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水泳と競泳

 次の日、家族みんなで墓参りをしたあと、風花は孝太と待ち合わせた。昨日言われたことを相談したかったのだ。

 カルサワでアイスを二つ買い、海辺のベンチに並んで座った。


「そんなもん、俺なら答えはひとつだと思う」

 両親から言われた事情を説明すると、全く迷うことなく孝太は即答した。

「孝太君ならどっちだって言うの?」

「東京へ帰るの一択」

 てっきり尾道にいて欲しいと言うのかと、孝太のそういう答えをどこかで風花は期待していた。風花の迷う理由のひとつは孝太の存在でもあるからだ。

「孝太君は、私はいなくてもいいって……つまり、そういうこと?」

「そうじゃないよ。それは絶対にない。でも、君の両親は東京でもう一度やり直したいって言ってくれてるんだよね。そして風花ちゃん自信もそうしたいっていう気持ちがあるから迷うんだろ?」

 買ったばかりのアイスがもう溶け出して、指の隙間を伝って白いバニラの雫が足元のコンクリートに垂れたが、そんなことは今は気にならなかった。

「もう二度と会えなくなっても?」

「絶対そんなことはないよ。大丈夫さ。僕らはもう同じ方向に歩き出したんだ。このまままっすぐに進めば、きっとまた出会える。それに、家族と一緒に過ごす時間は案外短いんじゃないかな。だから今はそれを大切にしてもいいと思わないかい」

 心配するなよ、という顔でニカっと笑う孝太。確かにそうだ。迷うのは、そうしたい気持ちが強いからだ。

 ふっと百人一首の歌が風花の脳裏を過った。


 瀬を早み 岩にせかるる滝川の

  割れても末に 逢わんとぞ思ふ

 

「岩に堰き止められて引き裂かれた川の急流のように、今はこうしてお別れいたしますが、その川も海になって出会うように、いつかまたあなたに会いたいと思います」という意味の、崇徳院が詠んだ激しい恋心の歌だ。

「それは一字決まり?」

「うん。その札はいつか必ず俺が抜きにいくから」

「わかった。じゃあ右下段に必ずずっと置いておくから、約束だよ」

 ここまで言われたら、決断をしなきゃいけない。そのためには、もうひとつどうしても自分を試す必要があった。

「ねえ、孝太君。長谷川先生の連絡先を知ってる?」

「電話なら知ってるけど」

 孝太の不思議そうな顔。

「先生に頼みたいことがあるの」


 ⌘


 東京に帰る両親を16日に尾道駅で見送り、そしてお盆が明けた17日、風花は尾道昇華高校にいた。孝太と長谷川先生も一緒だった。

「夏休み中に無理を言ってすみません」

 長谷川先生が昇華高校の水泳部の顧問に挨拶をしたあと、風花たちはかるたの練習試合のときに外から見えたプールがある建物の中に案内された。

 風花は更衣室で水着に着替えると、ストレッチで十分体をほぐしてからプールサイドへ向かった。


 風花が長谷川先生に頼んだのは、昇華高校のプールを使用させてもらうことだった。水には入れるようになった。あとは50メートルのプールでスタート台に立てるかどうかだ。

 長谷川先生は風花の事情を内申書などで最初から知っていたらしい。風花の頼みをうれしそうに、二つ返事で引き受けてくれた。

 私は、ずっとみんなに見守られていたのかもしれない——


 東京へ帰ってしまえば、ずっと付き添ってくれた孝太はもう近くにいない。それは、自分が克服しなければならない問題だ。だからせめて尾道にいる間に、孝太の前で決着をつけたかったのだ。


 水に入って体を慣らしてから、意を決してスタート台に上がった。天井の水銀灯がプールに反射してキラキラと光っていた。その水面を見つめていると、自然と体が強張ってゆく。風花は思わずスタート台から降りてしまった。


「焦らなくていい。深呼吸をして落ち着いたらもう一度トライだ」

 そのとき背後から長谷川先生の声がした。優しい声だった。

 ひょっとしたら、先生はずっとそう声をかけたかったのかもしれないと、風花はなぜかそう思った。

 言われたとおり目を瞑って深呼吸をする。二度、三度、深く、深く。


 そのとき、ざわざわと人の声がした。振り返ると、競泳用の水着を着た女子たちが入ってきてスタート台の後ろに立ち、首や肩をほぐしている。

「大道さん、一緒に泳いでいい?」

 その声のする5コースにいたのは、あの花火大会で出会った——坂本莉子だった。

「莉子、競泳用の水着を着てスクール水着に負けたら承知しないよ」

 3コースは、確か昇華高校水泳部女子キャプテンの「ユウカ」さんだ。見渡すと、全てのスタート台の後ろに人がいる。

 私は日本記録保持者だった。これは逃げるわけにはいかない。

 風花はもう一度大きく呼吸をした。


 笛の音でスタート台に上がった。そのとき、

「10メートル先に俺がいると思って」

と孝太の声がした。

 10メートル先に孝太がいる——

 それなら、もう他は見えなくてもいい。


「テイク・ユア・マークス」

 目を閉じて前屈に構えた。

 これは一字決まり——

 

 風花がゴールに辿り着いたときには、両隣はとっくにゴールしていた。

 今は順位はどうでもいい。これが1年努力を続けた人たちとの差だ。忘れるな、自分。

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