獅子の宮で
駿は、先触れを受けて関を自分の居間へと呼んだ。
書の内容によると、渡は関と話がしたいようだったからだ。
最初は面倒だと思っていた関も、今では臣下として真面目に努めていて、帥斗も関が居て助かっていると絶賛しているし、宮の改革の話なども、関となら進むのだと嬉し気にしていた。
いったい、何をしてこんなことにと声を潜めて聞くので、龍王妃と茶会を開いておった女に懸想して、茶会の最中に声を掛けたりしたので、反感を買ってこんなことになった、と伝えた。
嘘ではないので、スラスラと答えられたのだが、帥斗はそんな事でと思うところだが、龍王妃の勘気を被ったなら追放にもなるのだろうと納得していた。
そして、それが関には悪いが、こちらの宮には幸運だったと喜んでいた。
駿も、騮ですら関が来て、あれこれ宮の奥の事に携わらなくても良くなったので、格段に楽になってむしろ良かったと思っていた。
関は、何かあったら詳細に報告書を作って居間に置いておいてくれるので、時が空いた時にそれを読むだけで良い。
一々報告に来て話されるよりも、そうやって置いておいてくれる方が、王や皇子からしたら助かるのだ。
それが分かるのも、元が王であり皇子であるからなのだが、そのかゆい所に手が届く対応が、心地良くて関を臣下としてこのままずっと置いても良いのではないか、いっそそうして欲しいとまで思わせていた。
だが、渡がこうして来るということは、関を連れ帰ろうとしている可能性はある。
関も、臣下で居るより皇子に戻った方が良いと思っているだろうし、せっかく楽になったのにと、少し残念な気持ちだった。
関が、呼び出しに応じて居間へと入って来て、膝をついた。
「王。お呼びでしょうか。」
駿は、頷いた。
「主は誠にようやってくれておるわ。帥斗も感心しておって、毎日助かると申しておる。我とて騮ですら主には助かっておるのよ。だが、今から那佐がこちらへ来ると申しておって。主を呼んで置いて欲しいと申しての。」
関は、驚いた顔をした。
今頃、父がなんだろう。
「…とっくに絶縁した父であるので。今さらに我と関わるのは、あちらも良しとはしないのでは。」
駿は、息をついた。
「だが、那佐の話も聞いた方が良い。こちらへ引き受けた以上、主の事は我が面倒を見るつもりであるが、しかしながら父王が会いたいと申すのに、拒むことはできまいが。そこで、待っておるが良い。もう参る。」
関は、今更父に会いたくはなかったが、今は駿の臣下で王の駿がそう言うのだから、従うしかない。
なので、頭を下げた。
「は。ではそのように。」
そうして、関はそのままそこに膝をついて、待っていた。
そこへ、渡が帥斗に連れられて、入って来た。
「駿。」と、駿を見て会釈をし、その隣りに膝をつく関を見た。「…少し、話がしたいと思うての。」
駿は、頷いた。
「では、関はここに。他は去れ。」
帥斗は、少し案じるような視線を関へと向けたが、何も言わずに頭を下げて、出て行った。
控えていた侍女達も、サラサラという衣擦れの音を立てて、去って行くのが聴こえる。
それを待ってから、駿は続けた。
「…それで?本日は何を話しに参ったのよ。」
渡は、頷いた。
「関に、今の心地を聞こうと思うてな。」と、関を見た。「関。我が主を絶縁したのは、主に覚悟を持たせて成長させ、改心させようと思うたから。駿にもそう言って、一時的にと預けておった。だが、主はようやっておるそうだの。なので、今主に聞きたい。主は、宮へ戻りたいか。」
やはりそれか。
駿が思って聞いていると、関が渡を見上げて、言った。
