稼ぎどきと花火とか
「ふみちゃん、そんな高価なもの、さすがにいただくわけにはいかないわよ」
大きな古典柄の浴衣を間に、祖母がやんわりとお断りを入れ、そっとミオの母の方へ押し返した。
「いえね先生、風花ちゃんがモデルになってくれたお店のあの写真、えらく評判がよくって」ニンマリとしたミオの母。「もう来年の成人式とか、たくさん予約をいただきまして」
もう一度、浴衣を少し前に押し出した。
「ちゃんとしたモデルを雇うことを思えば、逆にこのようなものでお茶を濁すのは失礼とは思うくらいです。あの写真はこれから何年もうちのお店に貢献していただくのですから、せめてこのくらいはさせてください」
ミオの母は姿勢を正して三つ指をついた。
「本当にいいのかしらねえ……。なんか気がひけるわ」祖母は浴衣を手に取って膝に載せると右手のひらでそっと浴衣を撫でた。「素敵な花柄——やっぱり浴衣は古典柄よね。風花、よくお礼を言いなさい」
祖母に言われて、風花も正座をして「ありがとうございました」と言いながら頭を下げた。実は、一度は祖母が返そうとしたので、浴衣を見て喜んでいた風花は少しドキドキしていたのだ。
「来月は住吉さんの花火まつりもあるし、実はそろそろ風花にも浴衣をあつらえようかなと思ってたのよ。これで売上が減っちゃったわよ、ふみちゃん」
ふふっと祖母が笑う。尾道では例年7月の下旬ごろ「おのみち住吉花火まつり」が行われる。打ち上げる花火は1万3千発という広島では最大規模を誇るという。
「その分、今年は風花ちゃんのおかげで、またとない稼ぎどきですから」
ミオの母は大袈裟に戯けながら、右手を懐へがっぽりと入れる真似をし、祖母と顔を見合わせて二人でククッと笑った。
「せっかくだから、一度袖を通してみて。丈は大丈夫と思うんだけど」
ミオの母に促されて、風花はいただいた浴衣を試着してみることになった。
「うん、いいわねえ」祖母が上から下まで何度も眺め、さらに請われてクルッと回ってみせた。「これならいつでもデート行けるわよ」
「あら、彼氏がおるんね。じゃあ来月は浴衣で手つなぎ花火大会デートじゃねえ。うわ、想像するだけでうちが照れるわあ。ええなあ」
「なんでふみちゃんが照れるんよね。デートするんは風花じゃろ?」
大人二人にからかわれ、「えーっ、まだ手をつなぐ彼氏なんかいませんよお」と風花はあわててかぶりを振った。
「あれ、孝太くんは彼氏と違うん? 毎日朝デートしよるじゃろ」と祖母。
——げっ。やっぱりバレてるじゃん。
「あら、風花ちゃんの彼氏は孝太かいね。さっちんとは似てないと思ってたけど、やっぱり血は争えんわ」
「だから、違うって」
必死に否定しながら、風花はミオの母の言葉に少し違和感を覚えた。だが何が気になったのか、自分でもその時はわからなかったのだが。
さっちんとは似てないと思ってたけど——
眠りにつこうとしていたとき、突然ミオの母のその言葉を思い出した。
おばさんは確か「さっちん」と言った。お母さんは、名前をなかなか思い出せない同級生じゃなかったっけ。でも、あのときおばさんが言った「さっちん」は、間違いなくお母さん——幸——のことじゃないの? しかも「血は争えん」ってどういう意味?
風花は悶々としながら答えのない問いをベッドの中で何度も繰り返していた。
目覚ましが鳴る前にハッと目が覚めた。なかなか寝付かれなかったが、それでもいつの間にか眠っていたらしい。
目覚ましを止めて立ち上がって窓の外を見ると、少し弱まってはいたが昨夜からずっと雨は降り続いていたようだ。
滑りやすくなっているし、さすがに今日は走るのはやめようか。
しばらく外を見つめていたが、思い直してとりあえず着替え、傘をさして外に出た。案の定足元はかなりぬかるんでいる。そして孝太といつも走る決まり字の坂はコンクリートと石畳のため、雨量が多く少し滑りやすくなっていた。
坂をゆっくりと最後まで下り、孝太が毎朝待っている場所まできた。しかし、あたりを見回しても孝太の姿はなく、少しホッとした。もし待っていても、今日はやめようというつもりだったのだ。
だが、孝太のことだ。何かあって遅れてくるのかもしれない。そのときにいないのはやはり悪いという気持ちもあり、しばらくそこで待つことにした。
相変わらず雨は止む気配はなかった。
「おはよ。すごい雨ね」
いつもの時間にバス停に行くと傘をさしてミオが待っていた。
「本当に。こんなに降るなんてねえ」
結局、朝は孝太は来なかった。むしろよかったと思う。大会前だと言っていたし、無理をしない方がいいと思う。
「孝太君は雨なのにバスじゃないの?」
まさかこんな雨の中、走って行くことはないはず。
「あー、熱を出したから今日は休むってさ。風邪をひいたみたい」
「風邪なの? 体は頑丈そうなのにね」
「それだけが取り柄なのにね。実はあいつさあ、昨日の雨の中、一人でプールにブラシをかけてたんだって」
手の空いた人は集合——
あの大雨だよ。まさかやるなんて誰も思わないよ。
もしかして孝太君、たった一人で——
思えば思うほど、胸が苦しい。ごめん。




