妃達
一方、隣りでは維月は困っていた。
どうやら維心が命じたらしく、維心の侍女までが茶会の席の壁際に並んで立ち、鵬が膝をついて控えていて、いつもより仰々しい様になっていたのだ。
維月の侍女達も戸惑っていたが、維心の侍女達と共に茶を給仕するのでいつもより格段に速い速度で皆の前に茶も菓子が並んだ。
ホッと息をつけるはずが、いつものメンバーでさえ扇を下げようとはしない。
とりあえず、維心の侍女の圧が半端ないのだ。
王の御為に、王妃を守ると思っていたわけだから、それはそうなるだろう。
維月は、黙っている皆を見回した。
亜寿美はあちらで困った様ではあったが、こうしていると黙ってこちらの言葉を待っているようなので、確かに最低限の礼儀は弁えているようで、ホッとした。
維月は、では定石通りにと、まずは漸の妃である瑞花を見た。
「瑞花様。あれから軍はどうですか?」
瑞花は、目で微笑んで扇を高く上げたまま答えた。
「はい、龍王妃様。多香子ももう退役かと申しておりましたのに、あれから己も精進してやる気になっておるようで。誠に良いことでありました。」
維月は、微笑み返した。
「それは良かったこと。」と、椿を見た。「椿様。箔炎様には如月の立ち合いの前にと最近は共に訓練場に立たれる事も多いのだとか。腕を上げられましたか?」
椿は、嬉しそうに微笑んだ。
「はい、維月様。王は、我にもご指南くださって。大変に楽しい時を過ごしておりますの。王に於かれましては、それどころではないのだがとお笑いになりますけれど。」
確かにそれどころではないのかもしれない。
維月も笑って、綾を見た。
「綾様。まあ、本日はまた我のお贈りした着物をお召しになってくださいましたの?」
綾は、フフと笑った。
「内では奥に大切に保管しておって、決して手を通さぬので。とても気に入っておりますから。」
維月は、フフと同じように笑った。
「ならば、またお贈りせねばなりませぬわね。」と、楢を見た。「楢様。お子は落ち着かれましたか。前の集まりの時には、お子がお生まれになったばかりでありましたから、お会いできませんでしたわ。」
楢は、頭を下げた。
「はい、維月様。まだ幼いので、此度もどうかと思いましたけれど、幸い良い乳母をつけてくださっておるので。任せて参りましたの。」
維月は頷いた。
「お会いしたいこと。幼い子は場を明るく致しますものね。」と、桜を見た。「桜様。公青殿は大きくお育ちのようですが、子育ての事で楢様とお話しが弾むのではありませぬか。」
桜は、苦笑した。
「はい。ですが公青はとにかくやんちゃな子で。もしかしたら参考にならぬやもしれませぬ。」
確かに公明と桜の子である公青と名付けられた皇子は、かなり利口なのだがそれゆえに、言う事を聞かずあちこちフラフラと出て行って大騒ぎになるのだと噂を聞いている。
維月は、フフフと笑った。
「何やらお祖父様の公青様を思わせる様子であるとお噂には聞いておりますわ。」
そして、いよいよ最後だと亜寿美を見た。
「亜寿美様。初めてお目に掛かりますわね。いきなりにお呼びして関様には申し訳なかったことですわ。」
少なくとも、ここまでは黙って待っていられた良識の持ち主なのだから、大丈夫だろうと維月はそう言った。
亜寿美は、頭を下げて答えた。
「龍王妃様。初めてお目に掛かります。こうしてお招きいただくことができるなんてと、我は大層嬉しくて。王は最初、連れて行かぬと申されておったのですけれど、渡様が皆様いらしておるからと、同行させてくださいましたの。」
そうなのか。
ますます不安だったが、しかし上から二番目の妃で、もう三百を越えていると聞いている。
あまりこちらが構えてはと、維月は頷いて皆を見回した。
「本日は、毎年恒例となりましたお正月の集まりで、また再会できましたことを嬉しく思うております。天音様、三奈様、佐江様にお会いできなかったのは残念ではありますが、本日は関様の妃でいらっしゃる亜寿美様がお越しになられました。楽しく過ごして参りましょう。」と、茶器を持ち上げた。「皆様、お召し上がりになって。」
維月は、茶碗に口をつけた。
そして、皆が同じように茶碗を手にするのを見てから、茶碗を置いて目の前のケーキに楊枝を刺した。
こうしてあちこち先に口をつけて行かないと、皆がいつまで経っても食べられないからだ。
「本日は、パウンドケーキを作らせましたの。楽しんでいただけたら嬉しいですわ。」
和三盆をふんだんに使ったものだ。
維月はこれの、優しい甘さが好きだった。
亜寿美も、回りを気にしながら皆が手をつけるのを待ってから、菓子を手にしている。
…ちゃんと頑張っていらっしゃる。
維月は、その様子にホッとしていた。
亜寿美は、拙いながらも精一杯回りを見て、それを真似て頑張っているのだ。
維心や炎嘉の気の変化から、良く思っていないのは気取れていたが、こんなに頑張っているんだから、そこまで気にする必要はないと維月は思った。
相変わらずガチガチに維心と維月の侍女達が、壁際にズラリと並んで鵬まで控えていて、雰囲気は最悪だったが、とにかく掴みは何とかオッケーだった。
綾が、言った。
「…相変わらず良いお味ですこと。」と、亜寿美を見た。「亜寿美様も。いかがですか?」
亜寿美は、一心不乱に口にケーキを運んでいたが、頷いた。
