美しい女神
渡は、王の居間へと戻って息をついた。
若い娘をどう扱ったら良いのか分からなかったが、あれなら見た目は全く似ていないが、中身が初と似たところがあるので、何とかなりそうだと思って安堵していた。
それより問題は、美穂があまりにも美しい事だった。
あちこち美しい女神を目にする機会のある渡でも、一瞬息を飲んだほど美しい。
しかも、若く世間知らずなのがにじみ出ている、あの関が手を差し出した時の反応だ。
普通、慣れた女なら、いきなり初対面の男に手を差し出されて、どうしようと迷うより先に、ツンと横を向いて相手にしないものなのだ。
それが、迷うということはそんな事がこれまで無かったということで、全く耐性が無いということなので、渡としたら慌てた。
預かり物の皇女を、皇子が手を付けましたとは、口が裂けても言えない。
関も、確かに我を忘れるほど美しい皇女ではあったが、立場も弁えずさっさと手籠めにしようと考えたのか、皆の面前で手を差し出すとは何と言うことか。
渡は、そう思ったのだ。
そこらの侍女に手を出すのとは、ワケが違うのだ。
ここは言っておかねばと、渡が悶々としながら椅子に座って待っていると、関がやって来て、頭を下げた。
「父上。お呼びでしょうか。」
渡は、頷いた。
「座れ。」と、前の席へと誘導してから、続けた。「関。主、美穂には手を出すなよ。いきなり手を取ろうとするとは何としたことぞ。未婚の皇女であるぞ?しかも初対面で、見合いの席でもあるまいに。」
関は、むっつりと渡を見た。
「あれは、父上が宮を案内するのを嫌がっておられたからでありまする。そうでなければ、我は手を差し出したりしませなんだ。」
渡は、関を睨んだ。
「亜寿美を残してか?」関は、黙り込む。渡は続けた。「それなら亜寿美も共に参るのが普通であろうが。現に、亜寿美は主が行くなら己もと慌てておった。それを残れと?臣下も皆、あの瞬間主が美穂を狙っておると分かったはずよ。いい加減にせぬか。何も知らぬ皇女を手籠めにしようとするでない。ま、我が気を付けるように申しておいたゆえ、もう主の思うようにはならぬわ。あくまでも、預かりものであり、こちらの宮の指南をしに参った皇女ぞ。傷物にするために、こちらへ参ったのではないぞ。立場を弁えよ。」
関は、言った。
「ですが父上、父上はこの宮を、数か月教えられたぐらいで品良く回るようになるとお思いですか?やはり、最上位の王達が言うておった通り、妃としてこちらへ入ってもらった方が、恒久的に宮が回るのですよ。父上は娶るおつもりが無いのですから、我が娶った方が良いのでは思うたのです。宮のためを思うたら、その方が良いのではないですか。」
渡は、首を振った。
「美穂が夢のように美しい女であったからか?」関が険しい顔をするのに、渡は続けた。「関、美穂は志心と翠明の孫ぞ。主、今の己れであれらに認めてもらえると思うか。我に王座へ戻れと申して、修行中の身とか申して正月からこれまで、どこまで伸びた。誠に娶りたいのなら、隠れてかすめ取るような姑息な真似をせずに、面と向かって翠明と志心にそう申してみよ。申せるならな。」
関は、唇を噛んだ。
確かに、今の自分がそんなことを言って、志心や翠明が良い顔をするとは思えない。
逆に、関がそんなことを言っている宮に置いておけないと、早々に美穂を迎え取ってしまうだろう。
渡は、ため息をついた。
「…我も、勝手なことをした主を庇う事はせぬぞ。主のために頭を下げるなどご免よ。つまり、あれらが宮の責任を問うて来たら、我は主を迷わず斬る。」関がびっくりした顔をすると、渡は続けた。「当然であろうが。序列再編の時であるのだぞ。滅多なことをするでない。我は主を斬りとうないからの。分かったな。」
関は、そこまで言われてしまったからには、どうしようもなく、項垂れた。
「…は。ですが、美穂が我に嫁ぎたいと申したら良いのですな?」
渡は、呆れたように言った。
「美穂がそう申したら、志心と翠明に美穂から文を書かせるわ。それを持って、我があれらに問いに参る。あくまでも、手順を踏むのが条件ぞ。そうせぬと、美穂が無理やりに手籠めにされたとあちらは思うやもしれぬだろうが。そうなった時、宮と宮の関係が悪うなる事を考えよ。亜寿美が正月からこっちあれほど励んでおるのに、全く主は。新しい女が美しかったらそっちか。誠に勝手なことよ。」
確かにそうだが、美穂の美しさは強烈過ぎた。
それを、最上位の王達がこの宮へと嫁がせたらと言っていたのも聞いている。
それを、渡が一刀両断していたのも。
手が届くと思ったら、欲しいと思うのは性ではないのか。
関は思ったが、確かに渡にと言っていたのであって、関にと言っていたのではない。
今の渡は、若い上に確かに那佐の記憶もあって優秀で、落ち着いていて関が逆立ちしても敵わなかった。
関は、苦々しい思いで渡に頭を下げて、王の居間を出て行ったのだった。
渡の宮では、礼儀より困った事になりそうな様子であったが、とりあえず美穂は宮へと入って、宮の改革が始まることになった。
亜寿美と美穂は、あれから二人で茶会を開いて、仲良くなったようだ。
美穂の品の良い様は、亜寿美も憧れるようで、年下ではあったが素直に教師として、話を聞いているらしい。
義理の祖母となる綾と、叔母の椿が、正月に優しく亜寿美を教えたのだと聞いて、美穂は綾に感謝した。
そのお蔭で、亜寿美が最初からとても好意的であったからだ。
だが、亜寿美と共に茶を楽しみながら話していると、必ずと言って良いほど関がやって来て、会話に入って来ようとするのには困っていた。
渡はいつ聞いても訓練場に居ると言っていて、ならば関は行かないのかと聞いたら、王の立ち合いには皇子は出ないので急ぐ必要はないと言う。
とはいえ、会合のすぐ後にその、王の立ち合いがあると聞いているし、邪魔をしてはとこの事を、美穂は渡に言えずにいた。
如月の会合の直前に宮へと来た美穂だったので、三日も我慢すれば済んだ。
なので、美穂はその会合の日まで、渡に何も言わなかった。
明日は会合だというその日、渡がフラッと美穂の部屋の外の、庭へと来て、外から来い来いと手で呼ぶのが見えた。
…渡様?!