「…父上には意外に思われるやもしれませぬが、我はもう、皇子には戻りとうありませぬ。」駿が驚いた顔をするのに、渡は特に驚いた風でもない。関は続けた。「ここでは、皆我を役立たずなどと陰口を叩かず、例え分からぬことがあっても皆で共に考えて、補い合う事で過ごしておりまする。しっかり与えられた務めを果たしておったら、誰にも責められることも無く、助かったと喜んでくれる。王であっても皇子であっても、それを当然と誰も感謝すらしない地位に居るより、我はこちらの方が、遥かに幸福に生きておるのです。ゆえ、駿様さえ許してくださるのなら、このままここで、駿様にお仕えして生きて行きとうございます。」
やはりか。
渡は、息をついた。
「…そうか。主が亜寿美へ返した文が、本日宮に届いての。亜寿美が倒れたゆえ、それが発覚した。主が書いておることを見て、一度しっかり話して来た方が良いと思うて宮を出て参ったのよ。主は、亜寿美に里へ帰れと申したの。皇子の快は、我に面倒を見てもらえと。確かに孫の面倒は見るが、あれに我の跡は継げぬ。気が違い過ぎるゆえな。それでも、主は戻らぬか。」
関は、首を振った。
「戻る理由がありませぬ。今の父上の跡と申すなら、我であっても無理でありましょう。快のこと、よろしくお願い致します。我の所へ来たとしても、あれは臣下の息子でしかなくなりまする。どうか、父上には新しい妃をお迎えになり、皇子をお産みください。我は居なかったものと思うてくだされば。」
全てを捨てて、ここへ来るのか。
駿は、それを聞いて思っていたが、よく考えたら関はこれを一時的なものとは思っていなかったので、最初に話した時に、もうその覚悟ができていたのだろう。
それが、思ったより性に合っていたので、楽しく過ごして今、帰るかと聞かれても、帰らないと答えるしかなかったのだ。
渡は、ため息をついて、重々しく頷いた。
「…仕方がない。主の幸福が一番だと我は思うておる。確かに、皇子としては振るわなかった主が、ここでは重宝されておるのだろう。仲間も出来て、これよりはない。」と、駿を見た。「駿。主には面倒を掛けるが、これを終生主の臣下としてここへ置いてくれるか。」
駿は、頷いた。
「もとよりこれは、役に立っておるから。今さら居らぬようになったら、また不便だなと思うておったところ。騮とて喜ぶだろう。思うたより、これは臣下としてようやっておるのだ。帥斗も、なのでこれを次席にしたいと言うておるぐらいぞ。ここへ置くなら、案じるでない。」
渡は、頷いた。
「…ならば、それで。」と、関を見た。「関、主はこれより正式に未来永劫我の子ではなくなる。亜寿美は、なので里へ帰そう。仁弥も、主が追放となったなら仕方がないと受け入れようし。懸命に励んでおったので、哀れではあるが…あれはまだ若いし、動きも上品になった。恐らく、また良い縁もあるであろう。」
関は、膝をついたまま、頭を下げた。
「は。父上には、心より感謝致しまする。次にお会いした時には、王と別の宮の臣下として接しさせていただきます。これまで誠に、ありがとうございました。」
渡は、また頷いた。
そして、駿を見た。
「駿。では、我は帰る。やらねばならぬ事が増えたのよ。亜寿美を説得せねばならぬしの…このまま、仁弥の宮へでも行って、相談してから帰るわ。」
駿は、頷いた。
「そうか。関の事は案ずるな。ここで我の臣下として仕えさせて、面倒を見るゆえ。後は…主、頭が痛いだろうが、分かっておるの?」
渡は、立ち上がりながら面倒そうに言った。
「妃であろう?分かっておるわ。ま、我に懸想でもして来る女が居たら、適当に娶る事にする。こちらからは言うまい。面倒だからの。」
渡は、最後にチラと関を見てから、クルリと踵を返して、そこを出て行った。
関は、その背にいつまでも深々と頭を下げて、かつての父を送ったのだった。




