密かに
関が居なくなった渡の宮では、美穂が一生懸命亜寿美と臣下を躾け、宮の雰囲気は格段に良くなって行った。
関が、獅子の宮へと送られた事だけでもショックを受けていた亜寿美だったが、その後で渡が宮へと戻って来た時に、関の事は絶縁したと聞かされて、気が遠くなって倒れた。
それから、寝込む勢いだった亜寿美だったが、渡が亜寿美を仁弥へ返すとは言わなかったので、まだ希望を持って何とか自分が励むことで関を許してもらい、こちらへ帰してもらおうと考えた。
寝込んでいる場合ではないと思ったのだ。
美穂も、関はあんな男だったが、それを夫と慕って健気に励んでいる亜寿美のためにと、毎日付きっきりで亜寿美の指南を続けていた。
それこそ、立ち方から歩き方、扇で仰ぐ時の動きまで逐一きっちりと、子育てのように細かく教え込み、亜寿美はそれを必死に覚えるので、めきめきと上位の妃の品格を身に付けていた。
同じように、侍女や侍従の動きも一からせっせと指導し、習得した者達に他のもの達を教えさせ、期間内にできない者は一度宮の務めから外して、できるようになってからまた上げるという徹底ぶりだ。
そうやって、宮の奥や内の事は美穂に任せておけるので、渡は渡で、関の代になってからそのやり方に変わっていた宮の中を、自分がやりやすいように変える事に邁進できたので、とても助かっていた。
なので、渡の宮は今のところ、とても順調に動いていた。
一方関は、獅子の宮で重臣筆頭の帥斗と共に、その執務室でコツコツと言われた書をまとめて、帥斗の仕事を手伝っていた。
こうして何もかも捨てて誰かに仕える立場になってみると、何とも気楽で落ち着いて来る。
与えられた執務をしっかりとこなして、時に気が付いたことを処理しておくだけで、格段に回りの評価が変わった。
王や皇子の頃は、できて当然だった全ての事が、ここでは褒められて有難がられる。
役に立ち始めると、回りの者達は皆、よくしてくれて、親し気に話しかけて来てはいろいろ生活に慣れるための事を親切に教えてくれた。
文官でも訓練場へと行くと言っていた駿の言葉に偽りはなく、皆当然のように訓練場の、文官専用の時間に誘い合って甲冑を着て向かう。
関も誘われて行ったが、軍神達と立ち合っていた関は、王達の中では下っ端でも、ここでは格段に手練れのように扱われて、指南を指南をと重宝がられた。
なので、関は最初からは思ってもいないほど、獅子の宮で居心地良く臣下としての生活を満喫していたのだ。
頼まれた書を終えて、ホッと顔を上げると、帥斗がそれに気付いて顔を上げて、微笑んだ。
「関、もう終わったのか?」
関は頷いて、文箱に収めた書類の数々を帥斗へと差し出した。
「はい。帥斗様には、面倒を抱えておられますか。」
ずっと、同じ書を眺めて眉を寄せているからだ。
帥斗は、ため息をついた。
「そうなのだ。職人が多いゆえ、物資には困っておらぬがその質がのう。龍の宮の職人が、多いだけでなくどんどんと技術を伸ばして参るゆえ、なかなかに神世でそちらの分野では名を馳せる事もできぬで。序列再編は、最上位には関係ないと王は仰るが、我としてはならば今のうちに、少しでも追いついておかねばと悩んでおってな。」
関は、書に視線をやった。
「…拝見しても?」
帥斗は、頷いた。
「ああ。」
渡された書には、こちらで生み出されている多くの品の目録と、その神世での評価などが書かれてあった。
こうして見ると、いろいろと良い物を生み出しては居るが、確かに質はそう良くない物も多くある。
関の居た宮の方が、まだ良い品を生み出していた事もあった。
関は特にそういった物に関しては、質云々と言わない方だったが、それは渡の代で大きな改革をしていたからだ。
渡は、自分が戦いばかりで楽しく勝手に生きているので、せめて宮に残される初が鬱積を溜めないためにも、より良いものを生み出す努力をせよと、あちこちの宮へと鍛錬に出した。
そのお蔭で、関の代が始まる頃には、宮の物資の質は格段に上がって安定していたのだ。
それを思い出して、関は言った。