驚いた美穂は、急いで窓を開いて、外へと出た。
「渡様?どうなさいましたか、もう夕刻でありますけど。明日は、会合であるのでしょう?」
渡は、頷いた。
「そうだが、よう考えたら主を放りっぱなしだったなと思い当たって。明日から龍の宮へと行くと、我はこちらを立ち合いの会も含めて四日留守にすることになるゆえな。我が居らぬ間に何かあってはならぬので、三日経ったが今の時点で何か不安はないか聞いておこうかと思うたのだ。毎日亜寿美と茶を飲みながら、話しておるようだが、どうよ?」
美穂は、答えた。
「はい、亜寿美様はとても素直なおかた。我が教師であるのでと茶会の席での礼儀をお教えするのも、真面目に聞かれて次の時にはきちんと直しておられます。宮のことも、滝と芳と話し合ってどう改革するのか考えておりますところです。」
渡は、ホッと肩の力を抜いた。
「そうか。ならば良いかの。まあ、ゆっくりやったら良いからの。急ぐ必要はない。ではの。」
さっさと帰ろうとする渡に、慌てて美穂はその袖を掴んだ。
「あ!お待ちくださいませ!」
渡は、いきなり袖を掴まれたので横へとつんのめった。
「なにっ?何ぞ?!」
びっくりして体勢を立て直して美穂を振り返ると、美穂は必死の表情で言った。
「あの、申し上げたいことがありますの!」
渡は、急いで頷いた。
「分かった!分かったゆえ、袖を離さぬか。臣下が見たら面倒な事になるゆえ!」
美穂は、ハッとして慌てて手を離した。
「申し訳ありませぬ。」
渡は、ハアとため息をついて、言った。
「それで、何ぞ?もう鬱憤が溜まったのか。」
美穂は、首を振った。
「そうではありませぬ。あの、関様のことで。」
渡は、眉を寄せた。
「…まさかあれが、言い寄っておるのではないだろうの。釘を刺しておいたのだが。」
言っておいてくださったのか。
美穂は思ったが、言った。
「あの、あからさまに何か申されるわけではありませぬ。ですが、渡様が訓練場にいらっしゃる間、我と亜寿美様はいつも、茶を飲みながら礼儀のお話や、宮を回すことについて、ご説明をしておりますの。ですが、その席へ、関様がいらっしゃるのですわ。この三日、日に何度も亜寿美様とはご一緒しておるのですが、その度にいらして。関様とは、礼儀のお話しなどはせぬし…到着した日の事を考えても、もしやと思うて我も落ち着きませずで。渡様が居られぬとなると、少し案じられます。面と向かっては、亜寿美様も居られますし何も言えぬのですけれど…。」
渡は、眉を寄せたまま額に手を置いた。
「またあやつは。面倒な事よ。」と、ブツブツと続けた。「…そうなって来ると、我が居らぬと何をするか分からぬではないか。全く…面倒ばかりを増やしおってからに。」
美穂は、不安になりながら渡を見上げた。
「…亜寿美様にご相談申し上げた方がよろしいでしょうか?」
渡は、首を振った。
「いや、亜寿美にはどうしようもないわ。臣下もあてにならぬし…」と、美穂を見た。「…主、我と共に龍の宮へ参るか。翠明と志心が立ち合うのが見たいとか言うて。」
美穂は、あの龍の宮へ行けるのか、とドキドキしながら頷いた。
「あの、お連れ戴けるのなら、是非に。」
渡は、それを感じ取って、顔をしかめた。
「こら。遊びではないぞ、我らは死ぬ気で戦わねばならぬのよ。宮の未来が掛かっておるのだ。だが、主を置いて行ったら鬼の居ぬ間にと関が何かしでかすような心地がして落ち着かぬ。主は、祖父が来いと言って来たとか何とか言うて、明日朝、準備して出発口へと出て参れ。輿に乗せて参るから。分かったの。」
美穂は、パアッと明るい顔をして、頷いた。
「はい!」
だから遊びではないというに。
渡は、あちこち面倒ばかりを抱え込まされて、この上明日からまた、気負う戦いが始まるのにと、頭を抱えたい心地だったのだった。