「こんなに良いお味のものは食した事がございませぬ。誠に龍の宮には、珍しい物がありますのね。」
綾の顔を見る余裕もないらしい。
手を忙しなく動かしながらそう言った。
綾は少し、眉を寄せたが頷いた。
「そうでしょう。我も毎回とても楽しみにしているのですよ。」
手を止めないのもだが、顔を見ずに答える無礼さに驚いたらしかったが、綾はそう言った。
…困ったわね。
維月は、思った。
ここで、妃だけなら維月が教えてあげて、細かい所を直してやるのだが、何しろ鵬まで居てそれができない。
王妃様がご気分を悪くなさって窘められた、とか報告するだろうからだ。
ここは維月以外の誰かが言って欲しいのだが、妃達は出すぎた事はしないように躾られているので、維月が黙っていたら、基本黙っている。
天音が居たら言ったかも知れない…歳上で、黙っていられない性格だからだ。
これが、維月に対する無礼であったら、妃達も黙ってはいないが、今は妃達どころか鵬が黙っていないだろう。
維月は、食事中に下手に話し掛けて、同じ事があってはと、口を開けずにいた。
静かなので、椿は気を遣って言った。
「…あの…亜寿美様は、宮ではどのような遊びを?我らは、王の御前で合奏などするのですけれど。」
亜寿美は、ケーキをいち早く食べ終えて、ホッと茶を口にしているところだったので、椿を見た。
「はい、我は合奏は…まだ父の宮に居た頃、少し琴を習いました。ですが、王があまり楽は嗜まれないので、今は王がお忙しい時に、奥で一人で香を合わせておりまする。今回も、正月用に合わせた香を、王に利いて頂こうとしておりましたところでした。」
香合わせができるのだ。
案外に話が通じるかもと、維月は言った。
「まあ。よろしいご趣味でありますこと。我らも香は持ち寄ってよく香合わせなどを致しますのよ。」
綾が、頷いた。
「はい。維月様の梅香の艶やかさは、誠に秀逸で。」
亜寿美は、目を輝かせた。
「是非に御指南いただきたいですわ。」と、綾を見て、驚いた顔をした。「まあ!なんと…綾様はなんとお美しいこと。」
え、と綾はベールの中で思わず扇を上げた。
今まで気付いていなかったのか。
というか、直球過ぎてなんと答えたら良いのか、さすがの綾も言葉に詰まった。
維月が、急いで言った。
「それは綾様は、鷲の王族の血筋であられますし、高貴なお顔立ちで見ていてこちらまで華やかな心地になりますわね。」
亜寿美は、まだまじまじと綾を見つめている。
さすがに注意しなければならないかと思ったが、恐らく素直に綾の美しさを鑑賞しているのだろう亜寿美に、維月が口を出すことで起こる大騒ぎを思うと言えずにいると、椿が、言った。
「…亜寿美様。」亜寿美は、椿の強い声音にハッと椿を見る。椿は続けた。「なりませぬ。友の集まりとはいえ、龍の臣下も多く揃う場で、そのように遠慮なく誰かを見つめるのは、大変に失礼に当たるのですよ。先程は申しませんでしたが、話し掛けられておるのに手を止めぬ上、相手のお顔も見ないのは無礼であるのです。龍王妃様が咎められぬので、黙っておりましたが、綾様は関様と同じ二番目の王の妃とはいえ、翠明様には二番目一位の宮の王。数々のご無礼に、黙っておられるお気遣いに感謝するべきではありませぬか。」
亜寿美は、ショックを受けた顔をした。
恐らく、宮では咎められない事なので、まさか無礼だとは思ってもいなかったのだろう。
何も言わないが、侍女達も鵬も、何やら不穏な空気を醸し出している。
維月は、言った。
「…椿様、そこまでで。」と、皆を見回した。「皆様、亜寿美様はこのような場は初めてであられるようで。きっと、素直に綾様のお美しさに感嘆なさっておったのでしょう。先程も、ケーキを初めて食されて感動のあまり我を忘れておられたのでしょうし。確かに綾様には驚かれたかと思いますが、ご理解なさろうと寛大な心で黙っておられたのです。ここは、我らでお教え致しましょう。何事も、お互いに知らぬ事は教え合って助け合わねば。王達は、そうやって協力なさっておいでです。我らも、同じ気持ちで励みましょう。」
綾も、気を取り直して頷いた。
「維月様がおっしゃる通りですわ。同じ妃同士で、御指南などおこがましいかと思うて黙っておりましたが、ここは助け合い。亜寿美様には、我らがお教え致しましょう。」
亜寿美は、目に涙を浮かべていたが、立ち上がって膝をついて頭を下げた。
「申し訳ございませぬ。誠に我は、何も知らずで…。綾様には、知らずに大変なご無礼を。」
綾が、慌てて亜寿美の腕を掴んで立ち上がらせた。
「そのような!お立ちくださいませ。そこまでせずとも良いのです。では、お教え致しますから。よろしいですね?」
亜寿美は、涙を流しながら頷いた。
「はい。よろしく御指南をお願いいたします。」
維月は、言った。
「お座りになって。」と、亜寿美が座るのを待って、続けた。「親しき仲にもと申します。我ら、友でありますから、少々のことは目を瞑りますけれど、これから公の場で亜寿美様が恥をおかきになられないためにも、共に学んで参りましょう。」
亜寿美は頷いたが、ふと見ると鵬が居ない。
恐らく、今の出来事を維心に報告に行ったのだと思われた。
維月は、頭の痛いことにまた、隣りへ戻ると面倒だなと、うんざりしていたのだった。