下に下っても、侍女としてこちらの宮に残っても、皇女育ちで王の妃として過ごしていた亜寿美にとって、つらい事しかないだろう。

ならば、父王の下へと戻った方が、絶対に幸福なのだ。

「…関様が戻って来られぬなど…本当に戻って来られぬのですか?我を、捨てて行かれると?」

仁弥は、頷いた。

「文を見たのであろうが。渡が、直接関に聞きに参ってくれたのだぞ。だが、関はこれまでの全てを捨てて、新しい生を生きて行くと言うたそうな。主の事を言うても、それは変わらなかったらしい。仮に主が臣下の妻で良いと申しても、我が許さぬ。そんな低い地位の男に嫁がせるために、主を育てたのではない。ゆえ、主は戻らねばならぬのだ。まだ帰る場があるだけマシだと思うが良いぞ。もし我に何かあって悠仁が継いでおったら、戻りにくいところであったわ。」

亜寿美は、項垂れた。

関は、本当にもう、戻っては来ないのだ。

獅子の宮で、臣下として新しい生を生きていて、それを善しとしている。

渡が、言った。

「…短い間であったが、ご苦労であったな、亜寿美。だが、身に付いたものは無くなる事はない。ここで学んだこと、里の宮でも使えるだろうぞ。」

仁弥も、頷いた。

「今では亜美加もようなっておる。桂が戻っていろいろ皆に教えて回ったからの。今の主なら、あちらでも気後れすることはないだろうと渡が言うておるし、良かったのだ。さ、参ろう。否だと言うても、笹羅に担がせて縛ってでも連れて帰るぞ。渡に迷惑をかけるわけには行かぬ。」

渡は、迷惑などと、言いたいところだったが、亜寿美に変な期待を持たせてはならないので、黙っていた。

亜寿美は、軍神に縛られて戻るような、無様な様子を見せることはできないと、最後の力を振り絞って立ち上がって、言われるままに出発口へと歩いた。

仁弥は、そんな亜寿美の後ろ姿を気遣わし気に見つめると、渡を振り返って、言った。

「…ではの。きつい言い方になってしもうたが、帰ってから明日香も居るし何とかさせる。あやつも、母と過ごしておったらすぐに楽になるだろうて。」

渡は、頷いた。

「すまぬの。荷物はこちらでまとめて後から送る。亜寿美が悪いのではないだけに、誠に気の毒に思うわ。関があんなことをしでかさねば…後の祭りであるがの。」

仁弥は、苦笑した。

「もっと年老いてからであったら、我も居らぬしもっとつらいことになっておったわ。今で良かった。どうせこうなるのならの。気にするでない、渡。主、己が離縁されたような顔をしておるぞ。」

仁弥に言われて、渡は自分が確かに世の終わりのような顔をしていることに気付いた。

そして、慌てて表情を取り繕うと、言った。

「…誠に、女が不幸になるのを見るのはつらい。弱く、抵抗することもできぬのに。まして、友の娘とあってはな。」

仁弥は、渡の肩に手を置いた。

「良い。主が悪いのではない。ほんに昔から変わらぬのう、主は。那佐の記憶があると聞いて、少しは変わったかと思うたが、その憎めぬ様は同じぞ。また遊びに参るが良い。ではな。」

渡は頷いて、仁弥の背を見送った。

それにしても、神世が動く時はこれほどにあちこち変わるものかと、弱い者が犠牲になる事だけは避けたいと、渡は思っていた。


そうして、亜寿美は半ば強引に里へと迎え取られて、宮は何やら寂しくなった。

たった一人の王族の女神が居なくなり、今は預かり物の王族である美穂しか、女神は居ない。

なので、奥を回す神員が居なくなってしまったので、美穂が指南のついでにそれをこなして、何とか宮を回していた。

そんな事なので、滝が言った。

「王、誠に、もう妃をお迎えください。そうでなければ、美穂様がお帰りになった後はどうなさるおつもりですか。王お一人が宮の内のことまで取り仕切るのは、この規模の宮では無理でございまする。王のお考えは分かっておりますが、とにかくお一人でも良いので、妃をお迎えを。」

渡は、鬱陶しそうに手を振った。

「ああ、分かった分かった!我に懸想でもしてここへ絶対に来たいと女神本神が言う殊勝なヤツが居たら、それを娶るわ。父王が勝手に我にとか言うて来たところは、全部断れ。我は、己で決めて参った者しか娶らぬからの。」

滝は、顔をしかめた。

「そのような。王をお見初めしたとしても、誰も本神から言うて来たりは致しませぬ。はしたないという考えでありますので、必ず父王が申し入れて参りましょう。あり得ませぬ。」

渡は、こうなる事は分かっていたのだが、面倒過ぎて立ち上がった。

「うるさい!だったら我にはそやつは合わぬわ!我は全く我を見ておらぬ女を娶るなどせぬわ。寝覚めの悪い。我に言って来るほど嫁ぎたいのなら、簡単には帰らぬだろうからそやつにする。もう放って置いてくれ!」

滝は、そんな渡に追い縋った。

「王!お待ちを、でしたら絵姿を集めておきますので、こちらで宴でも催して!その中からお選びになれば良いではありませぬか?!王!」

だからこちらが選ぶなどせぬと申すに。

渡は、想像していた以上に臣下が煩いのに、頭が痛い心地だったのだった。


水無月の会合は、そんな最中に行われた。

渡は、やっと臣下から離れられるとホッとしながら龍の宮へと向かったが、そこでは全員がピリピリとしていて、ここもこんな感じかと顔をしかめる。

すると、渡が到着したことに気付いた、峡が近付いて来て、言った。

「渡。知っておるか、最上位の王達が、本日新しい序列の発表をすると申しておるのを。」

渡は、その事か、と頷いた。

「ああ、知っておる。それがどうしたのだ?どうせもう、決まっておるではないか。今さら足掻いても何も変わらぬ。」

隣りの快都が言った。

「主はそうだろうの、二番目の翠明殿ですら下したのだからの。我らは必死ぞ。どうなるのかと怯えておるわ。」

渡は、笑った。

「大丈夫よ。主とてそこそこ励んでおったではないか。それとも、序列を上げたいと思うておったのか?現状維持が一番だと言うておったのではないのか。」

峡は、頷いた。

「そうであるが…それが危ういやもしれぬから言うておるのではないか。」

すると、向こう側から旗清(きせい)が叫んだ。

「峡!渡!会議場に序列が張り出されてある!その順に座れと指示されてあるのだ!」

「ええ?!」

その声が聴こえる場所に居た、全ての王がそちらを見た。

そして、我先にと急いで会議場の方へと走って行く。

峡も、じっとしていられぬようで、速足で歩き出した。

「渡!主が安穏と考えておるのは分かっておるが、とにかく行くぞ!」

渡は、そんなに必死になる事かと顔をしかめたが、皆があまりにも急いで走って行くのに押されて流されて、自分も会議場の前へと向かって行ったのだった。

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