「…こうして見ると、家具などの類いはこちらの物でも龍の宮で評価は高いようでありますな。特に石工は良い腕のようです。」
帥斗は、頷く。
「力の要る作業は、皆得意でな。」
関は、頷いた。
「ですが、織物もですが、力の加減がまだ、いまいちわかっておらぬようで。目が詰まり過ぎて重いようですが、これが良くなれば、織物は糸の種類も評価は良いので、改善するでしょう。後は、陶芸の分野も細かい細工は苦手なようで。これは、職人の性質にもよるのですよ。」
帥斗は、興味を持ったようだった。
「ほう。それはどういったことだ?」
関は、遠く昔、宮で父王がやっていた改革を思い出した。
「…繊細な作業には、向き不向きがございます。我が居りました宮でも、そこのところを考えて、担当部署を思い切って変えさせ、それで成功した例がありました。同じ石工でも、多くの石を切り出して来て分割する者、それを大まかに形作る者、細かい細工を施す者と分けることでもっと良くなると思います。同じように、織りの者も…龍の宮には、織りに限っては女の職人も居ると聞いておりまする。いっそ侍女達からでも、募ってみて育ててみても良いやもしれませぬ。」
帥斗は、ふーむと顎に触れた。
「確かに。今すぐ質を改善するのは難しいが、そうやって見込みのあるだろう者を試しに育ててみる時を掛けてやれば、成功するやもな。」と、書を閉じた。「よし!改善点が見えて来たし、本日はもう寝るわ。それにしても主、役に立つのう。主のようなヤツが、いったい何をしでかして宮を追い出されたのだ。その宮は困っておろうに。」
関は、苦笑した。
「…我など。もっと優秀な者達がたくさん居りましたゆえ、もう我のことなど忘れておるでしょうに。今は、拾ってくださった駿様の御為に、励むばかりでございます。」
帥斗は、微笑んで頷いた。
「我としては誠に幸運なことぞ。主のお蔭でいろいろ進む。本日は、もう部屋へ帰って休むが良いぞ。」
関は、頭を下げた。
「はい。では失礼致します。」
本当に、これぐらいの事で喜んでもらえるのなら、いくらでも励むものよ。
関はそう思って、宿舎の部屋へと戻って行ったのだった。
宿舎の部屋へと戻ると、隣りの部屋の淳がそっとやって来て、言った。
「…関。留守の時に、文が来ておったぞ。」
関は、片方の眉を上げて見せた。
「何と申した?我に文と?」
淳は、頷いて封がかけられた結び目のある、紙を差し出した。
「これ。仁弥様の宮の軍神が、うちの侍女に頼んだらしゅうて。もしや、だが、主は仁弥様の宮を追い出されたのか?」
仁弥は、亜寿美の父だ。
関は、首を振った。
「いいや。だが、我の妻だった女がそこの宮の出身で。」
そうか、亜寿美はもしや里へ帰されて。
関は、悪かった、と思った。
亜寿美はあんなに励んでいたのに、関が追放になったばかりに、里へと帰されてしまったのだろう。
淳は、ああ、と頷いた。
「そうか。ならばもしや、里へ帰ったその女からではないか?追放とて、妻も共ではならなかったのか?厳しいことよ。」
関は、ため息をついた。
「そんな余裕もなく、出て来てしまったので。駿様に拾って頂けなければはぐれの神になるところであった。妻には悪い事をしてしまった。」と、その文を受け取った。「すまぬな、淳。受け取っておいてくれて感謝する。だが、返事をする術もないわ。」
だが、それには淳は胸を張って言った。
「何を言うのだ。我はの、外への文遣いを主にしておるから、こういった密かな文もその気になれば送ることはできるぞ。案ずるな、返事は我が届けてやろうほどに。」
文遣いは、下位の臣下の役目。
だが、淳はそれに誇りを持っているようだ。
関は、微笑んだ。
「すまぬ。誠に助かるわ。主は優秀な男よの。」
淳は、驚いたような顔をしたが、顔を赤くした。
「そんな…気にすることはない。いつでも言うてくれ。」
そうして、褒められ慣れていないのか、そそくさと部屋へと戻って行った。
関は、それを見送ってから部屋へと入り、文を開いて中を見た。
それは、思った通り亜寿美からの文だった。




